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日本の陰陽道と気学

2009年5月28日 木曜日

気学と言う言葉は文献に登場してから100年たらずでありますが、教示内容は東洋哲学5000年の教示の集大成とも言える教義を基としております。

仏教・儒教・道教と言う大陸で伝承されている教示が日本に伝来して、日本独自の風土の中で気学と言う集大成された教義として成立して来たのであります。

その影響は日本の歴史の表面と裏面とに多大なる影響を与えている訳であります。明治維新の近代国家となる時まで、この気学の役割は日本の歴史そのものの中に深い影響を与えて来ました。

仏教思想は聖徳太子が深く帰依して取り入れたものであり、後に鑑真和上によって広く日本の国土に根付いた思想であります。儒教思想も江戸時代に多くの学者が登場しました。

孔子の教えの思想であり五道と言う「仁・義・礼・智・信」の実証学です。日本には仏教と同時期に道教と言う教えも仏教観として伝来しているのですが奈良の朝廷においては「陰陽寮」と言う役所を配置して天文・暦・行事・政治・建築・医学・文化等に深く係わり合う所が生じて来ました。

気学はこのような仏教・儒教・道教の中に流れている「理・法・道」を実践する教えと言うことなのです。

気学を「家相・方位」や「占い」と言った狭い範囲で捉えている人たちが多いようですが、それは間違いです。自然界の法則のすべてが「気学」であります。

時代と共に活用されその時代時代の中で、一番自然界のサイクルに合致した方法・考え方・と言ったものによって、その時代あるいはその家庭、あるいはその人物にとって願望成就を果たすべき道を教示して行く、それが気学本道の考え方であり、家相・方位・占いはその中の一手段に過ぎないのであります。

建築物の配置や造営にまつわる由来・華道への考え方・茶道への影響・暦・天文地理・医学の思想・戦の兵法・気質の登用・神仏に関する事・家相・方位・易占・漢方医学の考え方・遷都・改元・その他多方面へ「陰陽五行」の思想は日本の歴史を動かし、流れの中で活用されて影響を与えて来たのであります。

陰陽五行に基づく物に日本文化の象徴的な能楽の舞台・歌舞伎の舞台・五重の塔・三重の塔・伊勢神宮の遷宮と建立等、数え切れない程見る事が出来ます。

陰陽五行の与えた影響力はこうした日本の歴史の表裏に亘って現出しています。

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気学で見る日本の歴史と周期 NO5

2009年5月24日 日曜日

「気学で見る日本の歴史と周期」も今回が最終回です。

平成19年には明治維新から数えて140年経過しました。・西南の役(明治10年・六白金星丑年)から130年の歳月が経過しております。明治維新から約70年後(気学では36周期陰陽年の72年周期)に太平洋戦争があり、そして現在の激動は太平洋戦争から約70年に至る状況の節目の激動期にあたっています。

日本の人口の推移も明治維新時は約3000万~3500万人(推定)であり70年後の昭和10年頃は約7000万人そして70年後の今は約1億3000万人のピークを迎えるに至ります。

そして平成17年頃を頂点として人口減が始まり高齢化社会の時代へと突入しております。

気学においての周期説は私どもの独自研究による教示であり、歴史の表裏を通して周期の存在することは自然界の法則の実証でもあるからです。

今、若者が自信を無くし、年寄りは孤独な中で厳しい時代が迫っています。振り返れば、昭和30年代のまだ家族の絆が結ばれていた頃の再現として「レトロな時代」として全国各地に開設されたり、映画化されたりして人間に取って何が重要なのかの問い掛けが成され、ただ懐かしいと言うだけでなく、捨て去ってしまった人間の情や機微や温もり等々再考を促す状況が生じて来ています。

文明が発達し利便性も究極の状況にあります。しかし人と人との絆は断ち切られ、情の希薄になり「教育」の再考も議論されています。

「金ともの」の有無でしか人の豊かさのあることを説いても、一端、楽をする事や手抜きする事や便利さを覚えてしまった生活から、人間本来の五感や五体を活かす行動に戻す事は難しい事であります。

しかし「レトロなる時代」を回顧して懐かしく思う事をひとつのきっかけにして、徐々に生活の中に再考して行く事の大切さを思います。

人の生涯年数は限られています。その生涯の背景には時代と言う存在があります。時代の良否で人の生涯が決定付けられる要因もあります。

現在は太平洋戦争で散って行った300万人の英霊の残して頂いた「惜福」により、日本が世界有数の豊な国家となりました。しかしその惜福に対し謙虚なる「報恩感謝」を示さず、当然あるいは自己中心的な傲慢さで行動するならば、やがて国そのものの衰退は逃れられないのではないかと思います。

そうした意味も周期で伺う事が出来ます。周期からの判断で平成25年(五黄土星巳年)に至る間、この大不況と混迷する社会状況は続きます。終わり。

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気学で見る日本の歴史と周期 NO4

2009年5月18日 月曜日

「気学で見る日本の歴史と周期」も今回で4回目です。

徳川家二百数十年の徳川15代に亘る将軍の命運は徳川第一代将軍から徳川第十五代将軍までです。

徳川第一代将軍  家康 1543年02月10日生まれ(本命七赤金星卯年・月命八白土星寅月)

徳川第二代将軍  秀忠 1579年05月12日生まれ(本命七赤金星卯年・月命五黄土星巳月)

徳川第三代将軍  家光 1604年08月12日生まれ(本命九紫火星辰年・月命八白土星申月)

徳川第四代将軍  家綱 1641年09月07日生まれ(本命八白土星巳年・月命五黄土星申月)

徳川第五代将軍  綱吉 1646年02月23日生まれ(本命三碧木星戌年・月命五黄土星寅月)

徳川第六代将軍  家宣 1662年06月11日生まれ(本命五黄土星寅年・月命七赤金星午月)

徳川第七代将軍  家継 1709年08月08日生まれ(本命三碧木星丑年・月命八白土星申月)

徳川第八代将軍  吉宗 1684年11月27日生まれ(本命一白水星子年・月命八白土星亥月)

徳川第九代将軍  家重 1712年01月28日生まれ(本命一白水星卯年・月命六白金星丑月)

徳川第十代将軍  家治 1737年06月20日生まれ(本命二黒土星巳年・月命七赤金星午月)

徳川第十一代将軍 家斉 1773年11月18日生まれ(本命二黒土星巳年・月命二黒土星亥月)

徳川第十二代将軍 家慶 1793年06月22日生まれ(本命九紫火星丑年・月命一白水星午月)

徳川第十三代将軍 家定 1824年05月06日生まれ(本命五黄土星申年・月命八白土星巳月)

徳川第十四代将軍 家茂 1846年07月17日生まれ(本命一白水星午年・月命三碧木星未月)

徳川第十五代将軍 慶喜 1837年10月28日生まれ(本命一白水星酉年・月命九紫火星戌月)

徳川家二百数十年の基盤を宗教行政から築き上げたところの天海僧上は上野寛永寺を江戸城の鬼門方位の守護として建立しました。

北方位(北斗信仰・神格方位)には日光東照宮に家康を大権言とし、江戸城を中心にして五色不動尊を鎮守し、そして表鬼門(東北方位)の水戸には家康の十一男頼房を裏鬼門(南西方位)の紀伊には家康の十男頼宣を配しました。

水戸徳川を副将軍としたのは表鬼門の守護に専念させるためであり、水戸徳川家より本家の後継者は出さぬためでもありました。

東北方位(表鬼門)には変化改革の事象があり、徳川本家が安泰と平穏を保つ意味からも、水戸徳川からの後継継承は行なわないとの天海僧上の考えでありました。天海僧上は天台宗の僧でありますが、「天源術」(十二支基礎学)を中心として、徳川家の基盤を構築したのであります。

「鬼門の水戸徳川家から本家継承はならぬ」という天海僧上の遺言も十五代将軍慶喜によって打ち破られて行きます。慶喜は水戸徳川家から一橋家へ養子に出された後に、十五代将軍になっております。家康から十四代までの将軍に、水戸徳川家は副将軍として係わって来ておりました。水戸光圀は「水戸黄門」で有名であります。

天海僧上の考えも二百年以上時代が経過すれば希薄になるのは当然でもあり、激変して来る幕末の時代の流れには対応出来ぬくらいの「うねり」の状況下でありました。徳川二百数十年の江戸が大なり小なり守護されてきた背景にはこうした「気学」の教義の反映があり、明治維新後百四十数年経過した現在に、おいても、その示された考え方を伺い知ることの出来る教示です。

人が歴史を作り出して行きますが、歴史も人物を作り出して行きます。そうした考え方で歴史を気学という法則に当てはめて行くと、先人先哲の残してきた歴史が、奥行きの深いものであることに気が付くのであります。次号に続く。

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気学で見る日本の歴史と周期 NO3

2009年5月14日 木曜日

引き続き「気学で見る日本の歴史と周期」についての3回目です。

気学と歴史上の人物について最も皆さんが知っている人物の登場です。

室町期から戦国時代そして織田信長の登場となります。豊臣秀吉の全国平定徳川家康へと継承されて行きます。そして徳川家康は東照大権現様と神格されて行きます。

織田信長 1534年生まれ(七赤金星午年生まれ)

豊臣秀吉 1537年生まれ(四録木星酉年生まれ)

徳川家康 1543年生まれ(七赤金星卯年生まれ)

家康死後東照大権現として神格化されます。17世紀に至り徳川幕府は一切の旧権力を完全な統制下に置き、思想支配論理として「儒教」を進めます。

日本の歴史上に於いて天皇の権威の最も衰えた時代であります。日光東照宮への参詣の街道は江戸から日光へは、日光街道の他に将軍の参詣道として岩槻経由の日光御成街道があります。

日光東照宮の開祖は「天海僧上(1536年生まれ(五黄土星申年)」です。家康・秀忠・家光・と三代に仕えた人です。

徳川家康死去 1616年6月1日(六白金星辰年・二黒土星巳月)

家康の死亡原因は自病等ではなく他因要因であることが、運気上見えます。前年の大阪夏の陣の出陣が方位学上凶方位であったことが、戦いでは勝っても、凶方位で敗れた事になります。方位現象の発現であります。

大阪夏の陣 1615年5月24日~6月29日(七赤金星卯年・五黄土星巳月)

西方位(大阪城)は年盤の暗剣殺・歳破方位に出陣しています。五黄の要因は戦争・争い・破壊要因です。家康は隠居して駿府(現静岡)に大御所として在居しており、大阪城は西方位にあたります。これらの凶要因が翌年まで尾を引いて行くことになりました。

次号に続く。

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気学で見る日本の歴史と周期 NO2

2009年5月8日 金曜日

前回に続き「気学で見る日本の歴史と周期」の2回目となります。

気学と言う教示学は周期学の分野があり深く歴史的な根拠や実証をもったものであります。十干・十二支・九星の一循環の180を一単位として、陰陽の繰り返しの要因が発生します。最大の歴史の単位は720であります。

日本の歴史に当てはめて見ますと・・・

4世紀頃、国家の形体を成す創生の頃で、720年後の12世紀には武士が台頭して来ます。そして720年後の19世紀には武士が滅びて西洋文明を基盤とした社会が導入されて来ます。

2007年(丁亥二黒年)の720年前は1287年(弘安10年・丁亥二黒年)に当たります。弘安4年(辛巳八白年)には元の襲来による「弘安の役」が発生しております。この弘安4年(辛巳八白年)と平成13年(辛巳八白年)が重なります。

下元期始め(60周期)は昭和59年(甲子七赤年)に当たります。そして昭和61年から平成3年バブル隆盛期でした。平成3年、米ソ冷戦状態が終わり米国の一極世界制覇化が進みます。日本はバブル崩壊の流れの中で経済不況の真只中にあります。

720年前、元の再襲来が起きます。蒙古軍(元)は世界制覇を成し遂げている時代で、今の米国が世界制覇を成し遂げる姿と重なります。

蒙古軍は日本に侵攻することで、米国軍はイラク進攻で敗退を余儀なくされる姿は、時空を越えて事象の重なる周期の要因であります。

1274年(甲戌六白年)に文永の役で720年後の1994年(甲戌六白年)は平成6年です。

1281年(辛巳八白年)に弘安の役で720年後の2001年(辛巳八白年)は平成13年で21世紀が始まり小泉内閣の誕生です。

小泉内閣の誕生と弘安の役の襲来が720年と言う歳月を超えて、日本の節目になって行くことは、こうした歴史の周期の流れの中に要因が潜んでいるのです。類似した苦難の時代でした。

弘安の役後の、日本の姿はいかなる状態を露呈していったか720年前を検証することにより、今後の歴史の方向性と言った要因が予測出来るのではないのかと言うことであります。

文永の役から弘安の役までの7年間は元軍の襲来の危機で日本国中において不安定な受難期の時代で幕府の衰退状況となって行きます。そして市の発達・座の結成が興り、やがて貨幣経済の発達へとなって行くのです。

1285年(乙酉四緑年)に「霜月騒動」が発生します。720年後の2005年(乙酉四緑年)に郵政改革にまつわる衆院解散選挙で反対派が自民党を追い出される騒動が発生します。

霜月騒動とは執権北条貞時の外祖父安達泰盛と内官領平頼綱の確執がついに武力衝突をひきおこし、安達一族は滅亡し騒動は全国に波及して容易に鎮まらなかったのです。

事象の内容は異なるとはいえ過去の歴史の中の事象と現代の起こる事象に類似性のある状態があり、歴史の流れの周期は自然と時代事象と登場人物まで創出しているような気になります。次号に続く。

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気学で見る日本の歴史と周期 NO1

2009年5月3日 日曜日

今、NHKの大河ドラマ「天地人」がヒットしております。またこの影響からか戦国武将の本も売れています。そこで今回は5回に亘り「気学で見る日本の歴史と周期」について述べてみたいと思います。

気学では、十干(天)、十二支(地)、九星(人)の関係(天・地・人)を、自然界の輪廻転生としてとらえおり、人は自然界の法則に影響を受けていると考え、人生もまた、自然界の影響に組み込まれて運用されている、と言う根底の元に教示があります。

今回は第1回目ですので周期律について解説致します。

上元期(甲子一白から癸亥五黄まで)・中元期(甲子四緑から癸亥八白まで)・下元期(甲子七赤より癸亥二黒まで)・各60年の180年1周期です。

①上元期(甲子一白から癸亥五黄まで)60年間
1864年(元治元年)より1923年まで。復興・建設・上昇・出直し・覇権・後始末・発展・芽生え・が生じて来ます。

②中元期(甲子四緑から癸亥八白まで)60年間
1924年(大正13年)より1983年まで。権威・安定・学歴・強圧・形式等の円熟期です。

③下元期(甲子七赤より癸亥二黒まで)60年間
1984年(昭和59年)より2043年まで。変化改革・思想・実力・混乱・下克上・不安定混沌期です。

気学の周期には180周期・60周期・36周期と言う尺度があり、歴史の繰り返しの中で類似点を見出して、予測予知する教示があり、自然界の輪廻転生や温故知新(古きを尋ねて新しきを知る)の教訓を学ぶことにより、「同じ誤りを繰り返さずに」を目標として行動する教えです。最大の長い周期率は720周期となります。

180周期(大きくは180年・小さくは180ヶ月)は十干(甲(きのえ)・乙(きのと)・丙(ひのえ)・丁(ひのと)・戊(つちのえ)・己(つちのと)・庚(かのえ)・辛(かのと)・壬(みずのえ)・癸(みずのと))と十二支(子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥)と九星(一白水星・二黒土星・三碧木星・四緑木星・五黄土星・六白金星・七赤金星・八白土星・九紫火星)の循環の1周期です。

60周期(大きくは60年・小さくは60ヶ月)は十干と十二支の循環の1周期です。

36周期(大きくは36年・小さくは36ヶ月)は十二支と九星の循環の1周期です。

人体を「小宇宙」と言い血液は60日間で新しく再生し、身体すべての細胞は60ヶ月(5年間)で新しい再生となる周期です。自然界を大宇宙とし、身体を小宇宙として考える教示が東洋思想であり。東洋医学です。

十干は自然界の「静・(天)」と言う精神であり、変化しない純粋なるものとして考える訳であります。十二支は自然界の「体・(地)」と言う心であり、静の影響を受けて内に燃焼すると言う考えであります。九星は自然界の「動・(人)」と言う実践であります。

十干の精神と十二支の体と心によって行動へと発動して行くと言う考えであります。これが因縁(十干)・原因(十二支)・結果(九星)と言う「因果律」と言う周期を生じる由縁であります。

およその事象現象においては、因果律と言う周期が係わり合いを持って来るのです。全ての結果には何がしかの原因なり因縁なりの「おおもと」があるのです。次号に続く。

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気学という教義

2009年4月26日 日曜日

皆様のお陰を持ちまして、「祐のコラム」も今回が26回目となりました。本当にありがとうございます。

全国よりまた海外より沢山のご相談・鑑定依頼を頂戴し、一人一人を丁寧に鑑定させて頂いております。良い事は良い、悪い事は悪いと、はっきりお答え致しております。

よく不動産販売(持ち家・マンション)のイベントで家相や方位を来客者に鑑定して欲しいと言う依頼が沢山ございます。その時、販売会社にお答え致します。「もしそのお客様が気に入った物件でもお客様に取って悪い家相・悪い時期・悪い方位であった場合ははっきりと申しあげて良いですか」と。不動産会社の答えは「それは困ります」とすべての会社は答えます。その為、すべてのイベントはお断り致しております。

今日まで歩んで来た人生で上手く行っている人、上手く行っていない人がいます。人は毎日の生活で知らず知らずの間に方位を犯したり、悪い時期に事を起こしたりしています。

今までの人生を振り返り(気付く・反省する・今までの人生の節目・節目の出来事を確認する)そしてこれからの人生を良い方向に向かせる(築く)事は非常に大切な事だと思います。一度は自分の歩んで来た人生の節目を鑑定することも、今後の参考に成ります。

国際問題・政治問題・大事故・大事件・天変地異・芸能等幅広く実証して参りました。またこのブログを通して「人生の生き方」や「日本の伝統・文化・歴史」を参考にして下さい。(歴史は同じ過ちを犯さないために学びます)今後も様々な出来事の実証をして参ります。

ここに改めて「気学という教義」について、ご理解いただく意味で記載致しました。

気学とは、どんな学問かと言いますと、人間がこの世の中に初めて生を受け、大気にふれたその年・月・日を基本として占う学問で、人事一切の事柄を明らかにすると共に、どうしたら人間が幸福な生活を営むことが出来るかを、最も具体的に指導する「開運」の学問です。

「気学は自然界の示す祐気なり」と言う教示は開運学としての教示です。自然界は祐気と言う恩恵と尅気と言う邪の発動の作用があります。開運学は祐気と言う自然界の恩恵を取り入れて行く実践学を基としております。

気学は家相学・方位学を主軸にした教えと考え勝ちでありますが、九星学より継承された教義と十二支学より継承された教義が一体となり成立しております。

陰陽学・五行学・三才観学と言うそれぞれ異なる思考が一体化して根底を流れているのです。

外面的な要因は九星学(行動・相性相尅)・内面的な要因は十二支学(資質・縁)が説かれているのであります。

十二支学の基は天源術にあり、天源術はインドの仏教開祖のお釈迦様の「天に十二哲理あり」(十二起因説)の思想であります。

九星学の基は遁甲術にあります。中国の三国志時代に軍師の諸葛孔明師が用いた「八門遁甲術」があり、やがて日本でも遁甲学が九星学として流布して来たのです。ですから気学を学ぶ場合には九星学と十二支学(天源術)を共に学んでこそ「気学」と言う教義を理解することが出来るのであります。

自然界はバランスと新陳代謝を教示しておりますが、常に心得て行くことであります。一に意志力であり、二に常識(治療)・三に天命(宗教・運命学・易占い)と言う順であり、気学が方位論・手段論であると示しているのは、気学は天命の教示であるからです。

宗教や運命学や易占いと言う存在があって人生があるのではなく、その一人一人の意志力(生命力)があり、次に常識(育つ教育)があり、そして人生をどう生きて行くかの道中に、天命(宗教・運命学・易占い・気学等)の存在があるのです。これが順道です。

「不二の山、登りて見れば何もなし、良きも悪しきも、我こころなり」
意志の問われる所です。

今後ともよろしくお願いいたします。

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教育とは。

2009年4月18日 土曜日

4月より新学期が始まりました。

塩谷立文部科学相は4月から先行実施される小中学校の新学習指導要領で道徳教育が重視されることに絡み、「先人の生き方に学ぶ」などとした「『心を育(はぐく)む』ための5つの提案」を発表した。(産経新聞より)

提案は

①「読み書きそろばん・外遊び」を推進する。

②校訓を見つめ直し、実践する。

③先人の生き方や本物の文化・芸術から学ぶ。

④家庭で、生活の基本的ルールをつくる。

⑤地域の力で、教育を支える。

そして生活の基本的ルールについて、塩谷立文科相は「私の提案」として、「いじめるな」「うそをつくな」「人に迷惑をかけるな」などの具体例も挙げました。

そこで、今回は「教育とは」について述べます。

教育には知能・知識・知恵の育成があります。知能は生まれ備わったもので、知識は学習して行くこと、知恵は体験や経験(遊び)で得るものです。

知能には個性があります。その個性を社会に取って都合のよい無個性の人を作り上げて規格化して来た所に戦後60数年の教育の特徴があります。

人と同じ状態を行っていれば安心と言う考えが主流でした。社会が大きく発展するには、同一規格、同一レベル、同一思想が必要でした。その為に知識の豊富な学習と応用力に優れた人材が求められ、教育されて日本の経済力も大きく発展し、世界屈指の経済大国となりました。

そして教育面でも知識・学習・応用力では世界のトップにある国となりましたが、それもバブルで崩壊しました。

日本の教育は実に木目の細かい「ソフト分野」の人材を世に送り出しました。しかし資源が豊富で大量生産や大量消費も自然破壊や環境破壊が進行することにより、「ハードな分野」である将来の展望や夢の構築・決断力や創造力を持つ人たちの教育がなされていない事に気ガ付いて来ます。

その欠落していた教育の状況による弊害が政治家・官僚・企業等に悪影響して来ております。政治家においてもしっかりとした使命感で国の舵取りや、国民に将来の方向性を示せる人が少なく、保身や利害のみで政治を行う議員が多く、最高の教育を受けて来た人たちが数合わせに終始している現状は、理念とは程遠い世界を現出しております。

人の上に立つ立場の人は「ひらめきと決断」が強く求められます。

このひらめきと決断は「天性」のものであり、磨かれて行くものです。外因的に教えられたり、学習して得られるものではないのです。

地球の資源に限界や限度が見え、自然破壊が人類の生存に危機感を生じ、人類の発展が進み、欲望も広がり、それが多くの危機的状況が生じるのであれば、その発展の道筋を別な価値観のある豊かさへ、指導して行く人が強く求められるのです。

世の中が上昇発展した時代においては、その必要性から同じ価値観を持った人たちを教育して、横並びに均一化した教育が最善とされ求められて来たのです。

しかし、世の中の発展が減速し人々の要求も多種多様化の様相が生じ、均一化された状況から多様化された状況に変化し、また国も均一的に国民を主導して行く力も弱まり、生き方の多様性が求められる中、教育も改革を求められて来ているのです。

個性を尊び異なるものや異なる事も尊重し合うこと、自分なりの生き方や生活感を持った独自性を貫くための教育への変革期にあります。

家庭においても学校においてもすべての人達の力を頂き、将来の子供たちが生き生きと生活出来るように教育して行くのは大人の責任でもあります。その為にも自らが手本を示し恥じない言動をしたいものです。

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人は成人するまで七度変わる節目あり

2009年4月9日 木曜日

少年犯罪の凶悪化が急増しておりますが、子供の成長段階における親の成長への手抜きがそれらの一因にあり、親側の責任が全ての原因です。特に「しつけ」は家庭事です。

そして人は成人するまで七度変わる節目があります。

一度目は0歳~3歳(3年間)です。

感性や情緒が少しずつ確立して行く蓄積期間であり、性格も気質を中心として備わり、この間を手抜きすると自閉症や情緒不安となります。親子のコミユニケーションの一番大切な時期に当たり、性格の基礎的な状況の基盤も出来上がって来る。特に母子関係が重要です。

二度目は3歳~6歳(3年間)です。

幼児成育成長の最重要期にあたり、この間の成育成長の過程が成人後に大きな影響を与えることになり、摂食障害(過食症・拒食症)会社出社拒否・宗教への傾斜等の片寄りが生じる時期であり、幼児期の「しつけ」にとっても重要な時です。

三度目は6歳~9歳(3年間)です。

感性的なる要因から集団行動により、理性の芽生えが伸展して基礎学習の旺盛期時代となり、第一反抗期を迎える。視野と行動範囲が広がることにより自我が生じて来る頃です。

四度目は9歳~12歳(3年間)です。

幼児期から少年期に脱皮する時代であり、性格も安定し自覚も生れる時代です。

五度目は12歳~15歳(3年間)です。

親からの自立が始まる反抗期の時代を迎える。小学校時代に優等生であった子が一気に急変する頃であり、社会事件の少年犯罪の激増している年代でもあります。これらの一因には、第一反抗期(数え年の6・7歳)頃の経過の無い子供、挫折感なく成長して忍耐力の不足があります。行動を起こす前に考える行為をしないで重大事件の当事者になってしまう状態です。

六度目は15歳~18歳(3年間)です。

自立心も確立し、人生観や将来に対する目標も定まりつつある時代、大人への好奇心旺盛となる。

七度目は18歳~21歳(3年間)です。

大人への自覚も生じ権利感の旺盛な時代。幼児期の不成熟なる要因の後遺症が出始める時。

気学においては「生誕家相」を運気の強弱や性格形成において、最も重要視するのは、生誕してからの6年間(72ヶ月)が運命学上において多大なる影響を与えると言うことから考えられた教示なのであります。

近年女性の社会進出に伴い、結婚して子供を託児所や保育を他の人に委ねる状況の増加している中で、せめて6年間(72ヶ月)は子供の育児に専念することが大切です。それは幼児期の体験や環境が、後の人生の中で無意識の中の意識として影響して行くからです。

子供の性格・行動・しつけの形成の中で、母親に全ての原因があることになります。20数年前によく言われた「母原病」(子供の身体的あるいは精神的な病気の多くは、母親の子供への接し方に原因があるというもので、「母」に「原因」があるので「母原病」と呼ぶ。)と言う言葉が益々現実味となって現出している時代にあります。

子供は、苦労とか忍耐とか辛抱とかの幼児期体験も無く成育しており、挫折体験や第一反抗期も無く無菌状態で成長している要因の中で、周囲の環境の無秩序な「情報の垂れ流し」や「誘惑」また間違った「人権」や「平等主義」の弊害等、成長期の子供たちにとって、物の良否・善悪の基準の判断の出来ない中で、衝撃的な行動や胆略行動等でしか感情を表現できない乏しい人間関係が形成されている時代です。

子供の身体の中心線の病気は親の日常生活に原因があります。親の心浄が必要です。また子供の左側の病気・ケガは父親に原因があり、子供の右側の病気・ケガは母親に原因があります。

このような事を良く理解して子供を育ててもらいたいものです。

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日本人が失ってしまったもの。

2009年4月3日 金曜日

日本は長い歴史の生活習慣の中で「手間替え」(自分の余力を相手の不足している事を補い、自分の不足している分を相手から補ってもらう。)と言うお互いの協力行動が生活の中に定着しておりました。

困っている者が居れば当然手を差し伸べることは、そうした手間替えの慣習の中では特別意識して行うと言う行動ではありませんでした。

そうした行動は戦後の貧困な生活の中でも、しばし見掛けた光景でありました。いつの日か、こうした行動は逆に「おせっかい」と言われるようになり、世の中は心に隙間風が吹く時代へと変貌して来てしまいました。

親子間の交流も、隣近所のあいさつも希薄となり、絆と言う字も消滅するのではと言うくらい世の中の情勢に激変が生じております。

その結果、働き盛りの人たちに「うつ病」や「自律神経失調症」や「更年期障害」等々の心に関する病を患う人たちが激増していると言います。

自然の中の一員である人間、そして機能は時代の発展と共に利便性を探求し続ける余り許容の範囲を超えてしまった所に、心に余裕にない人間やエゴイストな人間が多く育ってしまった背景があります。

マスコミの報道は凶悪事件や事象面からのみ、ドラマティックに報道をただ垂れ流すだけで一方的に報じております。では何故そのような人間が増え、何故多発するかの背景議論が成されずにおります。

また報道の姿勢も一方向に流されて行き、余裕を持って報道することは皆無に近い現状です。

人と言う字は支え支えられる形から成り立ち、それが本来の人間の姿であります。貧しくとも人間としての夢があり、目的があり使命があり、絆で結ばれておりました。

今はものやお金に溢れていても、人の心は侵食されて余裕が失われ、ものやお金に振り回されている状況があります。そして何よりも失われてしまっているのは「品格・品性」と言う生き方であります。

日本文化を支えて来たと言うべき「恥の文化」が失われてしまった事に尽きます。

権利意識のみを主張し、義務をないがしろにする状況や、些細な事ですが通勤の電車内で化粧したり、食事したりする人が増えて迷惑を掛けていないのだからと言って公共の場で品性や恥を失った行動に出会う機会が多く見られます。

気学的に見て北方位の家相の凶相からの現象であり、医学的に見て前頭葉の脳の未発達であります。

余裕を持って人と共に絆を大切に、世の中は多少貧しくとも、品格や尊厳を第一に歴史・伝統・文化を構築する国家を目指すのか、一方市場経済優先の格差社会や一極集中の国家を目指すのか、今日本の国は大きな岐路に立たされています。

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