人の出会いや巡り合いは合縁奇縁と言う事ではなく因果因縁と言う土壌があるのです。それは十年や二十年と言った単位ではなく百年・千年と言った集積のある事柄なのです。
丁度、千年前に流行していた「陰陽師」の登場であり、藤原王朝の公家社会の中軸で活躍していた参謀の人々であります。日本の地図を見ますと大きく離れた地域でありながら同じ地名の重なりがあることに気付きます。それが「時空」を知るきっかけにとなっていきます。
奈良(大和)・新潟(越後)・静岡(伊豆)のこの三地域で見ていきましょう。
大和・・・高田・川西・下田・加茂・三条・中山・三輪・大和・月ヶ瀬
越後・・・高田・川西・下田・加茂・三条・中山・三島・三和・吉田・柿崎・米山・長岡
伊豆・・・米山・長岡・賀茂・下田・三島・吉田・一条・月ヶ瀬・柿崎
これらの地名は、現在は市・町・村で残っております。
千年の時空は決して正確な状況を残している訳ではありませんが、仮設や憶測の範囲は出ませんが、多くの現代で生じる事件や事象や事柄の流れの中に因縁因果と言う土壌形体があるのです。
奈良時代から平安時代に於いて「越後国分寺」(現在の上越市)は京都・奈良に次ぐ大きな都でありました。そしてその主たる産業は公家社会で重要な布であった「越後布」であります。
この越後布は公式礼服用の材質でありました。越後国分寺を中心として、生産・販売・出荷が行われ繁盛しました。その公家が三条家(明治以後に嵯峨家)であります。
奈良・平安時代の次男や三男は飛地領と言って各地方に領地を専有しており、その領地へと分家されたりして行きます。また政権争いに敗れた公家や島流しに遭った公家を監視する役人も同時に付いて行きその地域へ同化して行ったのです。
京都の都では武士の登場で公家社会が武士社会になった事により、地方公家領地も大きな変動が生じ越後国分寺も三条西家に移管されて来た越後市の座も、上杉謙信と三条西家が争う事となり上杉謙信により敗退し、700年近く続いた越後国分寺も衰退し、現在の上越市の五智国分寺へと移転するに至ります。
戦国時代に正親町三条家から近江の浅井家が誕生します。その浅井家は織田信長によって滅亡します。しかし三人の残された姫は淀君になり、次女は京極家、三女は二代将軍秀忠の元で家光を誕生します。家光の乳母は春日局であり、京都三条西家で修養し養女としての格式を得て家光の元で仕えます。浅井家(正親町三条家分派)の血は徳川家光それを乳母として支えた春日局(三条西家養女)との間にこうした浅からぬ因縁があります。
奈良の平城京から長岡京を経て、京都平安京に都が遷都する流れの中での各一族の栄枯盛衰があり、同じ藤原一族の中でも権力を得て行く者、逆に敗退して地方へと活路を見出して行く者、武士の登場によって栄華を極めていたものも衰退を余儀なくされていくもの等々栄枯盛衰の状況は自然のもたらす理法と言えるのです。
「勝者は歴史を作り、敗者は文化伝統を作る」こうした背景の中で、都から大きく離れた地域に名称として現在も残っている地名には名称の中に込められた以上の思いと一念が含まれているように思うのであります。
府中と言うのは国分寺を示す名称であり、東京でも国分寺と府中の地名は残されております。この国分寺が日本全国に創建されたのは西暦737年であり各国ごとに創建されたのです。
奈良時代の仏教の特徴は王権の安泰と国家の平安を護る「鎮護国家」の仏教と言う点にありました。国分寺の創建も仏教の教理を普及するよりも仏教を一つの呪術(陰陽道も含む)と考え、その力で国家を保護し国家に繁栄をもたらすことを求めたからです。
越後国分寺を統括していたのが三条家であり正親町三条家であり三条西家でありました。この間、奈良時代・平安時代・鎌倉時代・室町時代・戦国時代と時間は経過して行きます。
人の縁とか因は脈々と続いている要因であり、見える範囲の事柄はこうした歴史の流れの中に於いては一瞬に近い出来事でありますが、人間の人生の根元が潜在していると考えて行くと因縁と言う言葉の深さが理解出来る訳です。
テロ事件のアフガニスタンにしてもイラクにしてもシルクロード隆盛の頃には世界中の富が集まると言う位の繁栄した時代がありました。しかし石油と言う豊かさの再来を掘り当てたのにかかわらず民族の苦境が続いております。利害利権の温床となっている悲劇があり5・6百年の繁栄の元を得ても逆に苦境が生じて来ております。
栄枯盛衰のサイクルは、長期的には720年と言う単位があります。そして360年・180年・72年・60年・36年・12年・10年・7年・4年と言う周期のサイクルがあります。人の運命にも周期サイクルがあります。その土地や地域や一族・家族にも「惜福・分福・植福」と言う言葉で表される「福分」のめぐり(運)があります。
昔、栄華を極めた所や地域にも、もう一度栄華はめぐります。ただ周期がどの年数の周期かと言う事であり受け入れる状態良否も加わります。
日本の歴史は、約700年は公家貴族の時代があり約700年武士の時代があり、明治維新後に新しい王権復興となり、約70年後に太平洋戦争に突入しそして敗戦となります。終戦後70年の平和が続いた日本でありますが、近くに一つの節目を迎える新しい姿が誕生するかの周期もあります。