2014年4月 のアーカイブ

宇多田ヒカルの運命

2014年4月21日 月曜日

宇多田ヒカル(32歳)さんが英ロンドン在住のイタリア人男性(24歳)と5月23日に相手の地元に近い海の見える町で挙式する予定と報道されています。おめでたいお話に水を注すようですが・・・

2013年8月22日に新宿区内でマンションから飛び降り自殺した母親の演歌歌手藤圭子さんの運命と娘の宇多田ヒカルさんの運命は似ています。

デビユーしてスターとなる・活動休止期間・再デビユー時・結婚と離婚等、母親と娘が同じような人生を歩む母娘であります。

藤圭子(1951年7月5日生まれ・本命四緑木星卯年・月命四緑木星午月)

1969年(18歳・四緑木星酉年・中宮位廻座)
デビユー。新規な事柄を起こす年ではない。

1971年(20歳・二黒土星亥年・衰運期2年目)
前川清氏(七赤金星子年生まれ)と結婚。結婚に取って良くない年でした。相性関係は悪い。

1972年(21歳・一白水星子年・衰運期3年目)
前川清氏と離婚。

1979年(28歳・三碧木星未年・衰運期1年目)
引退でアメリカへ。アメリカは東北方位で歳破殺・凶方位。

1982年(31歳・九紫火星戌年・衰運期4年目)
宇多田照實氏(七赤金星子年生まれ)と結婚。結婚の年としては 良くない年でした。相性関係は悪い。 

1983年(31歳・九紫火星戌年・衰運期4年目)
1月19日(前年の星です)。宇多田ヒカル出産、そして結婚・離婚(戸籍上はなし)が多数繰り返された。

2007年(56歳・二黒土星亥年・衰運期2年目)
宇多田照實氏と離婚 

2013年(62歳・五黄土星巳年・盛運期3年目)
新宿区内で自殺。9年に一度の最高の年の悲劇で逆運の運命となる。

宇多田ヒカル(1983年1月19日生まれ・本命九紫火星戌年・月命三碧木星丑月)

1998年(16歳・二黒土星寅年・盛運期2年目)
デビュー 

2002年(20歳・七赤金星午年・衰運期2年目)
紀里谷和明氏(1968年4月20日生まれ・五黄土星申年)と結婚。結婚の年ては良くない年でした。

2007年(25歳・二黒土星亥年・盛運期2年目)
紀里谷和明氏と離婚。

2010年(28歳・八白土星寅年・衰運期1年目)
アーティスト活動を無期限休止することを発表した。

2012年(30歳・六白金星辰年・衰運期3年目)
活動開始

2014年(32歳・四録木星午年・衰運期5年目・女の大厄年)   
イタリア人と結婚予定。女の大厄年の結婚で最悪です。この年に子供が生まれたら厄子となる。宇多田さんは九紫火星で相手は一白水星で相性関係は「水と火の関係」で最悪の相性関係です。

人生三大命とは宿命(与えられた命質で先天運を言います)・運命(めぐり盛衰の命運で後天運と称します)・立命(自ら律し磨く命魂であり修身と重なります)により定まる

命質は先天の質(器量)を知り、運(めぐり)で開花し、魂で永続を果たすことにあります。生まれて来た宿命は変える事が出来ませんが、運命は自分の力で変える事が出来るのです。しかし多くの人たちは命式に近い形で流されて行きます。

運命学の基礎的分野は、先祖そして親・自分へと受け継がれて来た命の継続を次の子孫へ「良き因果律」として受け継がれるようにと言う分野です。その為には「己れを知る」ということから出発します。己を知りそして長所を伸ばし短所を是正していく分野です。

案外と自分の事が解っているようで解っていないものなのです。ある意味では人間の人生とは「自分自身を知る為に生きる」のかも知れません。そして廻って来る運気(盛運期・衰運期)や相性関係を上手に使って己の人生を歩むのです。

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皇太子御一家

2014年4月11日 金曜日

早いもので皇太子ご夫妻の長女・敬宮愛子さまが6日、学習院女子中等科に入学されました。心からおめでとうございます。入学を前にした気持ちを問われると愛子さまは「楽しみにしています」とお答えになりました。

皇太子   御名「徳仁」称号「浩宮」
        昭和35年2月23日生・本命四緑木星子年・八白土星寅月

皇太子妃  御名「雅子」      
        昭和38年12月9日生・本命一白水星卯年・七赤金星子月

内親王    御名「愛子」称号「敬宮」
        平成13年12月1日生・本命八白土星巳年・二黒土星亥月

内親王愛子(あいこ)様の名前と称号の出典は「孟子」の離婁章句下(りろうしょうくのげ)より「広く人間社会で修養すべき基本を述べ敬と愛の重要さを説いた所」と言います。

本命八白土星の女子は生誕家系に強い要因があり、気学推命学では、「家付き娘」で、後々を立てる宿命要因があります。逆に本命八白土星の男子は養子相続となり易く生誕家系より、相手方を引き継ぐ要因となります。

また女系家族と言い、生まれる子供が女の子となり易いのが宿命です。そうした意味から申せば皇太子御夫婦にとって女子誕生は気学推命学から大変喜ばしい力強い内親王です。

それも年盤・日盤・刻盤と八白土星(相続要因)が三つも揃っての誕生です。また懐妊月と出生月は同じ月盤での二黒土星で、皇太子(月盤)と雅子様(年盤)が西方位宮で同会している状態です。

しかし皇太子の厄年に当る子であり、厄年(一陽来復)の子は一族の流れを変える要因から「女帝天皇説」が言われて来る要因です。

明治天皇 本命 四緑木星子年生まれ
大正天皇 本命 四緑木星卯年生まれ
昭和天皇 本命 九紫火星丑年生まれ
今上天皇 本命 四緑木星酉年生まれ
皇太子  本命 四緑木星子年生まれ
明治以降の天皇・皇太子の5名中で4名が四緑木星生まれです。

皇太子が本命四緑木星子年生まれで明治天皇と九星と十二支が同じであり、大正天皇をお産みになった藤原愛子(なるこ)さんは「柳原家」本命一白水星卯年生まれであり、相性ともに今の雅子さんと同じ星です。

内親王は島津家と結縁深き生まれであり、香淳皇太后が平成12年6月に逝去され、御称号と御名ともに敬と愛の文字を命名されており、明治期の西郷隆盛の、座右の銘が、「敬天愛人」(天は道理であり、道理を守ることが敬天であり、また人は皆自分の同胞であり、仁の心を持って衆を愛することが愛人の意味)です。

西郷隆盛も孟子から出典。愛子の文字が含まれ又鹿児島の屋久島にも「愛子岳」という山があり、香淳皇太后(島津家の血縁)の思い入れ深き状況に「愛子」という名の背景があると思います。

この「敬天愛人」を座右の銘にしている経営者も多く、鹿児島出身の稲盛和夫(京セラ創業者)もその一人です。

名前には偶然でない必然要因が強く反映されます。名は体を表し姓はその因果を示します。

益々の御一家のご発展をご祈願いたしております。

       

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因果応報

2014年4月1日 火曜日

「因果応報(いんがおうほう)」とは仏教の言葉で過去や前世の行なった事に対して言われる事です。良い行いをした人には良い報いがあり、悪い行いをした人には悪い報いがあると言われております。

波乱万丈の人生を歩まれた淡路恵子さん(1933年7月17日生まれ・本命四緑木星酉年)が2014年(五黄土星巳年)1月11日に80歳で亡くなりました。

淡路さんは四人のお子さんがあり、上の二人の男子はフイリピン人のビンボー・ダナオさんのお子さんです。下の二人(三男と四男)が故萬屋錦之介さん(旧・中村錦之介)のお子さんです。錦之介さんとの間に二人の男子が生まれ、三男は交通事故で亡くなり、四男は自殺でした。

1965年にビンボー・ダナオさんと離婚した淡路さんは1966年に当時の中村錦之介さん(後の萬屋錦之介・1932年11月20日生まれ・本命五黄土星申年・本名小川錦一・四男)と再婚しました(中村家に嫁いだ事が後々の災いに遭う)。

当時二人の結婚に母親の小川ひなさんは「錦之介が子持ちの女優の淡路恵子さんと交際しており(跡取り問題)」悩んでおられたようです。

中村家の家は東北方位が(表鬼門)欠けており、相続の悩みのある家相でありました。長男・次男は父親(中村時蔵)の跡目を継がずに、同じ芸能界でも作家の方になり、三男茂雄さん(昭和2年・本命一白水星卯年生まれ)が時蔵を襲名しましたが半年後、事故死となります。

1982年には中村プロダクションが倒産し莫大な借金を抱える事になります。その後、錦之介さんは大病を患う。そして1987年に淡路さんと離婚した錦之介さんは、1990年に再々婚で甲にしきさん(元宝塚歌劇団)と結婚する。そして1997年に他界する。

因果応報は錦之介さんと有馬稲子さん(1932年4月3日生まれ・本命五黄土星申年)と結婚(1961年・三碧木星丑年)した年が問題の年でした。3年7ヶ月後に離婚した。二人の間に子供はなかった(跡取り出来ず)

この1961年(三碧木星丑年)と言う年は中村家にとって大変な年でした。小川ひなさん明治38年1月6日(本命六白金星辰年生まれ)生まれ。東北方位欠け(表鬼門)の家相で小川ひなさんの本命六白金星が東北方位に1961年は廻座しており、表鬼門と称される恐ろしさが顕現した原因がこの年だったのです。この年に始動・着手したことは開花・結実を見ないで散りました。東北方位の凶現象です。

ひなさんを悩ませ続けた淡路恵子さんとの確執も淡路恵子さんの苦しみも因果応報の胴元にあります。

小川ひなさんが悩んだ事(歌舞伎界での相続問題や子供は後を継がなかった事等)、淡路恵子さんが悩んでいる事(中村家に嫁いで授かった二人の子供を失くし中村プロの倒産や病気等)、ともに親の心が子供には理解されずに残ってしまった(浄化されない念)ところに一族の吉凶の分かれ目があります。

忘れかけた1961年の行動・原因が後に結果となって来る応報という周期があることを改めて認識します。「因果応報」の教示は時代を超えて繰り返されていく真理です。

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