大成を行う時に表面に立つ立場(勝ち運)とそれを支えて行く立場(負を担う運)があります。
歴史上の人物や、事を大成させて行く中での、「役割の分担」と言うべき要因であり、自然の理法の陰と陽の立場をお互いが自覚して功を成すと言うことであります。陰での負を担う事は勝ち運の立場にとって大変重要です。
日本古来の家庭であった夫を勝ち運(世の中で一流なる人として活躍する)に乗せる為、負の部分(家族の裏方としての役割および支え)を一身に担う生き方の家庭です。
戦後70年過ぎの現在において「合理主義」の名のもとに金銭中心・物資中心の家庭が増えています。「妻の役割・夫の役割」と言う儒教的思考の家庭や家族は少数派となってしまいました。
日本国民に「天から示された教示」として、今では核家族中心の教育を受け、合理主義の元に社会で勝ち運に乗って行こうとする女性の人達への警鐘のような気がします。
決して女性の社会参加を反対している訳ではありません。夫が勝ち運を求め、妻も勝ち運を求めて行った時、負を担わされるのは子供たちです。夫婦ともに勝ち運を求めて行くほど今の日本社会は成熟していません。
社会参加して世の中で勝ち運に乗りたい女性であるならば、負の部分を誰に果たして貰うかと言う「役割分担」を考えてから行動すべきだと思います。
家庭の良否は負を担う者の考え方ひとつで決まります。負を担うのは男性でも良い訳であり、妻が勝ち運を選択するのであれば、夫が負を担うべき立場です。
少子高齢化問題もこうした役割分担がしっかりと機能しなくなってから問題が加速されて来た事柄です。つまり男女同権と言う意識が、本来別々の役割を自然界から与えて頂いている要因を女が男社会に進出し同等化しようと言うところに大きな今の問題の根元があるように思います。
「天は二物を与えず」と言うのは都会の良い状況はないと言うことであり、役割の分担の重要性があるのです。夫婦ともに勝ち運に乗ることは難しいです。
確かに女性であっても男性気質で勝ち運にある立場の人も存在しますし、逆もあります。それはよくよく自分の気質器量を自覚することで勝ち運・負を担う運に優劣の差はないのであります。
人と言う字は支え支えられる形であります。お互いの言葉に「ありがとう」と言う感謝の心、「ご苦労様」と言う報恩の心があれば勝ち運・負を担う運の分担の差はないのです。