富士山が2013年に世界遺産に登録され、今まで以上に富士登山をされる方が外国人を含め増えています。また2016年から8月11日は「山の日」の祝日に決まりました。
「一度登らぬはバカ、二度登るもバカ」と言われている富士山ですが、バカ(馬鹿)と読むかバカ(馬力)と読むかも、富士山登拝のひとつであり、古来よりの富士信仰に於ける心情であります。
一般者の登拝するのは7月1日の山開きから8月31日までの二ヶ月間であり、狭い登山道も週末には六合目から頂上まで、登拝する人達が数珠つなぎになります。これ程までに人の心を引きつける富士山です。
しかし最近では観光ツアーで登山される方もいますがそれはお薦めできるものではありません。登山にふさわしくない軽装や安易な考えや弾丸登山(山小屋などで十分な休息をとらないで一気に頂上を 目指す登山のこと)や高山病では事故を招きます。くれぐれも注意して下さい。
富士登山は「苦行と難行」の行程であります。その為、なかには途中で下山される人や頂上の一周の「お鉢めぐり」をしないで下山して行く人もいます。富士山の頂上には内院と呼ばれる火山口を中心として外輪があり、外輪八つ岳(九須志岳・成就ヶ岳・朝日岳・駒ヶ岳・浅間ヶ岳・三島ヶ岳・白山岳・剣ヶ峰岳)があり、それを廻る行程が約4キロ(一周2時間)あります。
よく剣ヶ峰と言いますがこれは富士山の頂上の一番高い所であります。またご来光を楽しみに苦しい道のりを頑張る人もいます。
富士信仰が一番盛んになったのは江戸時代であり、富士山の神さまは「木花咲耶姫(このはなさくやひめ)」でありますが神仏習合の思想から、江戸時代は「不動明王」「阿弥陀如来」の霊力も加味されていたのです。
富士山を観光地のひとつとして商業的に発展させるか、古来よりの信仰の地として、道心堅固なる悟り山として行くかはまさに我がこころの中にあります。
遠くから見る富士の山は希望であり、夢であります。登拝は現実であります。一歩一歩と歩む人生の縮図であります。遠くから思いをめぐらすのもよし、登拝し現実の己の体力を知るもよし、真に富士のお山は我がこころ次第のお山であるのです。頼りになるのは自分の気力と体力だけであり、「六根清浄」を得る聖地です。
「不二の山 のぼりて みれば なにもなし よきも あしきも 我がこころなり」富士講の和歌より。