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気学で見るこの9年間の日本の政治 NO4

2009年9月20日 日曜日

小泉首相は平成13年の南西方位の盛運期1年目より盛運期の4年間を含めて、満5年と5ヶ月と言う歴代首相3位と言う長期政権となりました。

行政改革を旗印に国民の支持率も常に6割近い高い状況も生じ、常に高支持率を堅持して来ました。改革の理念の元で米国との外交も密月時代とも言える友好関係が続きました。しかし反面、日中・日韓との関係は靖国参拝問題から停滞を余儀なくされ物議が拡大されました。

就任当時は15年に及ぶ不況と低成長と不良債権があり、日本は経済的には情報技術(IT)不況の悪化の一途をたどる状況でした。平成15年4月(就任2年目)には日経平均株価はバブル崩壊後の最安値の7607円まで落ち込み金融不安が広がりました。米国の圧力で金融市場の規制緩和が進み市場万能主義による事件も発生しました。

また平成15年3月イラク戦争開戦において自衛隊派遣問題も憲法を変えずに実施し、道路関係四公団の民営化・郵政民営化が推進されて衆議院選挙(平成17年9月)には自民党大勝利となり、守旧派と言う人たちを追い出して自民党の派閥政治が大きく崩壊して行きました。

米国流の弱肉強食社会を選択し、社会に二極化現象と言う中間層が大きく減少する格差が広がって、改革が官僚主導の改革から国民主導(政治主導)の改革へと言う理念は手付かずに終り、相も変わらず官僚主導改革は成されていない状況です。

小さな政府と言う行政改革の本質的な改革が成されず理念も示されず米国の国策に則った政策の5年間であり、小泉首相・ブッシュ大統領の密月関係の状態による良否の結果は、良い面と悪い面の両極端を発生させたと言えます。

米国の本音は日本よりも中国にあり、日本も国策に則って戦略外交を行うくらいの思惑があっても良い5年半でした。目先のカッコよさに惑わされ「実利」の乏しい歳月の繰り返しでありました。

日本が将来に亘り、より健全で機能的な社会を構築されるには5つの政策の早期なる実行が必須でありました。①行政改革②規制緩和③税制優遇(減税政策)④情報公開⑤自己責任です。

こうした経済の健全な連鎖を基本として小泉内閣の5年半を顧みた場合、決して合格点は出せない状態であります。

つまり社会機構が大きく変動している時に、部分の改革を取り上げるだけでなく政治・法律・行政・企業・個人に対して同時に何年かの期間を設定して実行しなければ社会のある部分にアンバランスな状態が生じると言うことになります。

「理念なき政策は国民を路頭に迷わすだけであります。」サッチャー元英国首相が「与党における改革は革命でなくてはならない」と述べました。

国民の負担は重く加速され官僚主導の改革は進まず国民主導(政治)の状態も変化のない状態です。改革でなく革命でなくてはならない訳で、旧態としたしがらみの強い族議員・2世3世の世襲議員の人たちに国民の真意が代弁出来るのかと言う気持ちも強く生じて来るのです。

政治のプロである以上、政策を立案して行く以上、21世紀の政治家は日本の国益に則った信頼出来る「理念」を揚げて国造りの方向性をしっかり示して欲しいものです。次回に続く。

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気学で見るこの9年間の日本の政治 NO3

2009年9月10日 木曜日

小泉政権が誕生し平成18年には満5年目に入りました。

小泉首相(昭和17年1月生まれの五黄土星の人)改革の盛運期4年間が終わり、平成18年から衰運期の5年間が始まります。

平成17年11月の耐震偽装問題・小泉チルドレンの議員の公職選挙法違反による議員辞職・ライブドアの証券取引法違反事件と首相の衰運期に突入し始める状況の中で、逆風が吹き出して来たと言う事です。

小泉首相の改革も平成18年の9月の自民党総裁選挙で上手に受け継がれなければ、5年以上に亘る国民の期待と忍耐強く辛抱して来た国民の信頼を失うことになります。

自由民主党は確かに派閥は壊されました。しかしそれ以上に日本と言う国が、小泉政権で壊されたことには余り表面に出ない状況でありますが、国と言う尊厳が失われた事を国民は理解できずにおります。

それは明治維新の日米貿易通商条約と同様に、戦後60年、今の憲法を含めて近年金融政策・郵政改革・医療制度・司法改革等すべて米国から日本に対しての「年次改革要望書」通りに政治が動いていると言います。

米国の市場開放要求を事案として宮沢内閣以後、履行されている状況で米国51番目の州と言っても過言でない動向で推移しています。

バブル崩壊による不良債権は約250兆円から300兆円ありましたが、政府からの助成金が約100兆円そしてゼロ金利政策により10年間で累積154兆円です(本来は国民が利息として受け取れる金利)。合計254兆円、すなわち不良債権が相殺されたのです。

そして銀行は国民に還元しない利息の金で国債を買い続けてその保有は約100兆円です。小泉内閣は改革と言う名の元で国民に負担を強いてまたゼロ金利で耐える事を行い、銀行の預金を株式投資に移す政策を断行しております。

健全なる「実体経済」即ち企業を育てて株価が上昇し、配当によって利益を得ると言う本業の姿から、投資と言うより「投機屋(ギャンブラー)」と言う人たちを市場開放・規制緩和と称し実体のない虚構の企業を誕生させた要因が小泉政権の政策の裏側に存在していたのであります。

勤勉で働く事に美徳を持ち、真面目であった国民性が失われ、米国から示される年次改革要望書を時代のさきがけの様に振る舞い、政策に示される案がすべて米国からの提示による案であったと言う政治の無策が、政治の根幹にあったと言うことは「改革」と言う名の元に日本の国民に、自案のように粉飾している政府全体の責任は重い要因です。

企業においてもカネボウ・コクド西武鉄道・ライブドア等の粉飾決算、政治家の米国提案を丸飲みし、いかにも国民の為と改革を行っている小泉政権があり、企業・政界・国民等の粉飾まみれになっている今の日本の姿があります。

その何よりの根幹は国民の「拝金主義」による思考が根底にあることです。

戦後の日本社会および国民は「自立する」と言う要因を放棄して来ました。自立と言う自分自身で考え行動し責任をしっかり持つことを行わずに60年過ごして来たということです。

国会での耐震偽装問題の証人喚問においても責任転換の答弁ばかりで、しっかり責任を自覚していない状況です。企業は粉飾し、業者は偽装し、政治家は米国案に追随している現状が露呈している訳です。これら60年間の中で、自立と言う生存に係わる根幹を政治は国家安全を米国に依存し、企業は護送船団で官僚主導の元で成長して来たと言うことであります。

そして国民は物の豊かさに満足し、拝金主義を第一として考えるようになり、小泉首相は政治を劇場として演出する状況を「改革」をテーマに作り出した現状があります。昨年暮から年頭に発生している事柄は小泉内閣の5年間近くの政策の影の部分が、首相の運気衰運と同時に発生しています。

気学における下元期の状況が作り出す周期の下克上・実力主義・弱肉強食・感性が主体となる時代等々が続く情勢があります。自立が下元期の課せられた状況であり、自立には自己責任・自己管理・自己防衛が求められます。

耐震偽装問題も、住民の多くがこうした下元期要因を考えず、ただ利便性のみを追求した結果購入し被害を受けた訳です。日本が地震大国であることは誰もが自覚しています。そこに「なぜ」と言う自立するための疑問を選択の項目に入れないのかと言うことです。

関東大震災から85年・阪神・淡路大震災から14年、近くは中越地震があり、常に地震国であると言う考えがあれば、この価格で、この広さで、この利便性でと言う物件に対する購入の魅力の中に、なぜ安いのか・安全に対する思考が働く筈です。

それと不安定・混乱要因の状況の中で、また終身雇用の崩壊した状況で、ローンと言う借金を30数年に亘り返済する事を行う事に対しての時代の認識の甘さがあります。付けの反動が来る事は目に見えて判明します。

理念なき民族はただただ迷い生きているだけの民族です。日本民族は違います。

千数百年と言う歴史・文化・伝統ある尊厳ある国家であります。自然界と共存共栄して継承されてきた国家であります。戦後60数年、今の憲法があったから戦争が発生しなかったのではなく、もともと日本は「和」の国でありました。つまり民族の中に弱肉強食を回避する手段として和を求める民族でありました。

国・社会・地域・一族・家の崩壊がありました。今、発生している状況は日本が再生し「自立」しなければならない陣痛の過渡期なのだと信じる一念であります。次回に続く。

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気学で見るこの9年間の日本の政治 NO2

2009年9月5日 土曜日

第三次小泉改造内閣が平成17年(四緑木星酉年)10月31日夜に発足しました。

改革の総仕上げの内閣と称し、そして次世代のリーダーの行方は。平成18年9月までの任期を言明している首相、そしてポスト小泉へうまくバトンタッチが出来るか。強引な手法で解散し歴史的圧勝を果たした後だけに行方が気に掛かります。

「十年一昔」と称し、盛運期年4年、衰運期年5年、それが一循環するのが9年という歳月です。

小泉政権が誕生し4年半と言う歳月の経過があります。丁度、小泉政権と小泉首相の盛運期年の状態が重なり、政策においても改革においても良策の年の廻りがありました。しかし運気も平成17年の選挙の大勝利で自然界の御加護から減退する状況であります。

大成を行う時に表面に立つ立場(勝ち運)とそれを支えて行く立場(負を担う運)があります。一家にとって夫が社会で活躍するには(勝ち運)陰で支えてくれる(負を担う運)妻がいなければ、活躍は半減します。夫婦共稼ぎが行なわれれば、負を背負うのは子供です。

小泉首相が長続き政権を堅持し、揺るぎない人気(勝ち運)を得て来た状況の陰で、負を担っている実姉と実弟の存在は余り報道されておりませんが、しっかりと支えられております。

平成17年の第三次改造内閣において、盛運期年の人が7名(北川・中川・猪口・額賀・小池・杉浦)衰運期年の人が7名(麻生・二階・与謝野・沓掛・川崎・松田・小坂)そして上昇の閣僚が3名(中馬・安倍・谷垣)下降の首相(小泉)1名と言う運気です。また女性閣僚が2名(小池・猪口)選出されましたが、ともに本命三碧木星辰年生まれと言う運気盛んなる女性が、首相の両側に並び、首相の下降を上手に補充しています。

小泉首相の一貫した信念や改革行動は、今までにない手腕が国民に何がしかの期待感や希望をもたらして、多くの支持率を得て来たと思います。

第一次小泉内閣が誕生し、田中真紀子外相が外務省と対立し内紛が勃発した時が、大きな改革の断行の山場だったと思います。

4年半近く経過し大勝利しても遅きに失した感があります。この間に赤字国債は200兆円近く膨らみ700兆円を越えてしまいました。不良債権問題で優遇され続けている銀行は空前の利益を上げています。

そしてポスト小泉以降は景気の回復と言う声の元で、減税の撤廃や消費税の見直し等々の問題が発生して来ております。つまり小泉首相の改革は、外務省の内紛を田中外相と外務省官僚をお互いの「ケンカ両成敗」と言う解決法に小泉首相の真の手腕が見えたのです。

これから平成18年9月までの首相の任期において果たして国民は、改革と言う真の実態のない掛け声とパフォーマンス政策を容認し続けていくかです。

世界で「小さい政府」として成立しているのは米国と英国であります。そして「大きな政府」としては北欧の諸国があります。小さい政府とは自由主義経済の元で競争原理を基とした弱肉強食の社会です。大きな政府とは社会主義経済の元で官僚主導を基とした管理行政の社会です。

日本は明治以来、国主導の官僚主導が主となり成して来た国で、特に戦後の経済成長は国と官僚の主導の元で発展して来ました。しかし1990年代の東西冷戦消滅後において「国のあるべきかたち」が示されないままに現在に至って来ました。丁度、日本ではバブル景気から崩壊に至った頃であり、目先の問題に踊らされて、国のかたちをどう言うかたちにするかどころの話ではなかった訳です。

今、遅まきながら小泉首相の登場により初めて「この国のかたちがしっかりと国民に説明されないままで」その方向が、小さい政府に向かって改革されているのだと言うことを理解している所です。

日本人は曖昧な国民と言われますが、近年の歴代の首相から「国のかたちや国造り」の理念の説明は皆無と言ってよいくらい成されておりません。

後藤新平(関東大震災の復興時に現在の東京の「昭和通り」の道幅を広くし次世代に備えた人)のように市民の将来を思い政策を述べれば、大風呂敷と言われて酷評されます。近衛文磨元首相のように国民に圧倒的人気の高かった首相は、日米開戦への階段を駆け上がり、田中角栄元首相も国民の英雄的な人気の支持を受けながら、金権政治と称されて辞職します。

二人の背後には米国の策略陰謀に乗せられた面があるにせよ、目先の良否に一喜一憂する国民性のある事は今回の小泉郵政改革解散で大勝利した状況に相通じる要因と感じます。

戦後60年と言う節目の年に日本は岐路分岐に立たされています。「国造りのかたち」を政治家は示すべき時期が来ています。次回に続く。

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気学で見るこの9年間の日本の政治 NO1

2009年9月1日 火曜日

平成21年8月30日の衆議院総選挙で民主党が308議席を取る大勝利の結果となりました。それにともない「政権交代」の新しい日本の幕開けです。

平成13年(八白土星巳年)小泉内閣誕生から安倍内閣・福田内閣・麻生内閣そして、今年の平成21年(九紫火星丑年)鳩山内閣誕生までの9年間(気学周期の1周期である9年間)を10回に亘り振り返りたいと思います。

小泉内閣が誕生したのは平成13年4月26日(八白土星巳年・九紫火星辰月)であります。解散した日は平成17年8月8日(四緑木星酉年・二黒土星申月)であります。年において巳年と酉年、月において辰月と申月は三合となります。小泉内閣誕生年月を基として解散した状況は、節目の状況に当っていたことになります。

小泉首相(昭和17年1月8日生まれ・五黄土星巳年生まれ)にとって選挙の行われた平成17年(四緑木星酉年)9月(酉月)11日は年と月ともに酉の要因となり、運気の旺盛なる状況にありました。

戦後60年(終戦昭和20年は乙酉年)・自民党誕生50年(昭和30年は乙未年)・日露戦争戦勝100年(明治38年は乙巳年)平成17年(乙酉年)は歴史の節目の年です。

過去において、「酉」が「終わりの始まり」であった事象の生じた年であるのも、日本の生誕年が「酉年」であると言うことと、無縁であると言うことはないのです。何がしかの周期も発生して、日本の歴史を構築して来ているのです。

そう言う周期の状態から言って、平成17年と言う年は「終わりの始まり」と言う節目の年であるという事は、歴史の実証が示しています。

小泉首相は平成17年5月において小泉家一族の日露戦争戦勝時に創立した「成田山横須賀泉勝講」による創立100年記念を行い、記念碑を建立しております。

日露戦争戦勝100年(明治38年は乙巳年)で平成17年は(乙酉年)で三合の年に当たります。選挙で大勝した裏に一族の国を思う祈念の背景があります。平成17年の衆院選挙において国民はカオス(無秩序・混沌・混乱と言う意味です)の道程を選択したことになります。

なぜならば自民党が大勝し真の改革は遠のいたからです。小泉首相が真の改革者であるならば、首相になっての4年間の中で、このような決断が出来た機会は、内閣誕生時にいくらでもあった要因です。

道路公団改革・地方制度改革が中途半端で終わり、郵政改革案も廃案となり頓挫したのでは、小泉首相の改革意義が失われたからであります。一見小泉首相が国民から信任され、改革がやり易くなったように見えますが、実態は逆であり、官僚主導の政治となる要因が強くなったと言えるのです。

小泉首相が田中真紀子元外相と外務省官僚との対立の中で、両者の痛み分けと言う型を選択した段階で、改革の芽は頓挫したのであります。日本の行政改革は官僚主導を国民主導に移行する改革であります。それを着手するどころか見てみぬふりをした態度に、以後の小泉内閣の改革に対する曖昧さが伺い知れたのであります。

北朝鮮に対する「対話と制裁」も同様であります。4年以上に亘り北朝鮮に対する政策理念より、主導権は北朝鮮に握られたままで、何ら基本的理念が示されないままで、時を経過してしまったのは、意欲の決如以外考えられない事であります。

平成17年の衆院解散と言う強行の裏に大きく意欲を促す要因はしっかりとあるのです。佐藤栄作元首相・田中角栄元首相・田中真紀子元外相らが、米国主導の政治要因から親中国寄りに日本の政治の舵を切り選択した時、大きなうねり(米国の政策)にのまれてしまった訳です。米国の政策に対峙する選択を行うことで首相や外相の座から追われる要因となります。

小泉首相の郵政改革法案は出と入りの改革で言えば入りの部分の改革であります。即ち改革と言うのは「入りを量して、出を制す」と言う原則があります。

つまり予算が減少している以上まず出る所からの改革です。つまりお金の使い道であります。特に特殊法人と言う役所の改革・官僚制度の改革・道路公団等に見る民営化・国家地方公務員の給料・国会議員の削減等々、まず権力側から、自らの改革をやって見せる事が重要です。

道路公団改革も地方分権の委譲も中途半端になり、出の部分での改革の失政で、小泉内閣の改革は失敗しているのです。選挙で大勝しても官僚主導が変わる訳ではありません。むしろより強まる状況です。物事を素直に考えた時「出入口」と言います。「入出口」とは言いません。即ち諸事の順序は出を制することから改革は始まるのが順です。

国側のパフォーマンスによる仕掛けで選挙を大勝してもそれは一過程でしかありません。世界史の流れの中で、政治は今回の衆院選挙の様な「劇場型」選挙が多くありました。地バン・看バン・カバンと言われた二世・三世の世襲の要因も変化して来ることで、政界も大きく変化する機運です。それは小選挙区の利点であります。しかし平成17年の選挙でも相変わらず「しがらみ」の要因から当選した議員も多く日本の政治背景の過度にある訳です。

歴史の周期や民主主義の成立の過程では、今回のような小泉首相の行動は「改革の名の元に」自民党の延命になっても改革に至らない事例はあり、民主主義成立過程での試練であります。次回に続く。

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気学で見る元英国首相サッチャー女史の軌跡

2009年8月24日 月曜日

三期11年半と言う長期政権をやり遂げた、元英国首相サッチャー女史の軌跡をご紹介します。

元英国首相サッチャー女史  1925年10月13日生まれ(本命三碧木星丑年・月命六白金星戌月生まれ)

1925年10月13日イングランド北部の田舎町グランサムで雑貨屋を経営する子として生まれました。少女時代は店番に立ったこともあり、サッチャーイズムの根幹をなす「働かざる者、食うべからず」の自助の哲学は、厳格で勤勉な家庭の中で培われたのです。

オックスフォード大学に進み、女史が専攻したのは化学でありましたが、保守党活動に手を染めたのは、地区議会の同党議員であった父親の影響が大きかったのです。

本命三碧木星は女性であっても「長男」の象意であり、相続継承の星です。思想的に父親の思いを相続継承したことになり、月命六白金星にもそのような象意があります。

卒業後、代々塗料会社を経営する富裕なる家のデニス・サッチャー氏の後妻におさまります。また政治活動に専念できたのは、夫の経済力があったからと後年述壊しております。

1959年(昭和34年・五黄土星亥年)に3回目の挑戦で下院議員に当選しました。女史の本命星が東方位に廻座し盛運年2年目の運気であり、運気盛んに上昇し発展して行く時期にあり、3回目の挑戦が大きな開花への足掛りとなります。この東方位廻座で当選したことが、後の大輪へと伸展する所となって行きます。

1975年(昭和50年・七赤金星卯年)において、保守党のヒース党首(元首相)は労働党に政権を奪われており、保守党大会でそのヒース氏を破り、初の女性党首となりました。

運気的には北方位に本命星廻座で、最低の衰運期年(厄年)にかかわらず、時勢が味方したのは、初当選した亥年と、この年の卯年は三合の好運発芽旺盛年に当たったからです。(しかし最後期に至り、北方位廻座(厄年)発進が不利を生じます)

1979年(昭和54年・三碧木星未年)の5月の総選挙で、保守党が勝利し労働党から保守党への政権を奪回します。そして英国議会初の女性首相になったのであります。本命三碧木星は中宮位に廻座し、盛運期4年目の開花・結実期の状態にあり、過去の努力が認められて、大きく飛躍したのです。

1979年英国の長い不況の中で首相に就任したサッチャー首相は、週末ごとにテレビ演説で「大きい政府による福祉国家は、むしろ人間の尊厳を踏みにじむものだ」「英国を真に偉大にするために再び自らの脚で立とう」と言う理念を掲げます。そして地道に自立への方向性と自らの政治信條・理念を説いて歩きます。

こうした努力に対し、英国の国民は「民主主義なのだから生き方は個人の自由だ」と反発も強かったのです。しかし大ストライキでロンドンの街がゴミで埋まる「不満の冬」の最悪の事態を経験します。そしてその要因や改革されない要因が国民の不満となりサッチャーイズムが浸透して行きます。

そして首相に就任して行くまでの状況は、気学三合の理に則した軌道があり、生・旺・墓と言う流れが亥(生)代議士に当選する。卯(旺)党首になる。未(墓)首相になる。と言うステップを如実に辿る結果となったのであります。

それが三期11年半と言う長期政権の土台となり、こうした天理天道の上に則った「軌跡」が英国最初の、女性首相の誕生の背景にあったのです。

人は何を以って成功とするか、下院議員に当選した時か、党首になった時か、あるいは首相になった時か、意味の異なるところではありますが、人の成功と言う影にはこうした「人智」を越えためぐり合わせと言うものがあり、決して「我が力」のもたらすのみにあらずなのです。

サッチャー女史にとって男性上位の保守政治の中で、ハンデがコンセンサス(意見の一致等)は信條、原則価値観の放棄、「コンセンサスの旗の下で、誰が戦争に勝っただろうか」との名言を放ち小さな政府造りと市場・自由経済の追求へと一途に邁進し、税制改革・民営化・労組の切り崩しに成功し、「英国病」に苦しんでいたどん底の経済を立て直したのです。

1982年(昭和57年・九紫火星戌年)4月から6月にかけ発生したフォークランド紛争(アルゼンチンとフォークランド諸島の領有権をめぐり軍事衝突した)の勝利で国民的英雄となりました。

この年はサッチャー首相の運気は衰運年3年目の変化改革や停滞等の機運の年であり、苦しい情勢にありました。しかし持ち前の信念と哲学があり、強い行動力で衰運期を打開し、跳ね除けられた状況があり、めぐり合わせた苦境を強い実行力で困難を克服し、プラス要因に変えた訳です。強い信念と行動力で運気衰運年を打開したのです。

1983年(昭和58年・八白土星亥年)6月に危ないと言われた総選挙を圧勝します。政権の2期目に入ります。(日本においては中曽根内閣が誕生した年です)この年のサッチャー首相の運気は衰運年4年目にあたり、名誉・名声の顕現を見る年でありました。またサッチャー首相の軌道三合の亥年であり、運気のめぐりは衰運年であっても、軌道三合の亥年と言う「新生」と言う新たなめぐりの機運の生じた年でした。

出発の時が一つの軌道現象の基になり、次から次への難局を乗り越え打開出来て行くのは、出発時の大切さがあり新規参入の着手時の運気に左右されるのです。物事の最初着手行動の大切さがここにあるのです。良い時期(盛運期)に始動は運気開花の基です。

1984年には中国と香港返還の合意があり、訪英したソ連邦ゴルバチョフ政治局員(当時)と会談し、その手腕を認めその後「東方外交」を進めて行きますが反共姿勢を貫きました。またEC経済統合問題においても信念を通したのです。

1987年(昭和62年・四緑木星卯年)6月の総選挙で保守党が大勝します。英憲政史上最長の三選を決めます。しかし盛運年3年目でありますがサッチャー首相の本命星三碧木星に暗剣殺(他動要因)の付いた年に三選を果たした事になり、辞任の要因を暗示することになります。

これ以降少しずつ後退の機運が目立って来るのです。運気の三合の軌道の流れから言えば平成3年の未年に辞任があるのが流れですが、三選した年の本命に暗剣殺が付いている状態が、ここに来て顕現し辞任を早めたのです。

妥協を許さない強い信念の元に貫かれたサッチャーイズムも、1980年代の英国の政治経済の強いけん引車も、三選以降は運気の衰退の状況の中で、ともに色あせて行きました。

政治手腕は「鉄のサッチャー」と呼ばれ業績においても歴史上で屈指の偉大なる政治家と称されると思います。英国政治の議会に残したものは、この12年間の間に中庸の伝統「よりよい道を協議と理論を持って戦い妥協点を見出して行く」と言う継続の精神が、壊され崩されて来て右と左に大きく傾いて、保守党と労働党の間に大きく差の生じてしまったことは、力の強いリーダー政治家の後等に、しばしば生じる現象です。

気学的に考査して一個人としてのサッチャー女史の軌跡を見ると、良い軌道時(盛運年)に乗って成功成就の道を極め歩めたと言うことは特筆すべきことであります。

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