吉方位活用の実践行動・前篇

2012年3月12日 月曜日

ここ10年で内閣総理大臣は小泉氏・安倍氏・福田氏・麻生氏・鳩山氏・菅氏そして今の野田総理と受け継がれて来ましたが、小泉氏以降の総理は特に短命の総理が多いです。

しかし過去に於いて中曽根康弘元首相は、気学の方位学の実践者として、上手に吉方位を活用して、首相の座を得て5年以上の長期政権を果たした人です。

前篇・後篇の2回に分けて、その軌跡を見て行きましょう。

昭和57年秋の自民党の総裁選びを前にして、夏の頃のマスコミ各社は三木派の後継者である河本敏夫議員(明治44年6月22日生まれ・本命八白土星亥年・月命七赤金星午月)がマスコミの下馬評では最有力候補として各社の誌面で報道されていました。

中曽根康弘議員(大正7年5月27日生まれ・本命一白水星午年・月命五黄土星巳月)は候補者の一人に数えられる程度でありました。

昭和57年の首相は鈴木善幸首相で労働組合の社会党から自民党へ鞍替えして首相になった実務調整型の首相であります。鈴木首相は急変し死去した大平首相の後の昭和55年に就任し日米貿易摩擦(昭和52年五黄土星寅年)の後で、世の中全体に減速感の生じていた時代でありました。田中角栄元首相の金権問題が尾を引いて混沌とした明るさのない状況でした。

そうした流れの中で中曽根議員は外交を目標に掲げて首相候補に立ち上がりました。

昭和57年(九紫火星戌年)7月(九紫火星未月)に自宅(豊島区高田)より巨人軍長嶋茂雄元監督の上北沢の自宅(その頃長嶋元監督は巨人軍を退団しアメリカの野球修学しており空家)に坤方位(南西方位)に六白金星の吉方位活用として借り受けて方替えを行ったのです。

国会や首相官邸は自宅より東南方位(巽方位)に当たり年盤で歳破・本命的殺にあたり八白土星方位は吉方位にならないために方替えを行ったのです。

昭和57年の自民党の総裁選は11月ですので、7月の段階で志しである「首相になること」を前提として「方替え」を実践したのです。

自宅を外国人に貸して自分は長嶋宅へ方替えをして総裁選で吉方位として戦うという気学実践行動で選挙に臨んだのであります。「人事を尽くして天命を待つ」とはこの事を指して言うのではという行動力でありました。

坤方(南西方位)は4ヶ月・4ヶ年の「方徳」があります。4ヶ月目を迎える10月頃になりますとマスコミ各社の報道に変化が生じて、今までの河本議員の下馬評が大勢であったのが一気に中曽根議員へと大変化して来たのであります。

勿論、田中角栄元首相の応援を取り付けた経緯もありますが今回は首相を党員で選ぶと言う事から8月に中川一郎議員(大正14年3月9日生まれ・本命三碧木星丑年・月命四緑木星卯月)が出馬表明しました。そして10月中曽根議員は「総裁選には出馬せず鈴木首相の再選を支持する」と表明しました。

一方、鈴木首相は引退を正式に表明し、中曽根議員を支持と表明し、中曽根議員も出馬表明をするに至りました。「風見鶏」と言われた所以であります。

そして、安倍晋太郎議員(大正13年4月29日生まれ・本命四緑木星子年・月命六白金星辰月)も出馬表明し4氏によって争われるかに見えました総裁選も自民党の最高顧問会議で、三者協議(鈴木首相・福田元首相・二階堂幹事長)で後継者総裁を決める事にしました。しかし、この協議は失敗し予備選に突入したのであります。

中曽根議員は着々と首相になる事を前提として7月より方替えを実践して足元を固める中で、世相は10月まで混沌としていたのが実情であり、そして方替の効果も4ヶ月目に入った10月に形勢は中曽根議員へと一変して行く流れに至って来るのです。

自民党総裁選予備選の結果は中曽根氏が55万9673票(有効投票数の57.62%)を獲得しました。以下河本・安倍・中川氏の順となりました。河本・安倍氏が本選出馬を辞退したので本選を行わず中曽根氏の当選が確定しました。後篇につづく。

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