2009年8月 のアーカイブ

気学で見る元英国首相サッチャー女史の軌跡

2009年8月24日 月曜日

三期11年半と言う長期政権をやり遂げた、元英国首相サッチャー女史の軌跡をご紹介します。

元英国首相サッチャー女史  1925年10月13日生まれ(本命三碧木星丑年・月命六白金星戌月生まれ)

1925年10月13日イングランド北部の田舎町グランサムで雑貨屋を経営する子として生まれました。少女時代は店番に立ったこともあり、サッチャーイズムの根幹をなす「働かざる者、食うべからず」の自助の哲学は、厳格で勤勉な家庭の中で培われたのです。

オックスフォード大学に進み、女史が専攻したのは化学でありましたが、保守党活動に手を染めたのは、地区議会の同党議員であった父親の影響が大きかったのです。

本命三碧木星は女性であっても「長男」の象意であり、相続継承の星です。思想的に父親の思いを相続継承したことになり、月命六白金星にもそのような象意があります。

卒業後、代々塗料会社を経営する富裕なる家のデニス・サッチャー氏の後妻におさまります。また政治活動に専念できたのは、夫の経済力があったからと後年述壊しております。

1959年(昭和34年・五黄土星亥年)に3回目の挑戦で下院議員に当選しました。女史の本命星が東方位に廻座し盛運年2年目の運気であり、運気盛んに上昇し発展して行く時期にあり、3回目の挑戦が大きな開花への足掛りとなります。この東方位廻座で当選したことが、後の大輪へと伸展する所となって行きます。

1975年(昭和50年・七赤金星卯年)において、保守党のヒース党首(元首相)は労働党に政権を奪われており、保守党大会でそのヒース氏を破り、初の女性党首となりました。

運気的には北方位に本命星廻座で、最低の衰運期年(厄年)にかかわらず、時勢が味方したのは、初当選した亥年と、この年の卯年は三合の好運発芽旺盛年に当たったからです。(しかし最後期に至り、北方位廻座(厄年)発進が不利を生じます)

1979年(昭和54年・三碧木星未年)の5月の総選挙で、保守党が勝利し労働党から保守党への政権を奪回します。そして英国議会初の女性首相になったのであります。本命三碧木星は中宮位に廻座し、盛運期4年目の開花・結実期の状態にあり、過去の努力が認められて、大きく飛躍したのです。

1979年英国の長い不況の中で首相に就任したサッチャー首相は、週末ごとにテレビ演説で「大きい政府による福祉国家は、むしろ人間の尊厳を踏みにじむものだ」「英国を真に偉大にするために再び自らの脚で立とう」と言う理念を掲げます。そして地道に自立への方向性と自らの政治信條・理念を説いて歩きます。

こうした努力に対し、英国の国民は「民主主義なのだから生き方は個人の自由だ」と反発も強かったのです。しかし大ストライキでロンドンの街がゴミで埋まる「不満の冬」の最悪の事態を経験します。そしてその要因や改革されない要因が国民の不満となりサッチャーイズムが浸透して行きます。

そして首相に就任して行くまでの状況は、気学三合の理に則した軌道があり、生・旺・墓と言う流れが亥(生)代議士に当選する。卯(旺)党首になる。未(墓)首相になる。と言うステップを如実に辿る結果となったのであります。

それが三期11年半と言う長期政権の土台となり、こうした天理天道の上に則った「軌跡」が英国最初の、女性首相の誕生の背景にあったのです。

人は何を以って成功とするか、下院議員に当選した時か、党首になった時か、あるいは首相になった時か、意味の異なるところではありますが、人の成功と言う影にはこうした「人智」を越えためぐり合わせと言うものがあり、決して「我が力」のもたらすのみにあらずなのです。

サッチャー女史にとって男性上位の保守政治の中で、ハンデがコンセンサス(意見の一致等)は信條、原則価値観の放棄、「コンセンサスの旗の下で、誰が戦争に勝っただろうか」との名言を放ち小さな政府造りと市場・自由経済の追求へと一途に邁進し、税制改革・民営化・労組の切り崩しに成功し、「英国病」に苦しんでいたどん底の経済を立て直したのです。

1982年(昭和57年・九紫火星戌年)4月から6月にかけ発生したフォークランド紛争(アルゼンチンとフォークランド諸島の領有権をめぐり軍事衝突した)の勝利で国民的英雄となりました。

この年はサッチャー首相の運気は衰運年3年目の変化改革や停滞等の機運の年であり、苦しい情勢にありました。しかし持ち前の信念と哲学があり、強い行動力で衰運期を打開し、跳ね除けられた状況があり、めぐり合わせた苦境を強い実行力で困難を克服し、プラス要因に変えた訳です。強い信念と行動力で運気衰運年を打開したのです。

1983年(昭和58年・八白土星亥年)6月に危ないと言われた総選挙を圧勝します。政権の2期目に入ります。(日本においては中曽根内閣が誕生した年です)この年のサッチャー首相の運気は衰運年4年目にあたり、名誉・名声の顕現を見る年でありました。またサッチャー首相の軌道三合の亥年であり、運気のめぐりは衰運年であっても、軌道三合の亥年と言う「新生」と言う新たなめぐりの機運の生じた年でした。

出発の時が一つの軌道現象の基になり、次から次への難局を乗り越え打開出来て行くのは、出発時の大切さがあり新規参入の着手時の運気に左右されるのです。物事の最初着手行動の大切さがここにあるのです。良い時期(盛運期)に始動は運気開花の基です。

1984年には中国と香港返還の合意があり、訪英したソ連邦ゴルバチョフ政治局員(当時)と会談し、その手腕を認めその後「東方外交」を進めて行きますが反共姿勢を貫きました。またEC経済統合問題においても信念を通したのです。

1987年(昭和62年・四緑木星卯年)6月の総選挙で保守党が大勝します。英憲政史上最長の三選を決めます。しかし盛運年3年目でありますがサッチャー首相の本命星三碧木星に暗剣殺(他動要因)の付いた年に三選を果たした事になり、辞任の要因を暗示することになります。

これ以降少しずつ後退の機運が目立って来るのです。運気の三合の軌道の流れから言えば平成3年の未年に辞任があるのが流れですが、三選した年の本命に暗剣殺が付いている状態が、ここに来て顕現し辞任を早めたのです。

妥協を許さない強い信念の元に貫かれたサッチャーイズムも、1980年代の英国の政治経済の強いけん引車も、三選以降は運気の衰退の状況の中で、ともに色あせて行きました。

政治手腕は「鉄のサッチャー」と呼ばれ業績においても歴史上で屈指の偉大なる政治家と称されると思います。英国政治の議会に残したものは、この12年間の間に中庸の伝統「よりよい道を協議と理論を持って戦い妥協点を見出して行く」と言う継続の精神が、壊され崩されて来て右と左に大きく傾いて、保守党と労働党の間に大きく差の生じてしまったことは、力の強いリーダー政治家の後等に、しばしば生じる現象です。

気学的に考査して一個人としてのサッチャー女史の軌跡を見ると、良い軌道時(盛運年)に乗って成功成就の道を極め歩めたと言うことは特筆すべきことであります。

みちのしらべ「陰陽祐気学」本サイトはこちら

みちのしらべ 毎日の運勢はこちら

みちのしらべ 今月の運勢はこちら

気学で見るプロ野球川上・長島・王の三合関係

2009年8月18日 火曜日

今回はブログにも頻繁に出てくる三合の関係についての良い実例を述べます。

川上哲治氏 大正9年3月23日生まれ(本命八白土星申年・月命一白水星卯月)

長島茂雄氏 昭和11年2月20日生まれ(本命一白水星子年・月命八白土星寅月)

王 貞治氏 昭和15年5月20日生まれ(本命六白金星辰年・月命二黒土星巳月)

川上氏は申年生まれ・長島氏は子年生まれ・王氏は辰年生まれです。気学では相生相剋の吉凶は九星で判断、十二支は「縁」「容姿」を判断します。つまり外因的なる要因は、時や時節に左右されることが生じますが、内因的なる要因は、時や時節に左右されません。現役時代の縁だけでなく一生涯の縁となって行きます。

三合関係にとって申の主星に対して従星が子であり、子の主星に対して従星が辰であり、辰の主星に対して従星が申であります。主星は従星に運気を与え、従星は主星に尽力するという関係であります。

長島氏夫人を紹介したのが王氏であります。この三合関係の縁は、人物のみならず方位の活用にも及んでいるのであります。長島氏と王氏は、九星も相生関係は吉であり、十二支の縁もあり、生涯を通しての関係ということになります。

巨人時代に残した業績は「記憶の長島・記録の王」といわれ、天才肌の長島に対して努力肌の王として活躍していたのです。この二人の選手を指揮したのが信念の人といわれる川上氏であります。

読売巨人軍のV9という偉業はこうした縁による三合関係の吉兆があった訳です。

三合関係にて良い相性は子―辰-申・丑―巳―酉・寅―午―戌・卯―未―亥となります。

逆に相生相剋の悪いのは子―午・丑―未・寅―申・卯―酉・辰―戌・巳―亥となります。

みちのしらべ「陰陽祐気学」本サイトはこちら

みちのしらべ 毎日の運勢はこちら

みちのしらべ 今月の運勢はこちら

心の豊かさを求めて

2009年8月11日 火曜日

お盆休みの期間に入りました。今回はこの期間に改めてゆっくりと自分と向き合って「気付く心」について考えて頂ければ嬉しいです。

時代は進み人間の生活も格段に発展して来ておりますが、心の部分での人間の発展は何か袋小路に入り込んでしまったような状態となって来ております。

哲学が喪失してしまった時代であり、生活の向上発展以上に、心の豊かさとも言うべき事が少しも向上発展しない時代と言えます。

「心の豊かさとは」と問われた時、「気付く心持つ」と答えます。佛教では「悟り」と言いますが、一つの事柄に対して多くの人々の思いや努力があり、その裏に気付く事だと思います。

人生において前半の時代は努力して基盤を堅実に築き(きずき)あげて行きます。人生の後半の時代は、ある程度経験を至って来たことにより自省・反省の中にふっと気付く(きづく)ことがあります。

言葉には「言霊(ことだま)」と言って、言葉には「神宿る」の教えがあり、「きずき」と「きづき」には人間として成長発展の意気が込められている反面、過ぎて来た人生の足跡も含まれるのです。

自分の人生を築き「往く道を築き」そして、今日まで歩んできた人生の自省・反省による「来た道に気付く」そこに精神があり、理念があり、趣旨があります。

仕事や生活の中の事象・事柄等々の状況下で、常に些細なことであっても、先ずは気付く努力を心掛けることが大切です。情報化社会の中で情報が溢れてついつい大きな事柄や事象に目を奪われ勝ちになり、大きな事柄のみに対応が追われ勝ちに成り易いと言います。しかし大事とは小事の積み重ねの成果にあることを知る必要があります。

情報が溢れその情報は正邪良否の多岐多様に亘り判断の難しさがあります。そして大きな社会事件に発展し、問題化される状況のきっかけの始まりに、小さな事柄や小さい事象からの始動があります。

その事後から考えれば、「何でそんなに些細な事が、あるいは簡単と思われる要因が出来なかったのか」と思われ勝ちでありますが、物事の崩壊現象や大きな問題の予兆としてのきっかけは小さい事柄や小さい事象の見落としにあることは、過去の不詳問題や事件に多く実証されております。

時代は複雑多岐化して捉え難い状況にありますが、どんな時代が到来しても「心理はひとつ」であります。物が溢れて生活が豊になっても心の機微は変わらずに、物事は一つ一つの積み重ねの上に成り立っているのであり、途中の経過を機械やロボットや機器が介在して利便性を高めているだけであり、人間本来の気付くと言う思考が失われれば社会崩壊に至る要因となります。

仕事や生活の中で小さい積み重ねの努力は、根気や忍耐の求められる要因であります。そして何よりも大切なことは、人の気付かぬ事に気付き実行する心は貴重な財産です。

人生の行く道を築くのも、人生の来た道に気付くのも共に「き」が根元であります。人生をより豊かに築く導きであり、歩んで来た人生に気付くという自省が繁栄の礎であることを含むからです。

今あることのみをただの現象面・偶然と考えるのではなく、その裏を考えれば必然性のある事に気付く筈です。物資に溺れると思考が停滞し快楽に走ります。時代の流れに合わせようとすると自己を見失います。そうした状態が今の日本の中に蔓延しつつあります。

自由経済の競争した社会から貧富の差が拡大していると言います。しかし何ら恐れる事はありません。自分の生き方・方向性(目的観)を持って歩む時代です。豊かさは物や金銭意外にも得る事は出来るのですから。

みちのしらべ「陰陽祐気学」本サイトはこちら

みちのしらべ 毎日の運勢はこちら

みちのしらべ 今月の運勢はこちら

気学で見る「そごう百貨店」の軌跡

2009年8月4日 火曜日

百貨店業界の低迷により再編や閉店が続く中で、老舗百貨店「そごう心斎橋本店」の閉店が8月31日に近づいています。

ここでその軌跡を振り返ってみたいと思います。

1830年(天保元年・八白寅年)古着屋「大和屋」として大阪船場で創業。

1877年(明治10年・六白丑年)大阪・心斎橋に移転。

1919年(大正8年・九紫未年)株式会社「十合(そごう)呉服店」を設立。

1933年(昭和8年・四緑酉年)百貨店第一号大阪店が一部開業。

1957年(昭和32年・七赤酉年)東京有楽町に進出。

1962年(昭和37年・二黒寅年)興銀出身の水島広雄氏が社長就任。

1967年(昭和42年・六白未年)4店目・千葉そごう開業。

1969年(昭和44年・四緑酉年)社名「そごう」に変更。

1984年(昭和59年・七赤子年)タイに初の海外進出。

1991年(平成3年・九紫未年)国内外の店舗数30店。

1994年(平成6年・六白戌年)水島氏会長に、第一次再建計画。

1997年(平成9年・三碧丑年)第二次再建計画。

1999年(平成11年・一白卯年)山田恭一社長。

2000年(平成12年・九紫辰年)2月茂原そごう閉鎖・4月水島会長辞任。倒産。その後セブン&アイ・ホールディングスが運営。

2009年(平成21年。九紫丑年)そごう心斎橋本店が閉店。

昭和32年(七赤酉年)に東京有楽町への進出でしたが実利が伸びなかった。気学上において大凶方位の五黄殺に進出しました。

水島広雄 明治45年4月15日生まれ(本命七赤子・月命六白辰)

拡張路線の陣頭指揮に当ったのは、1958年(昭和33年・六白金星戌年)に日本興業銀行から副社長として入社し、4年後の1962年(昭和37年・二黒土星寅年)に社長に就任した水島広雄氏で、約40年間に亘り実権を握って来た社長です。

水島氏の入社は衰運期1年目の年であり、自ら暗剣殺を持ち、気学上は不利多難の状況年です。そして社長に就任した年は、衰運期5年目の厄年に当たり、「一陽来復」の機運があっても周囲は決して良い因の時とはいえず、始動年としては良果に至る年ではない要因です。

昭和42年の多店舗展開も衰運期1年目であり、バブル期の昭和60年(六白丑年)から平成2年(一白午年)までの5年間は、バブルの上昇期と、水島氏の運気状況が反比例しており、水島氏の5年間の衰運期の時期にバブルの拡大時期と重なり、膨大なる負債額へと広がり倒産に至りました。

大正8年(九紫未年)に㈱十合呉服店を設立し、百貨店経営業を始めて72年後の平成3年(九紫未年・気学周期の9年×8周期=72年)拡張のピークを迎え以後、減収と不良経営へと転じて行く事になり、平成12年(九紫火星辰年)に倒産となります。

倒産後はセブン&アイ・ホールディングスが運営しましたが、9年後(平成21年・九紫火星丑年)の今年、そごう心斎橋本店は8月31日に閉店となります。

大正8年の九紫火星年に始まり、今年の平成21年の九紫火星年で終わる運命でした。

店舗は大丸や松坂屋を傘下に置くJ・フロントリテイリングが買収、南隣にあって長年のライバルだった大丸心斎橋店の「新館」として11月に営業を始めることになります。

みちのしらべ「陰陽祐気学」本サイトはこちら

みちのしらべ 毎日の運勢はこちら

みちのしらべ 今月の運勢はこちら