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吉方位活用の実践行動・後篇

2012年3月22日 木曜日

前篇より・・・
そして、内部抗争の乱れから半年政権が持てば良いと言われたのです。

昭和57年11月27日組閣、そして、長嶋邸から吉方位として東方位の首相官邸に移転して行きます。戦後の歴代首相は官邸に住居せず自宅から国会へと通うのが常でありましたが、佐藤栄作首相・三木武夫首相そして中曽根首相と気学実践の三名は習慣に従わずに官邸住まいをした首相です。

現在は警備上の理由から官邸住まいが習慣となって来ておりますが、平成12年に新しい官邸が建て替えられ、平成13年に新築の運びとなりましたが、施工者小渕首相が「人柱」として急死していきましたが、家相学や方位学を学ぶ者として家の建て替えや移転の恐ろしさというのはしっかり手順さえ踏んで(気学的)行なうなら大難・小難・無難でいく要因でした。

総裁選の後に中川一郎氏は自殺の道を選択します。(昭和58年1月9日自殺)。中曽根首相は首相就任後「外交の中曽根」として実践行動に挑んで行きます。

翌年の新年早々韓国・米国へ非公式ながら外遊を始めます。昭和58年5月にはサミットで米国大統領と会えるのですが、昭和58年は八白土星中宮位の年で米国(東北方位)が暗剣殺となり、5月も年盤と月盤で共に暗剣殺となる為に年の変わらない立春(2月4日までは前年となります)前の吉方位の時に合う事が大事として1月の急な訪米となります。

気学でいう「路線の始動」で路線とは最初の方位の取り方で確認することが、吉方位関係であれば後々悪い方位が廻っていても最初の状態が用(はたら)いて凶現象が押さえられるという考え方で、最初の出会う時期が重要であるという気学独特の教示です。それが「人の吉凶は動(スタート)より生ず」です。

新年早々の1月11日・12日と歴代首相として最初の韓国訪問(北西方位)であり、中曽根首相には四緑木星の吉方に当たっていたのです。そして1月17日から21日までアメリカを訪問し、レーガン大統領と同盟関係の強化を確認しました。

以後「ロン・ヤス関係」となって行く緊密状態に発展していきます。米国ワシントンは日本から艮方位(東北方位)に当たり、年盤で(九紫火星中宮位で東北方位は三碧木星廻座・月盤で(三碧木星中宮位月で東北方位は六白金星廻座)中曽根首相にとって年・月共に艮方位(東北方位)吉方位の出会いでした。

こうした方位活用(祐気実践)が約5年間の政権の中で24回続きます。24回すべて吉方位の時でない時もありましたが、事案の許す限り吉方位中心で外交を行ったのであります。

こうした実践努力は後のリクルート事件での間一髪の救いともなって行くのです。半年しか持たないであろう政権が昭和59年に至り民社党公明党一部自民党で「二階堂政権」擁立が起きたのです。

民社党春日一幸氏(本命九紫火星戌年・月命四緑木星卯月)・公明党竹入義勝(本命三碧木星丑年・月命三碧木星丑月)・自民党鈴木前首相・二階堂進(本命一白水星酉年・月命九紫火星戌月)4名主導による政変劇であります。

一方中曽根首相は自分の運気は艮方位(東北方位・鬼門)にあり最悪であることを理解しており、運気盛んなる人である金丸信幹事長(本命五黄土星寅年・月命四緑木星酉月)・竹下登元首相(本命四緑木星子年・月命八白土星寅月)の二人に解決についての「下駄を預ける」形を取ったのです。

二階堂擁立に走った4名(二階堂氏含む)の運気はそれぞれ共々に春日氏・鈴木氏・竹入氏・二階堂氏は運気衰運期にあり「徒労」に終わることがはっきり伺える訳です。一方中曽根首相が下駄を預けた両名は運気盛んなる所の東方位に金丸氏・上昇機運の竹下氏共に活発な広がりのある運気にいることが判断できます。

気学実践者の中曽根首相は方位学の実践のみならず運気運勢を知って上手に盛運の方法を用いて難題を切り抜けたと言うことであります。この時中曽根首相の後継者に竹下登氏が創政会結成へ動き出すことの始まりです。

二階堂擁立劇を不発に終わらせた金丸幹事長は竹下氏を総理総裁にする目標を持っていたことを実行に移すことになりました。この動きの中で田中角栄元首相は個別分断作戦の続く中で心労がたまり病気発生となり再起なく死去します。絶大なる力で政界を動かした田中派の終わりです。

中曽根首相の信条は「天命を知って人事を行う」という実践でありました。風見鶏といわれた人が「外交の中曽根」を前面にして国鉄の分割民営化・電々公社の分割民営化を断行した変貌は「志し」とその基盤を成す信念があっての事であり、21世紀を迎えた一人一人にこの「志し」と何に信念の基盤を求めるかは重要な事と思います。

気学にはこうした実践による実証実例が歴史の側面として伺うことが出来るのです。終わり。    

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吉方位活用の実践行動・前篇

2012年3月12日 月曜日

ここ10年で内閣総理大臣は小泉氏・安倍氏・福田氏・麻生氏・鳩山氏・菅氏そして今の野田総理と受け継がれて来ましたが、小泉氏以降の総理は特に短命の総理が多いです。

しかし過去に於いて中曽根康弘元首相は、気学の方位学の実践者として、上手に吉方位を活用して、首相の座を得て5年以上の長期政権を果たした人です。

前篇・後篇の2回に分けて、その軌跡を見て行きましょう。

昭和57年秋の自民党の総裁選びを前にして、夏の頃のマスコミ各社は三木派の後継者である河本敏夫議員(明治44年6月22日生まれ・本命八白土星亥年・月命七赤金星午月)がマスコミの下馬評では最有力候補として各社の誌面で報道されていました。

中曽根康弘議員(大正7年5月27日生まれ・本命一白水星午年・月命五黄土星巳月)は候補者の一人に数えられる程度でありました。

昭和57年の首相は鈴木善幸首相で労働組合の社会党から自民党へ鞍替えして首相になった実務調整型の首相であります。鈴木首相は急変し死去した大平首相の後の昭和55年に就任し日米貿易摩擦(昭和52年五黄土星寅年)の後で、世の中全体に減速感の生じていた時代でありました。田中角栄元首相の金権問題が尾を引いて混沌とした明るさのない状況でした。

そうした流れの中で中曽根議員は外交を目標に掲げて首相候補に立ち上がりました。

昭和57年(九紫火星戌年)7月(九紫火星未月)に自宅(豊島区高田)より巨人軍長嶋茂雄元監督の上北沢の自宅(その頃長嶋元監督は巨人軍を退団しアメリカの野球修学しており空家)に坤方位(南西方位)に六白金星の吉方位活用として借り受けて方替えを行ったのです。

国会や首相官邸は自宅より東南方位(巽方位)に当たり年盤で歳破・本命的殺にあたり八白土星方位は吉方位にならないために方替えを行ったのです。

昭和57年の自民党の総裁選は11月ですので、7月の段階で志しである「首相になること」を前提として「方替え」を実践したのです。

自宅を外国人に貸して自分は長嶋宅へ方替えをして総裁選で吉方位として戦うという気学実践行動で選挙に臨んだのであります。「人事を尽くして天命を待つ」とはこの事を指して言うのではという行動力でありました。

坤方(南西方位)は4ヶ月・4ヶ年の「方徳」があります。4ヶ月目を迎える10月頃になりますとマスコミ各社の報道に変化が生じて、今までの河本議員の下馬評が大勢であったのが一気に中曽根議員へと大変化して来たのであります。

勿論、田中角栄元首相の応援を取り付けた経緯もありますが今回は首相を党員で選ぶと言う事から8月に中川一郎議員(大正14年3月9日生まれ・本命三碧木星丑年・月命四緑木星卯月)が出馬表明しました。そして10月中曽根議員は「総裁選には出馬せず鈴木首相の再選を支持する」と表明しました。

一方、鈴木首相は引退を正式に表明し、中曽根議員を支持と表明し、中曽根議員も出馬表明をするに至りました。「風見鶏」と言われた所以であります。

そして、安倍晋太郎議員(大正13年4月29日生まれ・本命四緑木星子年・月命六白金星辰月)も出馬表明し4氏によって争われるかに見えました総裁選も自民党の最高顧問会議で、三者協議(鈴木首相・福田元首相・二階堂幹事長)で後継者総裁を決める事にしました。しかし、この協議は失敗し予備選に突入したのであります。

中曽根議員は着々と首相になる事を前提として7月より方替えを実践して足元を固める中で、世相は10月まで混沌としていたのが実情であり、そして方替の効果も4ヶ月目に入った10月に形勢は中曽根議員へと一変して行く流れに至って来るのです。

自民党総裁選予備選の結果は中曽根氏が55万9673票(有効投票数の57.62%)を獲得しました。以下河本・安倍・中川氏の順となりました。河本・安倍氏が本選出馬を辞退したので本選を行わず中曽根氏の当選が確定しました。後篇につづく。

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方位と時期と周期律

2012年3月2日 金曜日

ある時期に因を結ぶと,方位に於いても時期に於いても周期が顕現しそれがその人の運命に重大な影響として表出するのです。

この場合、方位学による一定の周期律と時期(自分の本命がどの宮位に廻座していたかによる)による周期律とに分けることが出来ます.方位学的に六大凶殺方位を用いた為に一定の年数によってその凶災が顕現する場合、その現象状態は各々の凶殺によって異なりますが犯した方位によって年数が定まっております。

そして方位学による流れ自体は因を現表出させる導火線のような用き(はたらき)になることが多いです。過去に於いて五黄殺や暗剣殺を用いても凶災が顕現しないで居た人が自然とその周期の流れの中で、それらの要因が重なり、ある一定の時期に過去を含めて一度に現出することが多く見受けられるのであります。

例えば実例として田中角栄元首相について考えてみることにします。田中角栄元首相は大正7年4月生まれ(本命一白水星午年・月命六白金星辰月)であります。

田中元首相の誕生した家相というのは三合吉相の家相で地相的にも「四神相応の地」の中で玄武の相(北が高く)朱雀の相(南に広く)といった新潟県の中では数少ない地相的に恵まれた地に誕生しています。

それは先祖の努力による結果であります(吉相家相吉地相等)そして一白水星本命星の特質である流れ行くことにより、大成することが首相までに成した要因です。これらは先天要因からの「良きめぐり」であります。

しかし首相になってからの要因の中に問題が発生している状態があります。勿論それまでは多少後天的に方災を犯しても先天的要因が勝る為に凶災として表出し難いのであります。

首相となった昭和47年(年盤一白水星子年)7月7日(月盤三碧木星未月)であります。首相の本命は中宮廻座、月盤においては東方位廻座暗剣殺を持つ象であります(時期による因)そして故郷の人が来ていつでも接待できるようにと昭和47年に南方位に増改築を行っています(南方位は年盤の五黄殺)そして家相上庭内に大きな池のあること(家相上凶災)これらすべて後天の要因であります。

こういった時期による顕現年数による要因と家相の改革によって生じる要因を南方位後天九紫火星定位とし九紫事象を警察・裁判等とし過去の現象露見という意があり、そして南方位(一白水星中宮位の年の南方位は五黄殺方位)を足掛け6年とし顕現を見ることになります。

こういった後天要因が先天要因の良因をひとつひとつ打ち消し、後天の凶災要因が勝った時点ですべての努力が「無」に帰して行くのであります。このブログを通して何度も中宮位は現状維持の時であって多少力があっても衰運に備える時ということになりますと教示させて頂いております。そして絶対に六大凶殺方位は使ってはいけないのです。

鑑定において、その人の運気状況(盛運期か衰運気か)方位(吉方位か凶方位か)家相(吉家相か凶家相か)の鑑定が最低でも必要になります。

過去昭和29年(年盤一白水星中宮位)の時に首相になった鳩山一郎元首相(明治16年1月1日生れ・本命一白水星午年・月命七赤金星子月)も足掛け3年で次の石橋首相に変わっています。

中宮位の時というのは物事の花開く時であり満開に咲く花のような時期なのであります。過去何十年の努力の表出する時であり吉にしても凶にしてもすべて過去の状態の顕現する時なのです。それだけにこういう時期は大変難しい状態なのです。

その後の首相で福田首相(明治38年1月生れ・本命六白金星辰年・月命三碧木星丑月)も中宮位で首相になった為に有利な状態でありながら足掛け3年で大平首相に変わることになってしまう事になりました。現在の野田首相(本命七赤金星酉年)も本命が中宮位(平成23年の七赤金星卯年)の年に首相に就任しました。

周期律というのは方位学周期と時期的周期の交差した時により強い現象が起こるのであります。

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会社30年寿命説

2011年5月12日 木曜日

企業にも個人の運勢と同様に運気運勢があります。「会社30年寿命説」と言う風説も生じる要因は、30年と言う歳月が時代の変化や会社の世代交代、あるいはマンネリ化による動脈硬化が生じ、新陳代謝の必要性が生じて来る時にあたります。

気学では、36年周期を一つの目安と考えております。優秀な企業でも30年以上経過すると成長力が低下して来る訳であります。経営者や代表者が替わることにより、企業の運気運勢も変化する新風がもたらせる場合もありますが、引き継ぐ後継者の運気運勢の時期もあり、一概には良いと言えない訳です。

後継者の運勢が上昇期に当たり,また企業としての運気の良い年回りに当たっていれば,順調な引継ぎとなるのです。逆であれば苦難の道と言うことになります。

企業の運勢は社名の称号・設立登記あるいは会社形態登記が誕生日同様となります。従ってより良い時期を選んで登記する事と,トップ経営者・代表者の運気拡張機運に時期を確定することであります。

業種の運気運勢の盛んなる期、代表者および経営者幹部の盛運なる期に設立登記あるいは変更登記をして行くことが会社発展の出発であります。

企業にも運気運勢の良否盛衰のあることをしっかりと認識することであります。企業も人と同じく生きて成長して行くものであります。

登記した日が誕生日となり、代表者を頂点として従業員も会社発展・繁栄・また栄枯盛衰の傘下の中に入っていくのであります。

良い時期や悪い時期の景気の動向も反映されると同時に、企業の拡張に於ける支店・出張所あるいは工場・倉庫・また関連会社や取引を開始することに於いても方位方角の吉凶があり、とくに本社の社屋を新しく建て替えをしたり、改造築したり事務所の配置や社屋の社相の吉凶も、発展し成長して行く過程に、多大なる影響が生じて行くのであります。

経営は生き物である以上、寿命もあります。新陳代謝をせずにワンマン経営を続けたら30年か40年にして尽きて行くのが自然界の理です。気学36年周期を中心として廻るのです。

経営の新陳代謝が課せずに、同族者の経営から動脈硬化を起こし維持出来ずに終わった会社がいくつもあります。「商いの道」とは無と言う実体の無いものから、有限なるものを産み出す行為これが基本行為です。

また商いとはあきない(飽きない)と言います。飽いていては力もはいりませんし上手くいく訳が無いのです。毎日の努力と継続が大切です。

企業・事業に於ける周期について

(起業・創業)(9年×2周期で18年間)
起業・創業の流れは一気に一循環に向かう上昇時代で3年ごとの良否の繰り返しの中で、二循環へ向かう発育と成長を果たし繁栄する。

(継承・継続)(9年×2周期で18年間)
落日を脱し継続機運が活かされて、二代目の育成がされて、創業者の円熟さと二代目への継承者へと交代を心掛けて帝王学実践時期である。

(次世代転化・後継ぎ)(9年×2周期で18年間)
後継者が果たされて新陳代謝の機運が高まり、創業者の理念も薄くなり、新しい息吹も求められる再構築の期で、次世代主導となる。

(結果・終結から脱皮)(9年×2周期で18年間)
起業・創業の態勢も全て入れ替わり、起業者の理念が伝説化される期。三代目の新しい機運を導入し創業以来からの脱却新生期となる。

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バンクーバー五輪の女子フィギュアスケート

2010年3月2日 火曜日

平成22年2月26日に行われたバンクーバー五輪の女子フィギュアスケートのフリー決勝は、世界中がキム・ヨナ(韓国)選手と浅田真央(日本)選手の競技に酔いしれました。結果は金メダルがキム・ヨナ選手で銀メダルは浅田真央選手でした。

浅田真央(あさだ まお)
生年月日 1990年9月25日生まれ
本命一白水星午年・月命一白水星酉月生まれ

金 姸兒(キム・ヨナ)
生年月日 1990年9月5日生まれ
本命一白水星午年・月命二黒土星申月生まれ

カナダのバンクーバーは日本から見て東北方位にあたります。平成22年度(八白土星年)の東北方位は年盤で暗剣殺方位にあたります。2月度(二黒土星月)の月盤の東北方位は五黄殺方位にあたっています。

浅田真央選手は競技の始まる直前まで日本で最終調整をして、バンクーバーに入り試合に臨んだのです。

すなわちオリンピックの開催地であるバンクーバーは(日本・韓国から見て東北方位)は年盤で暗剣殺方位・月盤で五黄殺方位とダブル凶方位で開催された地の不利が多分に出た結果となりました。

今大会で世界初のトリプルアクセルを見事に3回成功させました。しかしフリーで二度の大きなジャンプの失敗(凶方位の顕現)が結果として銀メダルになりました。

真央ちゃんの試合直後の流した涙は多くの人に感動を与えました。人知れぬプレッシャと金メダルの取れなかった悔しさと五輪初参加のメダル獲得の偉業に対する自分自身へのねぎらい等複雑なものでした。

メダルは立派な銀メダルです。真央ちゃんの頑張りに拍手を送ると共に心から「おめでとう!!」「この感動をありがとう!!」と声高らかに祝福と感謝の心を送りたいと思います。この経験を糧に更に大きく羽ばたいて頂きたいと願わずにはおれません。

逆にキム・ヨナ選手は、4年前からカナダに拠点を置き今回のオリンピックに向け万全の計画を立て本番に臨んだのです。バンクーバーへも昨年(九紫火星年)に韓国から東北方位(バンクーバー)の吉方位(三碧木星廻座)を活用して現地に入り準備をしてきました。

その結果パーフェクトな演技で、世界最高得点で金メダルに輝きました。同じ本命星で運気も同じ二人の差はこのような結果になったひとつの原因(吉方位活用か凶方位活用か)でもあります。

世界中に感動と勇気と夢を与えてくれたキム・ヨナ選手と浅田真央選手の戦いはこれからも続くでしょう。(3月の世界選手権が最後かも知れません。キム・ヨナ選手のプロ転向もあります?。)お互いに切磋琢磨してこれからも熱い戦いをして私たちファンを喜ばせて頂きたいと思います。

また安藤美姫選手は5位、鈴木明子選手は8位で見事に入賞を果たしました。

次回の2014年に行われるロシアのソチ冬期オリンピックに期待したいです。

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イチロー選手が9年連続200安打達成!!

2009年9月14日 月曜日

平成21年9月14日(米国は13日)にイチロー選手が9年連続200安打のメジャー新記録を達成しました。

鈴木一郎氏  昭和48年10月22日生まれ(本命九紫丑年・月命六白戌月)

振り返れば、平成13年1月9日に大リーグのマリナーズ球団に入団し渡米しました。

年盤において1月9日は2月4日の節分の前ですので前年の平成12年度の九紫火星辰年にあたります。米国のシアトルは日本から見て東北方位にあたります。東北方位は三碧木星が廻座しておりイチロー選手の吉方位にあたります。三碧木星方位の活用実践でありました。

2月からのキャンプインで、もし2月4日以降の渡米だったら、平成13年は八白土星巳年で東北方位(シアトル)は暗剣殺の大凶方位にあたったのです。

気学では「人の吉凶は動より生ず」と教示いたします。動(どう)とは始動時の事です。その為、最初の決めたスタート時で、後々の吉凶が顕現するという事になります。

平成13年の運気は衰運期の1年目に入りましたが誕生日の10月22日までは盛運期の運気が残っている時でした。その1年目で首位打者・盗塁王・MVPなど数々のタイトルを獲得し、メジャーに新風を吹き込みました。その陰に気学吉方位への裏付けがありました。

新人で史上初となる首位打者と盗塁王の2冠や新人最多安打記録242本(242の合計数2+4+2=8は三碧数)で90年ぶりの更新やリーグMVP等まで手にいれた大活躍であり、三碧方位効果の開花です。それ以後の活躍は皆さんがご存知の通り平成16年にシーズン最多記録の262安打を達成。平成21年4月に張本勲氏の3085安打を抜いた。

実働は平成13年(八白土星巳年)から平成21年(九紫火星丑年)までの気学1周期の9年間です。そしてイチロー選手の本命である九紫火星年(平成21年は九紫火星丑年で中宮位廻座)に、とてつもない大きな花を咲かせました。盛運期4年目の開花・結実の年廻りです。

方位活用効果を自分の目的達成に上手に活用した例です。強運の人は強靭
なる精神力と努力と天の与えてくれた良いめぐり合せのあることを学べる
好例です。

「イチロー選手、おめでとうございます!」これからの活躍も楽しみにしています。

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