2010年11月 のアーカイブ

気学で見る順運と逆運

2010年11月21日 日曜日

運気は一定の周期を以って循環しております。毎月の運気は9ヶ月を一周期として、毎年の運気も9年を一周期としております。

盛運期4ヶ月(4ヵ年)あり、衰運期5ヶ月(5ヶ年)あります。1ヶ月(1ヶ年)衰運期が多いのであります。

盛運期は自然界において発芽から開花そして結実まであり、衰運期は熟実から落葉そして種となり地中での根張りまでの間であります。これが自然界の年としての周期であります。

盛運期は自分の本命星が南西方位廻座(誕生日以降から)・東方位廻座・東南方位廻座・中宮位廻座(この年や月に新規な事は避ける事)・北西方位廻座(誕生日まで)の4ヶ月(4ヶ年)です。

衰運期は北西方位廻座(誕生日以降から)・西方位廻座・東北方位廻座・南方位廻座・北方位廻座(厄年です)・南西方位廻座(誕生日まで)の5ヶ月(5ヶ年)です。

盛運期とは物事を積極的に行動に移すことの出来る拡張期であり、特に東方位廻座の月・年の時。東南方位廻座の月・年の時は運気の活発なる時だけに、大いなる拡張期にあり、そうした流れに則した行動が順運なるめぐりと言うのであります。

しかしながら時として衰運期の時に積極的なる行動をした為に、この東方位廻座や東南方位廻座において不利なる状態の現出することがあります。これを逆運と言います。

逆運の過去の一例として・・・過去のリクルート事件の江副元社長は衰運期(東北方位廻座衰運期3年目の昭和59年に政界工作して東方位廻座(盛運期2年目)の昭和63年に逮捕されます。本来現状維持で行くべき年に大きな積極行動が盛運期に不利な方向で顕現します。

元首相の大平正芳総理は昭和53年12月に首相に就任(本命星が北方位廻座の厄年)そして昭和55年6月(東方位廻座の盛運期2年目)に選挙途中において亡くなりました。

最近ではライブドア堀江元社長・村上ファンド元社長が逆運の人達です。この二人については次回のブログで詳しく発表いたします。

人の運命には親から与えてもらった器量(気質)があります。その器量を開花へ、また願望成就へと導くのは己の努力と意志があります。そして時節と言うめぐりであります。

順運・逆運とはめぐりの流れに則しているか、逆らっているかと言うことであります。また自然界の法則に従っているか、逆らっているかでもあります。

衰運期の中で願望成就を果たしても永続へと結び付かない訳であります。

「待てると言うことは運を掴むための一大要因」であります。時節を知って行動する事です。

人は出会いによって運命が決まるとも言います。運と言う運気は移動します。運気の順運の人に出会うと運を貰うことが出来ますが、逆運の人に出会うと運を取られる事になります。

またプラス思考(ポジテイブな考え方)の人は順運なる道が開かれて行きますが、マイナス思考(ネガティブな考え方)の人は逆運となって開運の道を閉ざす事になります。

運は自然界の法則である盛運期(順運)と衰運期(逆運)を知る事から始まります。

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根とは

2010年11月10日 水曜日

今回は「運とは?」「鈍とは?」に続く第三の「根(こん)とは?」です。

根の要因は根気の根でありますが、植物の根(ね)に通じる要因であります。良い花を咲かせんとするには良い土壌が必要となります。そしてしっかりと根(ね)を張ることが大切であります。

花が子供であるならば、枝や幹は両親であり根は先祖にあたります。

しっかりとした土壌にはしっかりとした根が張り、多少の風雨に耐えて行くことが出来ます。代々に至る継続された愛情とか思い入れがあり、良い開花・繁栄された開花となります。人の一生に置き換えても同様です。

何気なく人は自分の成功を我が力と思い勝ちでありますが、決してそう言うことはなく良き資質に恵まれたものが背景にあります。

種を蒔いても、良く耕がやされた土壌であれば、根は深く張ることが出来ます。しかし耕がやすのは一代二代では良い土壌は生まれません。戦後日本が大きく発展した要因の中に先祖が良い土壌を作り出して来た背景があります。歴史の大切さはこうした流れや背景を知ることであり、因果応報は常に繰り返されて行くのであります。

一つの成功でも、一つの災難でも根に原因があったり土壌に原因があったりして、決して原因のないものはないのであります。

気学では人の気質と言う面を重視しておりますが、人の気質も土壌にあたる要因で生じて来ることが多い訳であり「三つ子の魂、百までも」と言うことが多く見受けられます。三歳までの成育された状況が成人になってから思わぬ幸・不幸の背景の原因になって行くことが多いのです

特に精神的なるものは幼児期に原因があるのです。子供の気質は何通りにも分けることが出来ますが根にあたる土壌の背景で成長に差の出ることがはっきり言えるのです。

気学で「家相」を重視しているのは、こうした土壌のもたらす影響が人の気質の成長に大きく係わり合いを持つと言う思想からであります。ですから生誕時とくに三歳ころまでの家相の吉凶を重視するのであります。

根と言う面を根気と言うことで説くことが多いのですが、勿論一般的にはその方が判り易いと思います。しかし「運」と言うめぐり「鈍」と言う努力、「根」と言う資質と言うように捉えた方が気学の場合よいように思います。

よく新興宗教に入信して改宗する人を時々見受けますが、これらの行為は「根無し草」と同様、永続性に欠けて来る要因で決して行うことではなく、一族の歴史と言う土壌を大切にすることを第一と考えるべきことであります。

信仰とは自らを律し常に我が人生と自然界との一体感の中にあり、教えの教義教典よりも根にあたる先祖の良きめぐりを願いめぐりの中に、我が人生もあると言うことを知ることであります。

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鈍とは

2010年11月1日 月曜日

物事の願望成就や成功結実には運(生成の気)だけでは成立と永続は果たせません。普段からの鈍(どん)(謙虚な心)に当る努力と根(こん・育成の気)に当る要因があって成立します。

前回の「運とは?」に続いて今回は第二の「鈍(どん)とは?」です。

一つの鑑定なり判断をする時において、第一に「運」というめぐりが盛んであるかどうか。第二に「鈍(どん)」の要素でありますところの、成就には下向きな努力と謙虚さが求められる事が多いです。そして第三が「根(こん)」の先祖から受け継がれている「器」の要素であります。永続なる成功を果すためには、こうした基準を目安として判断致します。

鈍とは「にぶい」と読みますが暗悪のことではありません。誠実と忍耐と謙虚さと努力で、物事に打ち勝つことが「鈍」の徳であります。「鈍い」と言う事は何事も承知していて、鈍く行動すると言った面が要求されます。

ある流行歌手が一曲の歌を長年の間、歌い続けることにより大ヒットに結び付けたと言うのは、こうした鈍の面を良く表していると思います。

別段歌い方を変えた訳でなく、一つの曲をひたすら誠実と忍耐と謙虚さと努力で物事の成就へと進みます。こうした一途な行動が、自ら変わろうとしなくても、世の中の流れが変化して時代の中へ受け入れてもらえる「運」のめぐりが訪れる訳で大ヒットに結びつくことになります。

一人の歌手の職業についてでありますが、他の職業の要因にも言えることであります。人間関係においても叡知敏感なる要素の対応は、時として高慢にもなり、井の中の蛙ともなり大きな運を取り逃がすことにもなります。

結果や目的と言ったことを考えずに、ただただ下向きに努力する、今日一日一生懸命に努力すること、こうした鈍なる行動は時として、大きな運を掴むことになるのであります。

物事に対して余りにも用意周到に走りすぎたり、叡知敏感なるがゆえに自分の実力の半分も発揮出来ずに終ってしまうこともあります。

スポーツの世界の人たちに良く見られる言動でありますが、常に相手や周囲の人たちの健闘をたたえ、自らは決して誇らない姿があります。

勝ってもおごらずにインタビューされている姿は一流選手の持っている謙虚さであり、鈍なる姿勢であります。そうした姿なり態度が示せると言うことは、自己の精神や身体を練習でぎりぎりまで厳しく鍛練して啓発努力しているから言えることであり、自分自身との戦いに勝利して来た人の姿でもあります。

運を開かせられずにいる人は常に下向きな謙虚さを忘れ、人の言も聞かず、聞いても自分の都合を行い、自分の精神や感情をコントロール出来ずに高慢なる「お山の大将」を誇示している人であり、一時は良いように見えても短期繁栄であり、また元の木阿弥になって終るのであり、同じ過ちを何度も繰り返すことになるのです。

自分自身が努力も忍耐も謙虚さも忘れ高慢さに終始し、人から成功者と呼ばれたいと言う「我欲」の強い人は世の中の失敗者の中に多く見受けられる共通の姿であり、自分自身の精神力に負けている人であります。

人生は「生き様」を示すものであっても、常におごらず、高ぶらず地道に努力して行く人が勝利者であり、鈍の精神でもあります。

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