2019年3月 のアーカイブ

季節は冬から春へ

2019年3月21日 木曜日

今年の暖冬の冬から春へと桜前線が北上して来ます。暖冬の影響から今年は開花が早いようです。

自然界は私たちに多くの教示を示してくれますが、こちら側にその真意を悟る思考力がなければ何の役にもなりません。

会社の経営でも成功と言う開花があっても慢心と言う意味の温床が付いて来ますと急激なる下降線を画く訳であります。

功なり名を成した時に大切なる事は花冷えに見られるごとく、常に試練と言う「寒さ」を与えることではないかと思います。

「勝って兜の緒を締めよ」と言う格言は、真にこうした油断や慢心を戒める教訓と思うのであります。

少しでも成功成就を得たならば、それを長く持ち続けるために試練を課すことは大事なことと言えます。成功すると慢心なる心から温床なる方向へと行きたくなり、試練とか苦言を遠ざけて行くことになります。それば長く咲くべき花であっても早く散らす原因となって来るのです。

経営する中で多くの学ぶ点が自然界の現象の中で含まれているのであり、こちら側の学ぶ視点と言う努力と理解力がなければ、春の自然界の示してくれる姿から、一時の楽しみで終始して行くことになります。

使われる立場と使う側の立場の違いは、こうしたちょっとした自覚からの違いからと思います。

春と言う季節は土中の根張りの期間が過ぎ一気に存在を示す期間であり、勉学を終了した社会の中に出発する若者のようでもあります。

そして春の土用(4月17日より5月5日)にまた自然界は次の伸展の為に、エネルギーを蓄えます。そして次に初夏の季節を迎える訳であります。
土用の期間は次の季節への飛躍のための自然界の充電の期間であり、エネルギー補充の期間でもあります。

鬼門方位の事象NO2

2019年3月11日 月曜日

前回(鬼門方位の事象NO1)からの続きです。

天海僧上は鬼門除けとして上野の寛永寺を建立し、もうひとつ水戸に(江戸より東北方位の表鬼門)に徳川幕府の副将軍を配置しました。

そして水戸徳川家を副将軍として、丑寅の鬼門方位から将軍就任を出さぬように永代副将軍として戒めたのです。

丑寅は八白で「止まる・変化変革」の方位であり、徳川幕府260余年歴代15代目にして徳川慶喜が水戸家出身と言うめぐり合わせとなり、新しい明治へと移行することになります。結果として徳川幕府は15代で終わりました。

丑寅の方位には「変化変革」の方位であり、そして徳川260余年の崩壊はこの丑寅方位から始まりました。

家康の孫にあたる徳川光圀(水戸の黄門様)は「水戸学」と言われる基盤の「大日本史」を編集し尊皇思想を芽生えさせたことにあります。

幕末期、新しい改革の芽は水戸藩の尊皇攘夷(そんのうじょうい・君主を尊び、外敵を斥けようとする思想である)を産み出しそれが薩摩・長州へと広がって行きました。

慶喜の生き方が「明治」の時代の表の発展に隠れてはおりますが、裏の支えも重要です。「勝者は時代や歴史を作り、敗者は文化伝統を作る」のです。

世の中に役立つ役割を知って、生きる生き方もある事を慶喜の生涯を見ますと理解出来ます。

丑寅の持つ重要性は日本の歴史のみにとどまらず世界史の中でも見る事が出来ます。

① 日本が太平洋戦争で戦った相手国は米国と言う鬼門方位です。そして敗戦国となりました。

② 第二次世界大戦で常勝国のドイツ軍はモスクワ(鬼門方位)侵攻で敗退となり崩壊する。その後50年近く国が分断されたが、ソ連の崩壊で東西ドイツが併合されます。

③ 第二次世界大戦のフランスはドイツが鬼門方位で一時フランス国はドイツ軍によって侵略制圧された。

④ チェコスロバキアにとってもソ連(現在ロシア)は鬼門方位であり、自由化運動が弾圧された経緯があります。

⑤ エジプトにとってイスラエルが鬼門方位であり中東戦争は何度なく繰り返されています。

⑥ イスラエルにとっての鬼門はシリアです。

⑦ パキスタンにとっての鬼門はインドです。

⑧ 東南アジアにとっての鬼門は日本です。

注意として国と国の方位関係を見る時は首都と首都で判断します。

現在においてもこの鬼門方位の関係は凶作用が多く起きています。その為戦争やいざこざが絶えません。

鬼門方位の事象NO1

2019年3月1日 金曜日

今年は東北方位(表鬼門)に暗剣殺、南西方位(裏鬼門)に五黄殺が廻座する年です。そこで鬼門について更に詳しく解説します。

天海憎上(天文5年・西暦1536年生まれ・本命五黄土星申年)は寛永2年の西暦1625年に江戸城の鬼門方位に当たる忍岡(現在の上野)に寛永寺を創設し東叡山と称して自ら第一世となり、徳川家の廟所ともなりました。

比叡山が京都御所の鬼門の守りとして創建され、江戸は京都を範として町造りを造成したのです。その基盤思想に「陰陽五行説」「風水説」「四神相応説」がありました。

一般に言われる所の鬼門方位は十二支の丑・寅方位である東北方位の60度間を示している方位です。九星では鬼門方位は後天定位八白の存在する方位です。
八白は土性であり、山・丘・高いところの事象です。

丑の月は1月にあたり、寒中の期間であり寅の月は2月にあたり立春の節気であります。

丑は十二支の終わりで地中発芽の内攻期であり、寅は十二支の始まりで発芽顕現の状況です。その意から丑寅は「万物終始」の定位と言われ八白の事象の「止まる」意があり、山は動かずに止まる状態と言う相であります。

鬼門(丑寅)方位は止まる・終始と言う現象の顕現を見ることから、恐れられている方位となりました。

江戸城の徳川幕府にとって鬼門にあたる大名は仙台の伊達藩であり、その押さえとして徳川家康の11男頼房を配置したのです。

物事に於いて順調なる人がこの鬼門方位を用いますと、順調機運は「止まり」意となるところから、鬼門を恐れられる一因にもなっています。しかし逆に不順不調なる人が鬼門を吉方位として活用しますと(東北方位が吉方位に当たる時)不順不調現象が「止まり」順調なる機運に逆転すると言う鬼門現象の効果もあり、方位作用を知って用いることにより、有利に導くことも可能なのです。

鬼門方位を効果的に吉方位として活用すれば大変強烈なる作用で順運に戻す働きがあり、凶方位として用いますと他の方位と異なり強烈な凶作用が現出することから昔から鬼門方位の丑寅(東北方位)を表鬼門として恐れられて来たのはこの吉凶現象がより激しい作用からであります。

今年は表鬼門(東北方位)に暗剣殺、裏鬼門(南西方位)に五黄殺です。
その為、2019年2月4日から2020年2月3日までの期間はこの東北方位と南西方位を使わない事です。旅行・移転・新規な事柄・開店・輿入れは避ける事です。