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気学と風水

2017年11月21日 火曜日

気学は「陰陽学・三才観・五行説」を基盤として中国より伝来し、日本の風土の中で育ち伝承された教示学であり、日本独自の理念を持つ教義であります。

気学と言うと方位学・家相学に代表されますがもっともっと深いものなのです。

近年、台湾で伝承され昭和50年代にアメリカの環境学と合わさり日本へ「風水学」として流布している教義は、根元の基盤は同じであっても成長過程において異なるものであり、風水学と気学は同系であっても異なるのです。

同じ儒教を発端にして来た教義でも日本の儒教は「心の教義」であり、台湾の儒教は「ものの教義」であります。ですから気学は心の教義ですから「実践」を中心とします。風水は「実物」を中心とします。現在では特に家の「気」の流れを良くする事により運気をアップしたり、部屋のインテリア・色の効果・アイテム等に用いられています。

中国の三大思想と言われるところの儒教・道教・仏教の考え方が日本に仏教伝来期と同じ時期に伝来しております。

そしてその中国の三大思想が日本に伝来して後々いろいろな相となり、日本国土で伝承されて来ました。

日本にも古来より発生した古神道(自然界と人間との一体思想・自然のおおもとは太陽)がありました。そうした背景の中で紆余曲折があり、現在では仏教・神道・気学(陰陽五行)系統と思想付けております。それは自然界と人との係わり合いであります。

仏教は自然界の示す精神を悟ることを主とし

神道は自然界の示す至心を果たすことを主とし

気学は自然界の示す発動する気の実践する行動を主とします。

気学は物事に対する方法論・手段論であり自然界の法則が教示教義となり、人生に活用・応用し願望を果たして行く教えであります。

運気・運勢の法則による吉凶・良否はいろいろな尺度による判断が発生しますが一つの目安として自然界の法則が人の一生に影響を与えて行くことに、気学が日本においての三大思想の一つとして更に確立されるように願います。

この世に生を受けた日から自然界との付き合いです。人生悩みのない事は誰にもありません。できる事なら不幸の方向に行かないように願います。

吉方位の活用・祐気取り・家相・相性・性格等を判断し、願望・成就が達成できるよう教示していく学問が気学です。人間が生きていく上における羅針盤のようなものです。人々の生活の多様化に合わせ気学・風水のよさを最大限に取り入れ人々の生活が更に良くなる様に伝授していく事が出来れば幸いです。

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あなたは家に入る時、右足からそれとも左足から?

2008年11月30日 日曜日

「左足で踏み入る、右足で踏み出す」

太陽のめぐる右廻りを順行の右遷と言い家相も、太陽の順行に従って、人の動向を反映するように考えた家相が、幸運なる家相となります。

「家には神宿る」という考え方で、家に入る玄関への第一歩は、左足から入る様になる相が順行の家相(幸運をもたらす)という事になります。

第一歩を左足から踏み入れることにおいての考え行動の中に、舞台役者の第一歩の踏み入れる足が、左足であります。

つまり下座から役者が登場して、第一歩を左足から踏み入ることで、客席の方に対して顔が向くからです。すなわち順行です。

下座から右足で第一歩を踏み出すと、客席に対して、背を向ける姿勢となってしまい逆行の姿勢になります。

その為玄関のドアは右手で開けて、左足から踏み入る玄関ドアが良い玄関ドアとなります。

家を守る主婦を「おかみさん」と言い、家と言う神を守ると言う要因も含まれています。

現代の家のように、大黒柱という魂が家の中から無くなってしまった状況の中で、主(あるじ)も希薄となり、家族基盤が消滅し、家庭という核単位の存在が多くの諸現象や諸問題を現出しています。

家相の形態やその相(かたち)は時代と共に変革して行きます。しかし人間がもたらす形態は不変です。

左足で踏み入ることは、子孫繁栄・家内安全への祈念が込められています。

右足で踏み出すことは、商売繁盛・願望成就への祈念が込められています。

家を出る時は、反対の右足から踏み出すことになり、世間と言う暗闇で行動する時に、家の神々に守られ保護されて活躍すると言う意義が生じる訳です。

商売とか成就の道と言うのは、自然の理法に逆らうことです。家は順行という目的があり、世間は逆行という目的があります。

よって世間へ出て商売や成就を果たす為には右足からの踏み出すと言うことに成ります。

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飲酒運転による事故が多発

2008年11月20日 木曜日

飲酒運転による事件・事故・ひき逃げが後を絶たずに発生しております。「ヒヤリ・ハットの説」と言う教示があります。

一つの大事故の背景には29の小さな事故・300のヒヤリ・ハットする事柄が存在すると言います。

大きな事故が起こった直後も、次から次へと大きな事故が起こっています。

酒を飲んで自己判断の能力が低下していることから、判断が甘くなっている状態で「この程度ならば大丈夫・家まですぐ近いから」と言う事から端を発して大事故に至ると言うことです。

検挙される、逮捕される、また発覚している部分は一握りにすぎません。

気学の教示は原因の究明の尺度を自然界の法則を基盤として、危機管理を行うことに特色があります。

自然界のもたらす一定の周期(運気・運勢)が、事故事象の発生にあるかを判断します。

悪い事象や事故・事件であれば何が原因で発生したのかを調べます。

運気の状態なのか、家相の状態なのか、方位の状態なのか、を調べて改善や改革を意図し解明し、同じ事の再発防止に務めます。

しかし昔から「論より証拠」と言われるごとく、気学は実証の教示学であり、実践実行が、第一にあると言うことです。

まず自然界と言う大きな法則(サイクル)の中での人間と言う基本を理解することから考えて行くことであります。

自然界と対峙して人間の営みがあるのではなく、自然界と共存共栄している中に人間の営みがあると言うことからの認識であります。

この基本認識を忘れてしまうと、現代社会が陥ってしまった人間万能への錯覚があります。

神と言う名の元で宗教戦争や民族対立を誘発したり、正義の元で紛争や争いを勃発させたりすることは、人間を過信した故に他ならないのです。

自分の能力は他より勝れていると思ったり、自分の判断は、決断は間違いないと思っても一歩引いて見た時、自省される事があります。

人間の対立や争いには一方に正義があれば、一方に大儀があり対立や争いが泥沼化して収拾の目処が付きません。

これは人間能力・人間の判断に主眼があるからです。人間は自然界の中の一員であると言う自覚に立って、自然界の法則の中にある事を心得て行けば共存共栄の道も見出せる要因です。

勿論自然界はバランスにあると言うことから発せられるものであります。危機管理の根幹に人の心の自覚があり、その心によって危機が生じて来るのです。

日 本は昔から酒類等による犯罪や事故事件には甘い緩い社会風土があり、運転手に対して「飲んだら乗るな」と強く言われていても「一杯が二杯・三杯」と言うよ うに、飲み始めれば止まらないと言った心の弱さが出てしまう訳であり、周囲の人たちがより強く対応しなければ、酒帯運転や飲酒による事故・事件は防げるも のではないと言うことです。

人生の危機はいつ如何なる時に遭遇するか判らないのが現実であり、そのために経験学・統計学・周期学・実証回顧・歴史回顧・真理や運命学等の学習が求められ、危機回避や災難・災害回避ということが強く求められるのです。

危機管理学は「転ばぬ先の杖」の信条を心して、これを基盤として一定の定義を構築し、大難を中難・小難そして無難へと導くための自己防衛であります。

平成20年は一白水星子年で、七赤金星は南西方位の廻座です。気学事象で飲酒は七赤金星で判断します。南西方位は物事の苦労が多い時です。

年の終盤に入り七赤金星事象の顕現が生じて、12月はその七赤金星が中宮位(結実開花)です。

物事の善悪・良否が顕現します。年末に向かってお酒を飲む機会も多くなり、さらにこの問題は多発する恐れがあります。

社会全体で「飲酒運転は厳禁」を守りたいものです。

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世の中を荒廃させる七つの大罪

2008年11月5日 水曜日

世界同時株安・大不況と荒れる世界の中で、今、日本が直面している世の中の諸現象は、日本の崩壊につながる深刻な問題です。

インドの偉大なる指導者である「アハトマ・ガンジー師」は世の中を荒廃させる要因として「七つの社会的大罪」を挙げております。

この七つの社会的大罪を現在の日本にあてはめて検証してみます。

【1】 原則なき政治
「国民の思考や意識を将来に対してのいかなる国造りとなるか」を示し指導するところに政治家の役割があります。

無策な目先の行政に走り、赤字を増加させる場当たり的な行政、増税、政治家の指導性の無さ、夢の無さ(将来が見えない)、汚職・天下り・癒着等、国造りの無さが蓄積されて亡国寸前に置かれています。

【2】 道徳なき商業
儲ける為には何をしても良いと言うことはありません。

商売も一定の道徳があります。しかしバブル期における日本の金融界・建設界・証券界・政界・国民は道徳を忘れ、商道を忘れて儲ける事に、利潤を上げる事に熱中になり踊ってしまいました。

そして今日においても、事故米・食品関係の偽装問題等、あきれる事が多発しています。

【3】 労働なき富
金融商品の自由化により、労働して稼ぐよりも頭を使って判断して稼ぐ方法が(投資・株式・IT等)加速しています。

しかし、これは人間的に、好社会を産み出す要因から後退することになる選択であります。

今の社会はバーチャルの姿です。働く事を美徳とする日本、ものづくり日本をもう一度復活さす事です。IT産業においても今後、大変難しい問題が起こって来ます。

【4】 人格なき教育
昭和36年日本の教育界も「偏差値教育」を取り入れました。そして平成11年改めて、この「偏差値教育」のもたらす弊害が生じ「授業破壊」が深刻な社会問題になりました。

産業の発展期に、無個性な横並びの教育を最良として優秀なる均一的な人材を数多く教育して来た背景がありました。経済主義に沿った教育であります。

それにより知識応用においては世界の一・二と言う教育の水準でありました。その教育が今、大きな壁に当っております。教育には二つの要因があります。

一つは「学ぶ」ことから得る知識と応用です。そしてもう一つは「遊ぶ」ことから得る知恵と経験です。

戦前の固定教科書の最初に「よく学び、よく遊ぶ」という事が信条に示されていました。この「遊ぶ」ことの大切さを切り捨てて来た教育に、まず大きな反省点が伺い知れる訳です。

遊びから得られる忠誠心・創意工夫・問題提起・判断力・集団行動による協力精神・勇気等を「偏差値教育」が切り捨てて、真に人格なき教育を実践して来てしまった状況が今の日本の姿です。

【5】 人間性なき科学
人間性を滅ぼしてまで科学の進展があっても良いのかと言う事です。

毒ガス・原爆・クローン動物等、科学者が「謙虚さ」と「尊厳」を忘れて「うぬぼれ」と「錯覚」を持った時は、人間を自滅させる事になります。

人間を物体としてしか扱わない医師も増加しています。科学者やそれに携わる人達が、しっかりとした倫理観を持って開発・研究をして行かなければ社会的な弊害をもたらす要因となります。

【6】 良心なき快楽
文明が進展して世の中が便利になっても、人の欲望や快楽は逆に倫理観を失うと言う現象が生じてきます。

文明が生活の向上をもたらすことと反比例する相で、精神の荒廃が高じて来ます。大麻問題も大きな問題となって顕現して来ています。

また若者中心に援助交際なる売春が流行するのも社会的大罪の一つであり亡国への一歩であります。

【7】 犠牲なき信仰
信仰とは信じる道に従って福分を与えて行く行動であり、神仏に参拝参詣し、自らの願望を叶える事を信仰とは言わずに「敬神あるいは敬仏」と言い一線を画します。

福分とは「愛」であります。その愛を「布施」と言います。信仰とは自己犠牲の上に成り立って来る行動であります。

ですから自己犠牲のない「敬神あるいは敬仏」を行う事です。

今、現在の日本の社会情勢で生じて来ている出来事が七つの内で、いくつ該当するかを確認して見ると、社会の荒廃の度合いが理解出来ます。

経済戦争に敗れたと言う自覚のないまま、また荒廃がここまで進んでいるのだと言う自覚のないまま、目先の景気浮揚にお金をばら撒いている政策しか実行出来ない内閣であります。

軍国主義で敗れ、経済戦争で敗れた現状を、復興させるには大変な覚悟と試練が国民に求められているのです。

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