今年、高野山は開創1200年目にあたります。
登って来た下界が夕暮れの中で、雲にすっぽりと入ってしまい、遠くの山々と共に白と灰色の「墨絵」の世界となって雲の白さが一段と冴えて白色の深みのある雲が眼下に広く拡がって見えます。
高野のお山は1000メートル前後の山々が連なっていますが、夜と昼の寒暖の差は厳しいです。山頂の上に広がる台地に約1万人近い人達の修行生活や門前の人達の生活があり、1年間に約200万人の参詣者が、高野のお山に登って来ると言います。
高野山(和歌山県・高野山という名称の山は無い。)は皆さまがよくご存知の弘法大師空海さまが開山(西暦816年)なさり、入定しております日本の真言仏教最大の聖地であります。
東に楊柳山・東南に麻尼山・南に姑射山・南西に虎ヶ峰・西に応神山・北西に弁天嶽・北に宇宙ヶ峰・東北に勝蓮華院山の八峰による八葉蓮台を自然形成されて、その中心に金剛峯寺を配置し、中央に根本大塔を建立し弘法大師さまの入定位である奥の院は東方(発展)の配置にあり、西方浄土に向けて西方に大門が配置され、仏教思想の基本が気学の相学のうえからも広く実践配慮されています。
宗門3600寺院に上る中で身近な弘法大師さまの御縁の場所は東国三十三ヶ所・西国三十三ヶ所・四国八十八ヶ所・秩父三十四ヶ所・浅草の観音様・成田山のお不動様・川崎のお大師さま・西新井の大師さま等が私たちの身近な存在として信仰を集めています。
弘法大師さまが後半生に情熱を傾けて造営したのが高野山「金剛峯寺(こんごうぶじ)」であり、昔は山全体を「金剛峯寺」と称していたと言います。西暦835年3月21日に入定し即身成仏をとげられ、今でも奥の院から西方浄土への導きを示されています。
一の橋から参拝します。一の橋から御廟まで約2キロメートルの道のりには、おおよそ20万基を超える諸大名の墓石や、祈念碑、慰霊碑の数々が樹齢千年を超える杉木立の中に立ち並んでいます。
一の橋の近くには第2次大戦の慰霊塔・関東大震災の慰霊塔・曽我兄弟・平敦盛・熊谷直実・武田信玄・徳川吉宗・大岡越前守・伊達正宗・石田三成・明智光秀・柴田勝家・井伊家一族・薩摩島津家・初代市川団十郎・上杉謙信と歴史上の人物が続きます。
中の橋を過ぎると徳川家の千姫や秀忠夫人・広島浅野家・浄土宗開祖の法然上人・真宗の親鸞上人・加賀の前田家・浅野内匠頭・織田信長・豊臣秀吉等です。
御廟橋には水向地蔵尊や観音様が祀られており願い事を薄い杉の五輪に形取った枝に掛けて水を掛けて「安全」を祈念します。
右手の手前には春日局の墓があり、そして御廟には天に向かって一直線に伸びる杉の木があります。「節のない杉」が何本も立っています。普段、枝は太陽の方向に伸びて成長しますがこの杉は何十メートルと枝がなく、ただ一直線に伸びております。
高野山の奥の院に立って「合掌」していると「我」を忘れます。今こうして生を受けていること、時と言う流れも忘れます。
「この世は無明な世界なれど、精一杯徳善の心を持ち、今ある事に感謝・今ある事を自覚・今ある事に目覚め・今ある事に感動・今ある事に報恩せよ・日々それが使命となり、それが生き方になり、それが無明多きこの世の指針なり」
過去を引きずる生き方は不幸を招きます。不利な過去は「忘れる」事で人生は幸福になります。常に前向きな行動と「祐気とり」実践はあなたを変えてくれます。多くの方が毎月「祐気とり」を実践されております。人生の中で一度は訪れて見たい高野山です。
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