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五感を感じる

2017年10月21日 土曜日

祐気とりの実践は常に人間が自然と共にあると言う自覚の「行い」行動であると思います。

人間には「五感」と言うものが備わっております。自然界にも五つの「発動の気」があります。この五感を働かせる事が、「開運」への基盤作りであり、根元要因であります。

①自然を目で見ることで、今の季節の色彩や情景や風情を知り、自然の移ろいを感じます。(視覚)

②自然を耳で聞いて、自然の中の生きる物音を聞き、自然界の躍動感を感じます。(聴覚)

③自然界を鼻で、香りをかぐことで、腹いっぱいに香りを吸いこむ事で、自然の祐気を感じます。(臭覚)

④自然より湧き出るお水や果実や山菜を味わうことで、素朴な臨場感と味覚を感じます。(味覚)

⑤自然に触れて見て共に共生しているものより、活力と励みを得て、より共生を深める事が出来ます。(触覚)

この五感で得る体験は成長期に於いても、また成人しても大変重要な事であります。

生活や実社会では自然観がどんどん希薄となり、疎外される状況になって来ております。本来の自然と親しむと言う事は、自然のサイクルを知り、人間の五感を働かせて、楽しみ行動することであります。

自然は楽しい感動の反面、恐ろしい脅威の面もあります。自然を軽く見てかかれば生存すら危うくなる時もあります。十分に注意して行動して下さい。

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人は生かされている

2014年8月1日 金曜日

人は気学や経験的な教示を無頓着に迷信と避けたりして、この科学的な合理的な時代に「何と古臭いことを」と言う人が多く存在します。

しかし気学と言う教示学は自然界を手本として人が自然界と共生して行く理法を示したものであり、決して根拠のない場当たり的な占いでは無いのであります。

人生経験を重ねる中で、人は自然界の中で法則の中で「生きているのではなく、生かされているのだ」と改めて気付くのです。勿論、一度の人生をどう生きるか、自然界なるものの法則を無視しても生きて行く事は出来ます。しかし自然界からの法則から脱出する事は出来ないのです。

今、世界は地球単位で考える時代の中で「共存共栄」と言う思想が求められて来ています。考え方や思想や宗教は異なっていても「共生」して行かなければならない時代へと変革して来ています。

そうした時代の流れにあって「共生」を求めて行く時に、常に「寛容と忍耐」が付きまとって来るのであります。

今、こうした世界の流れの中で「共生」の思想とは正に日本の歴史が至って来たものです。古代神道の中に儒教・仏教・道教とそれぞれの立場を活かしながら至って来た歴史があるのです。戦後日本は敗戦から欧米追随思想を追い求めあるいは明治以降からかも知れませんが現在に至って来ておりますが、その間「共生」のための知恵をみんな切り捨てて来たのであります。

時代はめぐり物事の事柄や事象はバランスにあると言うことであり、この真理こそ「人は生かされている」と言うことへの自覚の始まりであります。

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自然と共存共栄

2013年6月12日 水曜日

気学の教示に示される「天の道は人の道である」と言い、自然界で教示される天の五つに通じます。また人間には五欲と言って食欲・物資欲・性欲・権力欲・生命欲があり、その欲を満たす為にこの世に誕生したとも言えます。

しかし東洋人と西洋人とに於いて基本的な考え方に違いがあります。

西洋人は五感(視覚・聴覚・臭覚・味覚・触覚)を中心に事物を判断し体系化しますが、東洋人は自然界の目に見えない五感以前の「気」のはたらきを基調としています。

この「気」と言う言葉は西洋の辞書には見受けられません。西洋の文明は科学の発展進歩に大いに貢献したが、物質主義・合理主義の行き過ぎが、逆に人類破局へと追い込む危機を発生させました。

宗教・信仰も生きるための支柱が宗教対立を生じ、今でも争い西洋に於いては一神教として世界を支配し、21世紀に入ってもキリスト教・イスラム教等の国々で紛争や戦争や動乱等を繰り返し続けています。

日本に於いては自然界を神として、大自然と共に歩むと言う神道観が古代から発生し、中国からの仏教・儒教・道教との自然観と共に活かした共存共栄の道が教示されて来て大自然と人間社会が一体となり共に反映し合あう宗教観でありました。

しかし太平洋戦争で敗戦となり占領軍による撤廃した家族制度の崩壊策と便宜的に神(自然界と共に歩む)が宗教扱いされてから混同され、大宇宙の精神、大自然と共に動き報恩感謝の行いに忠実であった日本の歴史。文化・伝統が忘却に至って来ておりました。

ここに来て(平成の現在)昭和の再来ブームや仏像や寺院・仏閣が静かなムードを起こしています。

「衣・食・足りて礼節を知る」この礼節文化が残っていた時代が再考され西洋思考の自由主義競争社会の厳しいストレス社会の中で、日本の自然と共に共栄して来た昭和の時代へ、温もりと癒しを求める人たちが如実に増大して来て新たなる再生の機運も発生している状況です。

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秋の紅葉が見ごろ

2012年11月1日 木曜日

秋の紅葉が見ごろとなっています。

多くの方が美しい紅葉と自然に触れて楽しんでいらっしゃると思います。

戦後の森林産業は材木生産と言う木の幹のみを見て、葉の持つ役割や、葉の持つ重要性は一切見て来なかったと言います。

葉の持つ重要性は、秋の季節に人々に紅葉を楽しませてくれるだけでなく、水の保水や自然界の破壊には欠かせない役割を果たしているのです。

経済発展の為に、山の体形が社会の求める方向に改良されて行き、それにより自然の循環作用が失われ、また社会の動向が変化した時に、山は急速に変化出来ずに社会から疎外さて行く事になります。

このような状況から最近では台風や大雨で大きな被害が出ております。

また都会の「時間」と山間の「時間」には、同じ時間であっても大きな差があり、都会は24時間眠らない状況でコンビニ・カラオケ・マンガ喫茶・ゲームセンター等々の夜を通しての遊び場が日常の生活の中に入り込んでいます。

遊びと学ぶことのケジメの難しさや、また携帯電話の普及で場所の見境もなくなってしまった状況もあります。情報が街に溢れて判断がマヒしてしまい、活用する手段が逆に思考停止の状態を起こし、情報をしっかり判断する事すら出来ない弊害にもなっています。

山間の時間は昼間の太陽が昇って沈むまでは人間の時間ですが、太陽が沈んでからは山間の動物の時間となり、鹿や猪や狸や狐やむささび等々の時間となるのです。

21世紀は「共生」の時代と言われております。アメリカの一国主導による弱肉強食の競争社会による社会体制が広がり「力こそ正義」「お金こそ豊かさ」を満足する力と言う事が流布して来ました。それにより情緒が失われ自然が破壊され何か大切なものが失われて来た事に危惧を感じます。

つまり何事に於いても「程々の精神」が重要であり、そこに「惜福」と言う考え方、先に対する備え、あるいは次世代や子孫の為に使うべきであるのです。

今の人々が全てを使い切った時、将来の人たちには希望が生まれません。

吉方位にあたる場所でリフレッシュや気分転換をして自然に触れたりして下さい。都会から少し距離をおいてみるのも良いものです。

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