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人は何の為に生きているのか

2012年10月2日 火曜日

戦前にアインシュタインが来日して、日本の学生達と対談した時、一人の学生が「人間は何の為に生きているのですか?」と質問をしたところ、アインシュタインは驚きの表情をして「他人を喜ばす為にです。そんな事が解らないんですか?」と答えたと言います。

私事になりますが、私は「FOR YOUの精神(あなたの為に・・)」を大切にしております。自分を取り巻くすべての人(親・兄弟・姉妹・親戚・友人・先輩・後輩・仲間・お客様等)の為に生きる事を目的にして、常に感謝の気持ちを持ち、少しでもお役に立ち喜んで頂きたいと思っております。

今の「平成」と言う名称を考えた安岡正篤氏は色紙に「喜」と言う字を書いており座右の銘の一つとしておりました。

「人間を喜ばすこと」は一見、易しそうで難しい事であります。しかしこれ程、人間として崇高な志はありません。人の生き方にしろ、仕事の指名にしろ、会社の社会貢献にしろ、その努力姿勢は、人を喜ばし感動を与える生き方にあるのだと言うことです。

今の日本の社会が大きな曲がり角にぶつかり苦境を呈して来た状況は、自己中心的な自己満足による他を顧みないで来た生き方に原因があると言えます。

戦後民主主義の名の元で、中央に都合の良い個性を認めない「平等」と言うことに重点を置いた為、人と同じ状況、あるいは人より勝っていれば安心安堵すると言う考え方が生活や教育の基盤となって来ました。

その状況の中で人を喜ばす等と言う崇高な精神は、失しなわれて行ったのは当然であります。まして陰徳行為(陰で善行を積む奉仕行為)などを行うこと自体、変り者扱いされる状態でした。

人の喜ぶことをする、人に感動を与えること、人と共に喜べる事とは、ここに人間としての生き方の根元がある気がします。

日本の文化伝統の中に子供は地域で育てると言う状況がありました。また地域には「手間替え」と言うお互いが協力し合う事もありました。企業にとっても儲ける事はまず自らを律する考え方がありました。その根底には「喜んで頂く」と言う姿勢があったのだと思います。

戦後の流れの中で忘れ去ってしまった「他人を喜ばす為に我が人生がある」と言う視点に立って行動できれば何より勝る生き方であり、志しとしたいものです。

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ロンドン・オリンピックを振り返って

2012年8月21日 火曜日

平成24年7月27日から平成24年8月12日まで開催されたロンドン・オリンピックも終わりました。

勝負事には「天の時」・「地の利」・「人の和」と言う事が付いて回ります。そして勝利と言う立場に立てる人、即ち「勝利の女神は相応しい人に輝く」と言うことであり、十二の事柄が満たされて初めて勝利を得る状態が発生します。

十二の事柄は下記の通りです。
子と言う根気    丑と言う忍耐   寅と言う挑戦
卯と言う希望    辰と言う堅実   巳と言う奉仕
午と言う情熱    未と言う努力   申と言う謙虚
酉と言う感謝    戌と言う報恩   亥と言う勇気
そして意志力(志し)は人生最大の支柱と言うことであります。

自然界がバランスを課すと言うことは、事象・事柄の真理であります。

勝ち運に乗って願望を果たす人がいれば、その一方で「負」を担う立場になり失意を味わう立場も生じる訳であり、勝負の行方は紙一重であります。

勝ち運と「負」を担う立場は表裏の関係にあります。運と言う「福分」は常に流動的であり、幾つか条件を満たし、試練を乗り越えた者が、勝ち運の立場に立つ事が出来ます。

日本代表として勝ち抜いて来て、世界の中で勝利者となるには、言葉では語る事の出来ない努力・試練・意志力が必要であります。そして勝利の女神に微笑んでもらえる強運がないと勝利者にはなれない難しさや困難があります。

勝ち運の立場があり、負を担う立場があり、儒教での「役割分担」であります。選手は良きライバルに恵まれて伸び、良きコーチと言う師に出会い開花して行きます。負を担ってくれる相手が家族であったりライバルやコーチであったりして負を担う力が強い程、勝ち運として成果を得る事が出来るのです。

メダルを獲った選手のインタビューの談話の中で実に謙虚な言葉が多く述べられています。その姿に勝利者として勝ち運に至る負を担った人への感謝があります。

今回のロンドン・オリンピックは日本から北西方位にあたり、年盤で暗剣殺・歳破殺方位にあたっていました。この地の不利(凶方位)を受けた選手も居たでしょう。

日本のお家芸と言われた柔道は特に男子は初めて金メダルが「0」と言う結果となりました。またシンクロナイズドスイミングも連続メダル獲得が途絶えました。しかし今回の大会では女子の活躍と団体戦の活躍が目立ちました。

団体では男子・女子の水泳・女子サッカー・女子バレーボール・男子の体操・女子卓球・男子フェンシング・女子バトミントン等々。

日本のみだけでなく世界の多くの人に夢と感動と勇気と絆を与えました。選手のみなさん・関係者の多くの方々・ありがとうございました。

結果は金メダル7個・銀メダル14個・銅メダル17個と合計38個の国としての獲得数が新記録となりました。

そして昨日(20日)には日本のメダリストによる凱旋パレードが東京・銀座で行われ、約50万人が沿道を埋め尽くし歓喜に沸きました。次回の開催は2016年のブラジルのリオデジャネイロです。

日本は2020年の開催に立候補しています。日本中が「東京開催招致」の声を大きく挙げて日本での開催が決定するように頑張りましょう。

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有限なるもの無限なるもの

2011年11月22日 火曜日

運命学で言う所の成功とは、物資(形あるもの)を以って成功とは言えません。心の豊かさ、次代への繁栄と言う面をも成功しなくてはなりません。

文明の最も栄えた国アメリカは大きな心の荒廃に悩み苦しんでおります。やがて日本もと言う不安がやって来ております。

ただ国のやっている事だからと言っても誰が国を構成しているかと言えば私たち一人一人が作り上げているのであります。

「天は二物を与えず」と言って二つ同時に恵まれた状況をなかなか与えてくれません。一方が日本一を得れば(物質名誉)一方に日本一の損失(唯心的)が来て均衡が保たれることになり、これが自然の理です。

日本一仲の良い夫婦には子宝がなく、財産が無ければ子宝が多く与えられる等と言ったようなものです。

東京と言う繁栄された街から心の部分(人間の交流)が無くなると、自然と物の繁栄は盛んになると言うことです。人との交流や付き合いを少なくすれば財は貯まります。交流や付き合いを多く盛んにすれば財は残りません。

文学の世界でも戦乱期や変動期に素晴らしい文学が誕生しておりますが、時代の安定期や平穏期には風俗的なもの、私的要素のもの等が生れております。また人物にしても時代の激動期にはそれなりに歴史が人物を産み出しております。

運命を見る場合の尺度として、先祖から与えられた因縁としての役割を果たしているかどうか(自然界より生を与えられた本分を果たし実行しているか)と言った要因が長期なるものや永続を考える場合に、大事なことであります。

その一族が有限なるものに固執して、役割(先祖祭祀)を果せなければ、次世代に因縁として残って行くのです。有限なる物質に恵まれ功を成しても、無限への因(報恩と感謝の実践)が果されなければ、一代に至らぬまでも同じ過ちを繰り返し永続は不可能です。事業の発展や繁栄を願うのであれば、先祖への報恩感謝からの出発です。

今の世の中の価値判断はこうした有限なるものへの投資であり、土地高騰にしても家族の単核化のあり方にしても皆有限への投資であり何年か後に滅びることになります。

丁度、オランダが世界を制して今の日本の国の様な時期があり、約200年に亘り世界中を駆け巡り財産を(今の日本の様に有限なるものに投資行動した)手に入れました。しかし200年後に衰退しました。

今は昔と違って時代の流れのサイクルが早くなっております。日本は長くても今の状態でこうした投資の誤りを続ければ50年後から70年後には衰退する事になります。有限なるものは永続が果せず無限なるものは永続が果せます。

人間の幸とは先祖・親・自分・子・子孫繁栄という流れの因果論の中で役割や責任を果して行く事です。

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偶然と必然

2011年9月19日 月曜日

人の吉凶・禍福・良否を偶然と捉えて考えるのか、必然と捉えて考えるかと言うことの差は何かと言う事について述べてみます。

ひとつの事柄について全て偶然であり、見た目の状況がその事柄を発生させたのか、いやその事柄は起こるべくして起きたのだと言う原因があってその事柄が発生したと言う必然のふたつの考え方が生じます。

不安がない事について考えた時、不安のない生活なんてあり得ない訳で、時は刻々と変化して行く状況の中で、不安も刻々と生じて来るものであります。しかしその不安を前向きに捉えて行くか、後向きに捉えて行くかは、心の捉え方で不安は解消します。すなわち不安解消は心の持ち方ひとつなのです。

上(前向き)と下(後向き)とは一の引き方で決まります。トの形を上に一を加えれば下となり、下に加えれば上と言う字になります。

目線は下から上を見れば不安は解消され、上から下を見れば不安は倍増します。目線を下に置いて行動すれば物事は上昇し、目線を上に置いて行動すれば下降するとも考えられます。謙虚(目線を下に)に行動すれば物事は上昇し、高慢(目線を上に)に行動すれば物事は下降すると言う真理です。

生きている以上は不安が生じること、苦の生じることは必然であり、それが生きていると言う証であると考えるのか、不安や苦をそのまま受け入れるかは目線の置き方ひとつで決まって来るのです。

財産を持たない気楽さ、財産を持つ不安さ(守る意識が高い)はこうした持つか持たないかと言う要因からも言えることであり、幸せを得る条件の中での不安がないこととは、この世に於いて不安が生じる事は必然であると考えた時に不安と言う時限から脱して行くことになるのであります。

人生を生きていると考えるのか、生かされているかの目線でも不安解消になるのです。

なぜ偶然か必然かを述べているかと言いますと、偶然と思う所には発展性も向上心も生まれないのです。必然と言う事は現象結果には必ず原因があり、因縁があると解釈します。だから人はより発展と向上心を目指す努力が生じます。

今の世に生じる事柄は過去の必然(因縁・原因)の中のめぐり合わせのひとつとして課せられて来た事柄と捉えて考えるからです。

世の中で発生している凶悪事件の犯人の親を含めた一族の背景には「惜福・分福・植福」と言った要因はなく、戦後の核家族(根なし草)の背景があります。それは親が離婚したり、あるいは水子供養を果たしていなかったり、先祖の供養を怠って来た所に犯人を産みだす必然があり、親が「福寿」を使い果たし、子供に福寿が残されていないと言う状態の中で発生しているのです。

不運が生じたら、いかなる対策を取れば良いかと言う事になります。「不運だったらまず行動すること」であります。気学では「人の吉凶は動より生ず」と言う教示があります。

不景気だ・不景気だと嘆かないで、今の状態で何が出来るのかと気持ちだけでも動かす事からの出発であります。そしてまず頭で考えるのではなく体を動かす事であります。

先祖供養もまず自ら先祖の所に出向いて、生きている人間に語りかけるように現状を話す事であります。先祖は十代戻れば1024名、五代戻れば32名います。そうした先祖の中に「惜福・分福・植福」を残した人がその福分をくれるかも知れません。

この世で活躍出来て永続を果たし繁栄を築けるかと言う事は足元にある「先祖」の力なのです。この秋のお彼岸(9月20日から26日)にはお墓参りをしましょう。

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幸福の三説

2010年2月15日 月曜日

人が生活していく上においては、常に人の吉凶・禍福は付いて廻ります。

人生には良い事ずくめであれば、それに越した事はないのでありますが、応々にして「天は二物を与えず」と言った自然の理法が当てはまってしまう事が多々あります。

それだけに大難より中難・小難より無難へと回避する努力や心掛けが要求されるのであります。人生良い事と悪い事は確率的には同一で現出して来ます。良い事がひとつあれば悪い事もひとつあり、自然界は常に均一的であるのが常道であります。

ではどうすればよい事を堅持し良い事柄や事象が生じるようになるかは、幸田露伴の「努力論」の中で示されている「幸福三説」と言う「惜福」「分福」「植福」の思想です。

幸運な人や成就する人を見ると惜福の工夫がある人が多いと言います。

「惜福」とはたまたま自分に与えられた福を使い果すことなく、取っておくことです。そうすると、いっそう福が廻って来ると言います。
例えば自然界でもキノコ狩り等で、全てのキノコを取らずに、取った場所に少しキノコを残しておけば、また来年の収穫も望める訳であり、運も福分も時節や本分に則って得ることが大事であるのです。また人には器量と言うバランスのあることも知っておく事です。

「分福」とは自分に来た福分を独り占めしないで、人と分かち合うことです。この工夫によって、より一層大きな福がやって来ると言います。
自分だけが儲かれば良いと考える社長からは社員は去り、その会社はいつか潰れます。しかし儲けた分を社員にも還元する社長は今後も発展して行きます。「喜び事や福分を得たら共に祝福する」そこから次の福分が育って行く、その範囲が広く大きければ大きい程、得る福分も大きいのです。

「植福」とは例えば農家の人が裏山に杉の木を植えておく、その杉が大きくなる頃、自分は老いているか死んでいるか、その恩恵をこうむることは無いかもしれません。しかし子孫の役に立つこともあるだろう。そう言うことで木を植えておく、これが「植福」です。そしてこの植福こそは財を成した人や名を成した人が心掛けるべきものです。そう言う立場の人で植福をしなかったら逆に運にそっぽを向かれて、悲惨なことも生じると言います。

幸田露伴は「命は天にあり運は先祖の功徳福による。福寿は陰徳・積善の家にあつまる」と言った。

大きな流れの中で、惜福・分福・植福の工夫が出来れば運に恵まれることは確実です。この工夫は決して難しいことではありません。心掛けさえあれば誰にも出来る事です。自分さえ良ければまた家族さえ良ければと言った考え方では福は来ないし、一時的な満足で終ってしまうことになります。幸福の尺度は千差万別でありますが、この基本的な心掛けは持ち続けて行きたいものです。

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「積小為大」(せきしょういだい)の教え

2009年12月17日 木曜日

昭和の20年代・30年代は、今ほど一家族から出されるゴミの量は少ない状況で、ゴミの収集等は一ヶ月に一度くらいの回数でした。

またゴミも限られた分量でありました。家庭にも食品や品物も「勿体無い」と言う気風の残っていた時代でありました。

高度経済成長の時代と共に「大量生産・大量消費」の時代を迎え、ゴミの排出量も飛躍的に増大し今日に至っております。

21世紀は地球資源の問題・環境問題・自然環境問題等々地球上におけるこうした諸問題が、すでに許容範囲を超えつつある状況となって来ております。

そうした状況の中で資源を上手に使い切り自然環境を保全すると言う「循環型」による社会造りが芽生え出しています。

4・5年前まではいらないものとして廃棄処分されていた住宅の廃屋材からバイオエタノールと言うガソリンの代謝燃料の開発があり、野積みにされていた色付きのガラスやビンの再生品が開発されたり(日本建設(株))・卵のカラの薄い膜で繊維の軟らかさやパウダーが開発されたり(キューピー(株))茶ガラ(抗菌作用)とトレーで屋外のベンチ類の家具等が開発され(伊藤園(株))小さな村の大きな挑戦として柚子のドリンク化や山に廃棄されている杉材を再生してファッションバッグに製品開発されて(高知県馬路村)発想の転換が図られて来ています。

ここに取り上げた品々や製品はすでに実用化が図れているものであります。こうした創意工夫する文化の土壌は日本の歴史や伝統・伝承の中に流れて来た思考であり数多くのもの作りの土台や基盤に中にあるものです。

昭和40年代の毎年の暮れ近くになると山積された郵便局の映像がテレビで放映され「年内に捌けるかどうか」を見て大和運輸の小倉昌男社長が宅配便と言う新しい分野に進出したと言います。

4・5年前に野積みされた再利用の不可能な色付きガラスビンの山積がテレビで放映され、それを見ていた日本建設の社長がガラスの廃材(ミラクル・ソル)を再生させて水質の浄化や河・川・湖・海の浄化土として自然環境の浄化を促進し有明海の再生・干潟の回復と言う事業に発展していると言います。

ここで思い出される言葉に「名を成すは、毎(つね)に窮苦の日に在り、事に敗れるは、多く得意の時に因(よ)る」と言う訓であります。

同じテレビの放映された映像を何百万・何千万人の人達が見ていた訳であります。見ていた人の中で一番窮苦にあったであろう立場の人達が「発想を転換し創意工夫し試行錯誤しながら」世の中に再生させ還元して行く新規事業の参入や新製品の開発を生んだのです。

建設会社として公共事業が改革の中で激減して行き、それがガラスの廃材が目に止まり試行錯誤して新しい建設素材の開発となり水質浄化へと結実して行きます。また官に任しておくより民が積極的に社会貢献の役割を果そうと言う発想等々が宅配便の誕生となります。

事業興起のきっかけは小さな着想からの出発です。しかし人一倍の実行力と行動力で社会の中で大きく成長して行きます。

「積小為大」(小事を嫌って大事を望む者に成功はない)・・・・二宮尊徳翁と言うことに尽きます。

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