四国八十八ヶ所お遍路の旅

2015年6月11日 木曜日

今年は、四国八十八ヶ所霊場開創1200年に当たります。

Ⅰ番目の鳴門市の霊山寺から88番目のさぬき市の大窪寺までを歩く人が年間13万人(外国人も多い)と増加しています。その霊場めぐりの中の三分の一近くが中高年の男性の人達です。霊場をめぐる人達の事を「お遍路さん」と呼んでいます。

年間13万人以上の人が八十八ヶ所霊場めぐりをし、徒歩で行く行程は1400キロ、1日35キロで約40日間の行程と言われております。しかし最近では自家用車やバスツアーで回る人達が増えています。余りお薦めは出来ない方法です。自分の足で歩く事に意味があります。

何年間前までのお遍路さんの八十八ヶ所めぐりは「病気を治したい」「仏様のご供養」とかの目的による霊場めぐりでありました。それが近年ではそうした目的を持たずに行う人が増え、何を求めてお遍路の旅を行っているのかと言えば、高度経済成長で頑張って来た団塊の世代やその中高年が今、改めて人生の岐路に置かれ身分や肩書や誇りや見栄を捨てて自分本来の姿、本当の姿、裸のあるがままの自分を見つけたいとの願望からお遍路の旅へと出発して行くのだと言います。

いまだかつてこうした願望・目的で遍路する人たちが多数増加している事は歴史上なかったと言われております。

「まだまだ自分はやれる」と言う自覚と会社側とのギャップ、世の中の変革に伴うリストラ等、改めて人間本来の原点に戻って、人生の区切りを遍路する姿に求め自然と一体になり自分の足で歩く事、ここに生きると言う原点を見出して本音で生きるいや生き続けたいと一心に思いただひたすら歩く旅、それが感動に転じて行く旅、人生をもう一度チャレンジして行く為の自然等を得たい旅、そうした願望から旅に入って行くと言います。

遍路の道中、街道の人達の何気ない心使い、通りすがりに得た温かい心配り、無料で泊めて頂ける素朴な接待、和顔愛語で対応してくれる人たち、こうした人の心の情けや心使い、人の温もりを感じているうちに心の底から感動が湧いて出て来て、すがすがしい気持ちと洗われた心となり温かさが身に染みると言います。

街道でお遍路さんに接する人たちはお遍路さんを「生き仏様」として接待し処遇しているとのことで、その歴史は先祖から受け継がれて来た伝統です。「させて頂ける」と言う喜びからの行為であると言います。

お遍路の行程の頼りとなるのは、我が体と体を支える2本の足です。弘法大師さまとの同行と思い、二人の信念が心の支えであり光明であります。

今まで会社人間として会社一辺倒で生きてきた生活から生きると言う「本来無一物」の姿から生きていると言う原点を追い求め捜し求めて行くのです。そして心から「ありがとう」の感謝の心が芽生えます。

中高年層の八十八ヶ所めぐりや最近世界遺産に登録された富士山参拝や高い山々に挑戦したりして行く姿は、あらためて生きる目標の再発見の旅であり「老いて行く」輪廻への挑戦であったりして、頭でっかちになってしまった現代人や組織人間から脱皮する為の人間回復の行程でもあります。

仕事をさせて頂ける喜びや健康で元気に生きて行く事や目的に向かって一生懸命に完全燃焼する人生と「本来無一物」と言う自覚から生じる力強さは共通して来ることであり「物事に捉われずに生きる事」の大切さ、そして人生の中で与えられることではなく自分が人の為に何を以って人の為に果たす事が出来るかと言う「奉仕の心」の芽生えに気付くと言います。

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