因果応報

2014年4月1日 火曜日

「因果応報(いんがおうほう)」とは仏教の言葉で過去や前世の行なった事に対して言われる事です。良い行いをした人には良い報いがあり、悪い行いをした人には悪い報いがあると言われております。

波乱万丈の人生を歩まれた淡路恵子さん(1933年7月17日生まれ・本命四緑木星酉年)が2014年(五黄土星巳年)1月11日に80歳で亡くなりました。

淡路さんは四人のお子さんがあり、上の二人の男子はフイリピン人のビンボー・ダナオさんのお子さんです。下の二人(三男と四男)が故萬屋錦之介さん(旧・中村錦之介)のお子さんです。錦之介さんとの間に二人の男子が生まれ、三男は交通事故で亡くなり、四男は自殺でした。

1965年にビンボー・ダナオさんと離婚した淡路さんは1966年に当時の中村錦之介さん(後の萬屋錦之介・1932年11月20日生まれ・本命五黄土星申年・本名小川錦一・四男)と再婚しました(中村家に嫁いだ事が後々の災いに遭う)。

当時二人の結婚に母親の小川ひなさんは「錦之介が子持ちの女優の淡路恵子さんと交際しており(跡取り問題)」悩んでおられたようです。

中村家の家は東北方位が(表鬼門)欠けており、相続の悩みのある家相でありました。長男・次男は父親(中村時蔵)の跡目を継がずに、同じ芸能界でも作家の方になり、三男茂雄さん(昭和2年・本命一白水星卯年生まれ)が時蔵を襲名しましたが半年後、事故死となります。

1982年には中村プロダクションが倒産し莫大な借金を抱える事になります。その後、錦之介さんは大病を患う。そして1987年に淡路さんと離婚した錦之介さんは、1990年に再々婚で甲にしきさん(元宝塚歌劇団)と結婚する。そして1997年に他界する。

因果応報は錦之介さんと有馬稲子さん(1932年4月3日生まれ・本命五黄土星申年)と結婚(1961年・三碧木星丑年)した年が問題の年でした。3年7ヶ月後に離婚した。二人の間に子供はなかった(跡取り出来ず)

この1961年(三碧木星丑年)と言う年は中村家にとって大変な年でした。小川ひなさん明治38年1月6日(本命六白金星辰年生まれ)生まれ。東北方位欠け(表鬼門)の家相で小川ひなさんの本命六白金星が東北方位に1961年は廻座しており、表鬼門と称される恐ろしさが顕現した原因がこの年だったのです。この年に始動・着手したことは開花・結実を見ないで散りました。東北方位の凶現象です。

ひなさんを悩ませ続けた淡路恵子さんとの確執も淡路恵子さんの苦しみも因果応報の胴元にあります。

小川ひなさんが悩んだ事(歌舞伎界での相続問題や子供は後を継がなかった事等)、淡路恵子さんが悩んでいる事(中村家に嫁いで授かった二人の子供を失くし中村プロの倒産や病気等)、ともに親の心が子供には理解されずに残ってしまった(浄化されない念)ところに一族の吉凶の分かれ目があります。

忘れかけた1961年の行動・原因が後に結果となって来る応報という周期があることを改めて認識します。「因果応報」の教示は時代を超えて繰り返されていく真理です。

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