気学における四神相応(しじんそうおう)の土地相
四神相応(しじんそうおう)とは、天の四方の方角を司る「四神」の存在に最もふさわしいとされる地形が存在する土地のことをいいます。
北に高い山・丘や建物(玄武の相)
東に川の流れ(青龍の相)
南に低地(朱雀の相)
西に道・道路(白虎の相)
この四つの相を持つ土地を「四神相応の土地」と言い最高の地相です。
平城京・長岡京・平安京は四神相応の理に則って建都されています。
自然界が人間に与える「活力源」としての「気の作用」「発動される気」の定義の中に、「四神相応」の定義が活かされ国家繁栄と治国安泰の願いが込められています。
京都と江戸の四神相応の対比
京都 |
江戸 |
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北に(玄武の相) | 貴船山・鞍馬山 |
日光東照宮 |
東に(青龍の相) | 鴨川 |
隅田川 |
南に(朱雀の相) | 東寺・西寺 |
芝の増上寺 |
西に(白虎の相) | 山陽・山陰道 |
甲州・中仙道 |
794年に桓武天皇は長岡京から自分の考えで,艮方位(東北)に当たる場所に「平安京」を造りました。
しかし徳川家康は強制的に秀吉に艮方位(東北)に当たる武蔵の国へ、移転させられました。変化・改革という方位に移転したことが、家康の生き方や今後の対応としては大変条件の良い所への移転となりました。
またそれ以上に土地の繁栄・発展を司る「四神相応の土地の相」に叶った気学実践を、天海僧正を登用して実行したところ、江戸の発展や繁栄があり、そして明治期にも大きく発展した基があります。
江戸の町は京都の四神相応の地相を根底として造営されました。
明治2年に東京への遷都が実行されます。江戸は京都から東方位に当たり、必ずや日本の発展につながる日出ずる方位になります。
明治天皇(本命四録子年・月命九紫戌月生まれ)にとって明治2年(五黄巳年)は大吉方位に当たります。
奈良朝の時代においては、東方位に当たる方位に、日本国の発展と繁栄を祈願して、伊勢神宮を遷宮しております。伊勢神宮は気学(陰陽五行説)に従って建立されて、現在に至っております。
また明治以降においての大学を建立するにあたり、神社・仏閣の地域に大学を造り、地相学で吉相にあたる所に大学を造りました。優秀な人材育成を作る一翼に用います。その思考背景に陰陽道があります。
東京大学は上野寛永寺・慶応大学は芝増上寺・早稲田大学は穴八幡神社・京都大学は吉田神社等々が造られています。
地相学の四神相応の活力を生かす思考があるのです。
そして有名は話ですが、元総理大臣であった田中角栄氏の新潟の生誕地は、まさにこの四神相応の土地でした。
最近では、都会においてこのような四神相応の土地はなかなか探すのが難しくなってきましたが、この四神相応に近い土地を探すことが賢明です。