気学で見る日本の歴史と周期 NO2

2009年5月8日 金曜日

前回に続き「気学で見る日本の歴史と周期」の2回目となります。

気学と言う教示学は周期学の分野があり深く歴史的な根拠や実証をもったものであります。十干・十二支・九星の一循環の180を一単位として、陰陽の繰り返しの要因が発生します。最大の歴史の単位は720であります。

日本の歴史に当てはめて見ますと・・・

4世紀頃、国家の形体を成す創生の頃で、720年後の12世紀には武士が台頭して来ます。そして720年後の19世紀には武士が滅びて西洋文明を基盤とした社会が導入されて来ます。

2007年(丁亥二黒年)の720年前は1287年(弘安10年・丁亥二黒年)に当たります。弘安4年(辛巳八白年)には元の襲来による「弘安の役」が発生しております。この弘安4年(辛巳八白年)と平成13年(辛巳八白年)が重なります。

下元期始め(60周期)は昭和59年(甲子七赤年)に当たります。そして昭和61年から平成3年バブル隆盛期でした。平成3年、米ソ冷戦状態が終わり米国の一極世界制覇化が進みます。日本はバブル崩壊の流れの中で経済不況の真只中にあります。

720年前、元の再襲来が起きます。蒙古軍(元)は世界制覇を成し遂げている時代で、今の米国が世界制覇を成し遂げる姿と重なります。

蒙古軍は日本に侵攻することで、米国軍はイラク進攻で敗退を余儀なくされる姿は、時空を越えて事象の重なる周期の要因であります。

1274年(甲戌六白年)に文永の役で720年後の1994年(甲戌六白年)は平成6年です。

1281年(辛巳八白年)に弘安の役で720年後の2001年(辛巳八白年)は平成13年で21世紀が始まり小泉内閣の誕生です。

小泉内閣の誕生と弘安の役の襲来が720年と言う歳月を超えて、日本の節目になって行くことは、こうした歴史の周期の流れの中に要因が潜んでいるのです。類似した苦難の時代でした。

弘安の役後の、日本の姿はいかなる状態を露呈していったか720年前を検証することにより、今後の歴史の方向性と言った要因が予測出来るのではないのかと言うことであります。

文永の役から弘安の役までの7年間は元軍の襲来の危機で日本国中において不安定な受難期の時代で幕府の衰退状況となって行きます。そして市の発達・座の結成が興り、やがて貨幣経済の発達へとなって行くのです。

1285年(乙酉四緑年)に「霜月騒動」が発生します。720年後の2005年(乙酉四緑年)に郵政改革にまつわる衆院解散選挙で反対派が自民党を追い出される騒動が発生します。

霜月騒動とは執権北条貞時の外祖父安達泰盛と内官領平頼綱の確執がついに武力衝突をひきおこし、安達一族は滅亡し騒動は全国に波及して容易に鎮まらなかったのです。

事象の内容は異なるとはいえ過去の歴史の中の事象と現代の起こる事象に類似性のある状態があり、歴史の流れの周期は自然と時代事象と登場人物まで創出しているような気になります。次号に続く。

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