‘九星気学’ カテゴリーのアーカイブ

気学で見るこの9年間の日本の政治 NO1

2009年9月1日 火曜日

平成21年8月30日の衆議院総選挙で民主党が308議席を取る大勝利の結果となりました。それにともない「政権交代」の新しい日本の幕開けです。

平成13年(八白土星巳年)小泉内閣誕生から安倍内閣・福田内閣・麻生内閣そして、今年の平成21年(九紫火星丑年)鳩山内閣誕生までの9年間(気学周期の1周期である9年間)を10回に亘り振り返りたいと思います。

小泉内閣が誕生したのは平成13年4月26日(八白土星巳年・九紫火星辰月)であります。解散した日は平成17年8月8日(四緑木星酉年・二黒土星申月)であります。年において巳年と酉年、月において辰月と申月は三合となります。小泉内閣誕生年月を基として解散した状況は、節目の状況に当っていたことになります。

小泉首相(昭和17年1月8日生まれ・五黄土星巳年生まれ)にとって選挙の行われた平成17年(四緑木星酉年)9月(酉月)11日は年と月ともに酉の要因となり、運気の旺盛なる状況にありました。

戦後60年(終戦昭和20年は乙酉年)・自民党誕生50年(昭和30年は乙未年)・日露戦争戦勝100年(明治38年は乙巳年)平成17年(乙酉年)は歴史の節目の年です。

過去において、「酉」が「終わりの始まり」であった事象の生じた年であるのも、日本の生誕年が「酉年」であると言うことと、無縁であると言うことはないのです。何がしかの周期も発生して、日本の歴史を構築して来ているのです。

そう言う周期の状態から言って、平成17年と言う年は「終わりの始まり」と言う節目の年であるという事は、歴史の実証が示しています。

小泉首相は平成17年5月において小泉家一族の日露戦争戦勝時に創立した「成田山横須賀泉勝講」による創立100年記念を行い、記念碑を建立しております。

日露戦争戦勝100年(明治38年は乙巳年)で平成17年は(乙酉年)で三合の年に当たります。選挙で大勝した裏に一族の国を思う祈念の背景があります。平成17年の衆院選挙において国民はカオス(無秩序・混沌・混乱と言う意味です)の道程を選択したことになります。

なぜならば自民党が大勝し真の改革は遠のいたからです。小泉首相が真の改革者であるならば、首相になっての4年間の中で、このような決断が出来た機会は、内閣誕生時にいくらでもあった要因です。

道路公団改革・地方制度改革が中途半端で終わり、郵政改革案も廃案となり頓挫したのでは、小泉首相の改革意義が失われたからであります。一見小泉首相が国民から信任され、改革がやり易くなったように見えますが、実態は逆であり、官僚主導の政治となる要因が強くなったと言えるのです。

小泉首相が田中真紀子元外相と外務省官僚との対立の中で、両者の痛み分けと言う型を選択した段階で、改革の芽は頓挫したのであります。日本の行政改革は官僚主導を国民主導に移行する改革であります。それを着手するどころか見てみぬふりをした態度に、以後の小泉内閣の改革に対する曖昧さが伺い知れたのであります。

北朝鮮に対する「対話と制裁」も同様であります。4年以上に亘り北朝鮮に対する政策理念より、主導権は北朝鮮に握られたままで、何ら基本的理念が示されないままで、時を経過してしまったのは、意欲の決如以外考えられない事であります。

平成17年の衆院解散と言う強行の裏に大きく意欲を促す要因はしっかりとあるのです。佐藤栄作元首相・田中角栄元首相・田中真紀子元外相らが、米国主導の政治要因から親中国寄りに日本の政治の舵を切り選択した時、大きなうねり(米国の政策)にのまれてしまった訳です。米国の政策に対峙する選択を行うことで首相や外相の座から追われる要因となります。

小泉首相の郵政改革法案は出と入りの改革で言えば入りの部分の改革であります。即ち改革と言うのは「入りを量して、出を制す」と言う原則があります。

つまり予算が減少している以上まず出る所からの改革です。つまりお金の使い道であります。特に特殊法人と言う役所の改革・官僚制度の改革・道路公団等に見る民営化・国家地方公務員の給料・国会議員の削減等々、まず権力側から、自らの改革をやって見せる事が重要です。

道路公団改革も地方分権の委譲も中途半端になり、出の部分での改革の失政で、小泉内閣の改革は失敗しているのです。選挙で大勝しても官僚主導が変わる訳ではありません。むしろより強まる状況です。物事を素直に考えた時「出入口」と言います。「入出口」とは言いません。即ち諸事の順序は出を制することから改革は始まるのが順です。

国側のパフォーマンスによる仕掛けで選挙を大勝してもそれは一過程でしかありません。世界史の流れの中で、政治は今回の衆院選挙の様な「劇場型」選挙が多くありました。地バン・看バン・カバンと言われた二世・三世の世襲の要因も変化して来ることで、政界も大きく変化する機運です。それは小選挙区の利点であります。しかし平成17年の選挙でも相変わらず「しがらみ」の要因から当選した議員も多く日本の政治背景の過度にある訳です。

歴史の周期や民主主義の成立の過程では、今回のような小泉首相の行動は「改革の名の元に」自民党の延命になっても改革に至らない事例はあり、民主主義成立過程での試練であります。次回に続く。

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気学で見る元英国首相サッチャー女史の軌跡

2009年8月24日 月曜日

三期11年半と言う長期政権をやり遂げた、元英国首相サッチャー女史の軌跡をご紹介します。

元英国首相サッチャー女史  1925年10月13日生まれ(本命三碧木星丑年・月命六白金星戌月生まれ)

1925年10月13日イングランド北部の田舎町グランサムで雑貨屋を経営する子として生まれました。少女時代は店番に立ったこともあり、サッチャーイズムの根幹をなす「働かざる者、食うべからず」の自助の哲学は、厳格で勤勉な家庭の中で培われたのです。

オックスフォード大学に進み、女史が専攻したのは化学でありましたが、保守党活動に手を染めたのは、地区議会の同党議員であった父親の影響が大きかったのです。

本命三碧木星は女性であっても「長男」の象意であり、相続継承の星です。思想的に父親の思いを相続継承したことになり、月命六白金星にもそのような象意があります。

卒業後、代々塗料会社を経営する富裕なる家のデニス・サッチャー氏の後妻におさまります。また政治活動に専念できたのは、夫の経済力があったからと後年述壊しております。

1959年(昭和34年・五黄土星亥年)に3回目の挑戦で下院議員に当選しました。女史の本命星が東方位に廻座し盛運年2年目の運気であり、運気盛んに上昇し発展して行く時期にあり、3回目の挑戦が大きな開花への足掛りとなります。この東方位廻座で当選したことが、後の大輪へと伸展する所となって行きます。

1975年(昭和50年・七赤金星卯年)において、保守党のヒース党首(元首相)は労働党に政権を奪われており、保守党大会でそのヒース氏を破り、初の女性党首となりました。

運気的には北方位に本命星廻座で、最低の衰運期年(厄年)にかかわらず、時勢が味方したのは、初当選した亥年と、この年の卯年は三合の好運発芽旺盛年に当たったからです。(しかし最後期に至り、北方位廻座(厄年)発進が不利を生じます)

1979年(昭和54年・三碧木星未年)の5月の総選挙で、保守党が勝利し労働党から保守党への政権を奪回します。そして英国議会初の女性首相になったのであります。本命三碧木星は中宮位に廻座し、盛運期4年目の開花・結実期の状態にあり、過去の努力が認められて、大きく飛躍したのです。

1979年英国の長い不況の中で首相に就任したサッチャー首相は、週末ごとにテレビ演説で「大きい政府による福祉国家は、むしろ人間の尊厳を踏みにじむものだ」「英国を真に偉大にするために再び自らの脚で立とう」と言う理念を掲げます。そして地道に自立への方向性と自らの政治信條・理念を説いて歩きます。

こうした努力に対し、英国の国民は「民主主義なのだから生き方は個人の自由だ」と反発も強かったのです。しかし大ストライキでロンドンの街がゴミで埋まる「不満の冬」の最悪の事態を経験します。そしてその要因や改革されない要因が国民の不満となりサッチャーイズムが浸透して行きます。

そして首相に就任して行くまでの状況は、気学三合の理に則した軌道があり、生・旺・墓と言う流れが亥(生)代議士に当選する。卯(旺)党首になる。未(墓)首相になる。と言うステップを如実に辿る結果となったのであります。

それが三期11年半と言う長期政権の土台となり、こうした天理天道の上に則った「軌跡」が英国最初の、女性首相の誕生の背景にあったのです。

人は何を以って成功とするか、下院議員に当選した時か、党首になった時か、あるいは首相になった時か、意味の異なるところではありますが、人の成功と言う影にはこうした「人智」を越えためぐり合わせと言うものがあり、決して「我が力」のもたらすのみにあらずなのです。

サッチャー女史にとって男性上位の保守政治の中で、ハンデがコンセンサス(意見の一致等)は信條、原則価値観の放棄、「コンセンサスの旗の下で、誰が戦争に勝っただろうか」との名言を放ち小さな政府造りと市場・自由経済の追求へと一途に邁進し、税制改革・民営化・労組の切り崩しに成功し、「英国病」に苦しんでいたどん底の経済を立て直したのです。

1982年(昭和57年・九紫火星戌年)4月から6月にかけ発生したフォークランド紛争(アルゼンチンとフォークランド諸島の領有権をめぐり軍事衝突した)の勝利で国民的英雄となりました。

この年はサッチャー首相の運気は衰運年3年目の変化改革や停滞等の機運の年であり、苦しい情勢にありました。しかし持ち前の信念と哲学があり、強い行動力で衰運期を打開し、跳ね除けられた状況があり、めぐり合わせた苦境を強い実行力で困難を克服し、プラス要因に変えた訳です。強い信念と行動力で運気衰運年を打開したのです。

1983年(昭和58年・八白土星亥年)6月に危ないと言われた総選挙を圧勝します。政権の2期目に入ります。(日本においては中曽根内閣が誕生した年です)この年のサッチャー首相の運気は衰運年4年目にあたり、名誉・名声の顕現を見る年でありました。またサッチャー首相の軌道三合の亥年であり、運気のめぐりは衰運年であっても、軌道三合の亥年と言う「新生」と言う新たなめぐりの機運の生じた年でした。

出発の時が一つの軌道現象の基になり、次から次への難局を乗り越え打開出来て行くのは、出発時の大切さがあり新規参入の着手時の運気に左右されるのです。物事の最初着手行動の大切さがここにあるのです。良い時期(盛運期)に始動は運気開花の基です。

1984年には中国と香港返還の合意があり、訪英したソ連邦ゴルバチョフ政治局員(当時)と会談し、その手腕を認めその後「東方外交」を進めて行きますが反共姿勢を貫きました。またEC経済統合問題においても信念を通したのです。

1987年(昭和62年・四緑木星卯年)6月の総選挙で保守党が大勝します。英憲政史上最長の三選を決めます。しかし盛運年3年目でありますがサッチャー首相の本命星三碧木星に暗剣殺(他動要因)の付いた年に三選を果たした事になり、辞任の要因を暗示することになります。

これ以降少しずつ後退の機運が目立って来るのです。運気の三合の軌道の流れから言えば平成3年の未年に辞任があるのが流れですが、三選した年の本命に暗剣殺が付いている状態が、ここに来て顕現し辞任を早めたのです。

妥協を許さない強い信念の元に貫かれたサッチャーイズムも、1980年代の英国の政治経済の強いけん引車も、三選以降は運気の衰退の状況の中で、ともに色あせて行きました。

政治手腕は「鉄のサッチャー」と呼ばれ業績においても歴史上で屈指の偉大なる政治家と称されると思います。英国政治の議会に残したものは、この12年間の間に中庸の伝統「よりよい道を協議と理論を持って戦い妥協点を見出して行く」と言う継続の精神が、壊され崩されて来て右と左に大きく傾いて、保守党と労働党の間に大きく差の生じてしまったことは、力の強いリーダー政治家の後等に、しばしば生じる現象です。

気学的に考査して一個人としてのサッチャー女史の軌跡を見ると、良い軌道時(盛運年)に乗って成功成就の道を極め歩めたと言うことは特筆すべきことであります。

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気学で見るプロ野球川上・長島・王の三合関係

2009年8月18日 火曜日

今回はブログにも頻繁に出てくる三合の関係についての良い実例を述べます。

川上哲治氏 大正9年3月23日生まれ(本命八白土星申年・月命一白水星卯月)

長島茂雄氏 昭和11年2月20日生まれ(本命一白水星子年・月命八白土星寅月)

王 貞治氏 昭和15年5月20日生まれ(本命六白金星辰年・月命二黒土星巳月)

川上氏は申年生まれ・長島氏は子年生まれ・王氏は辰年生まれです。気学では相生相剋の吉凶は九星で判断、十二支は「縁」「容姿」を判断します。つまり外因的なる要因は、時や時節に左右されることが生じますが、内因的なる要因は、時や時節に左右されません。現役時代の縁だけでなく一生涯の縁となって行きます。

三合関係にとって申の主星に対して従星が子であり、子の主星に対して従星が辰であり、辰の主星に対して従星が申であります。主星は従星に運気を与え、従星は主星に尽力するという関係であります。

長島氏夫人を紹介したのが王氏であります。この三合関係の縁は、人物のみならず方位の活用にも及んでいるのであります。長島氏と王氏は、九星も相生関係は吉であり、十二支の縁もあり、生涯を通しての関係ということになります。

巨人時代に残した業績は「記憶の長島・記録の王」といわれ、天才肌の長島に対して努力肌の王として活躍していたのです。この二人の選手を指揮したのが信念の人といわれる川上氏であります。

読売巨人軍のV9という偉業はこうした縁による三合関係の吉兆があった訳です。

三合関係にて良い相性は子―辰-申・丑―巳―酉・寅―午―戌・卯―未―亥となります。

逆に相生相剋の悪いのは子―午・丑―未・寅―申・卯―酉・辰―戌・巳―亥となります。

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心の豊かさを求めて

2009年8月11日 火曜日

お盆休みの期間に入りました。今回はこの期間に改めてゆっくりと自分と向き合って「気付く心」について考えて頂ければ嬉しいです。

時代は進み人間の生活も格段に発展して来ておりますが、心の部分での人間の発展は何か袋小路に入り込んでしまったような状態となって来ております。

哲学が喪失してしまった時代であり、生活の向上発展以上に、心の豊かさとも言うべき事が少しも向上発展しない時代と言えます。

「心の豊かさとは」と問われた時、「気付く心持つ」と答えます。佛教では「悟り」と言いますが、一つの事柄に対して多くの人々の思いや努力があり、その裏に気付く事だと思います。

人生において前半の時代は努力して基盤を堅実に築き(きずき)あげて行きます。人生の後半の時代は、ある程度経験を至って来たことにより自省・反省の中にふっと気付く(きづく)ことがあります。

言葉には「言霊(ことだま)」と言って、言葉には「神宿る」の教えがあり、「きずき」と「きづき」には人間として成長発展の意気が込められている反面、過ぎて来た人生の足跡も含まれるのです。

自分の人生を築き「往く道を築き」そして、今日まで歩んできた人生の自省・反省による「来た道に気付く」そこに精神があり、理念があり、趣旨があります。

仕事や生活の中の事象・事柄等々の状況下で、常に些細なことであっても、先ずは気付く努力を心掛けることが大切です。情報化社会の中で情報が溢れてついつい大きな事柄や事象に目を奪われ勝ちになり、大きな事柄のみに対応が追われ勝ちに成り易いと言います。しかし大事とは小事の積み重ねの成果にあることを知る必要があります。

情報が溢れその情報は正邪良否の多岐多様に亘り判断の難しさがあります。そして大きな社会事件に発展し、問題化される状況のきっかけの始まりに、小さな事柄や小さい事象からの始動があります。

その事後から考えれば、「何でそんなに些細な事が、あるいは簡単と思われる要因が出来なかったのか」と思われ勝ちでありますが、物事の崩壊現象や大きな問題の予兆としてのきっかけは小さい事柄や小さい事象の見落としにあることは、過去の不詳問題や事件に多く実証されております。

時代は複雑多岐化して捉え難い状況にありますが、どんな時代が到来しても「心理はひとつ」であります。物が溢れて生活が豊になっても心の機微は変わらずに、物事は一つ一つの積み重ねの上に成り立っているのであり、途中の経過を機械やロボットや機器が介在して利便性を高めているだけであり、人間本来の気付くと言う思考が失われれば社会崩壊に至る要因となります。

仕事や生活の中で小さい積み重ねの努力は、根気や忍耐の求められる要因であります。そして何よりも大切なことは、人の気付かぬ事に気付き実行する心は貴重な財産です。

人生の行く道を築くのも、人生の来た道に気付くのも共に「き」が根元であります。人生をより豊かに築く導きであり、歩んで来た人生に気付くという自省が繁栄の礎であることを含むからです。

今あることのみをただの現象面・偶然と考えるのではなく、その裏を考えれば必然性のある事に気付く筈です。物資に溺れると思考が停滞し快楽に走ります。時代の流れに合わせようとすると自己を見失います。そうした状態が今の日本の中に蔓延しつつあります。

自由経済の競争した社会から貧富の差が拡大していると言います。しかし何ら恐れる事はありません。自分の生き方・方向性(目的観)を持って歩む時代です。豊かさは物や金銭意外にも得る事は出来るのですから。

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気学で見る「そごう百貨店」の軌跡

2009年8月4日 火曜日

百貨店業界の低迷により再編や閉店が続く中で、老舗百貨店「そごう心斎橋本店」の閉店が8月31日に近づいています。

ここでその軌跡を振り返ってみたいと思います。

1830年(天保元年・八白寅年)古着屋「大和屋」として大阪船場で創業。

1877年(明治10年・六白丑年)大阪・心斎橋に移転。

1919年(大正8年・九紫未年)株式会社「十合(そごう)呉服店」を設立。

1933年(昭和8年・四緑酉年)百貨店第一号大阪店が一部開業。

1957年(昭和32年・七赤酉年)東京有楽町に進出。

1962年(昭和37年・二黒寅年)興銀出身の水島広雄氏が社長就任。

1967年(昭和42年・六白未年)4店目・千葉そごう開業。

1969年(昭和44年・四緑酉年)社名「そごう」に変更。

1984年(昭和59年・七赤子年)タイに初の海外進出。

1991年(平成3年・九紫未年)国内外の店舗数30店。

1994年(平成6年・六白戌年)水島氏会長に、第一次再建計画。

1997年(平成9年・三碧丑年)第二次再建計画。

1999年(平成11年・一白卯年)山田恭一社長。

2000年(平成12年・九紫辰年)2月茂原そごう閉鎖・4月水島会長辞任。倒産。その後セブン&アイ・ホールディングスが運営。

2009年(平成21年。九紫丑年)そごう心斎橋本店が閉店。

昭和32年(七赤酉年)に東京有楽町への進出でしたが実利が伸びなかった。気学上において大凶方位の五黄殺に進出しました。

水島広雄 明治45年4月15日生まれ(本命七赤子・月命六白辰)

拡張路線の陣頭指揮に当ったのは、1958年(昭和33年・六白金星戌年)に日本興業銀行から副社長として入社し、4年後の1962年(昭和37年・二黒土星寅年)に社長に就任した水島広雄氏で、約40年間に亘り実権を握って来た社長です。

水島氏の入社は衰運期1年目の年であり、自ら暗剣殺を持ち、気学上は不利多難の状況年です。そして社長に就任した年は、衰運期5年目の厄年に当たり、「一陽来復」の機運があっても周囲は決して良い因の時とはいえず、始動年としては良果に至る年ではない要因です。

昭和42年の多店舗展開も衰運期1年目であり、バブル期の昭和60年(六白丑年)から平成2年(一白午年)までの5年間は、バブルの上昇期と、水島氏の運気状況が反比例しており、水島氏の5年間の衰運期の時期にバブルの拡大時期と重なり、膨大なる負債額へと広がり倒産に至りました。

大正8年(九紫未年)に㈱十合呉服店を設立し、百貨店経営業を始めて72年後の平成3年(九紫未年・気学周期の9年×8周期=72年)拡張のピークを迎え以後、減収と不良経営へと転じて行く事になり、平成12年(九紫火星辰年)に倒産となります。

倒産後はセブン&アイ・ホールディングスが運営しましたが、9年後(平成21年・九紫火星丑年)の今年、そごう心斎橋本店は8月31日に閉店となります。

大正8年の九紫火星年に始まり、今年の平成21年の九紫火星年で終わる運命でした。

店舗は大丸や松坂屋を傘下に置くJ・フロントリテイリングが買収、南隣にあって長年のライバルだった大丸心斎橋店の「新館」として11月に営業を始めることになります。

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気学と健康

2009年7月28日 火曜日

「病者に開運なし」と言う教示があります。病気と言っても一般的に言われている病気も含めて精神的な病気・身体的な病気・行動的な病気があります。

これらの病気はすべて方災(悪い方位)に対する結果であり、決して元から存在するものではありません。その為にその結果に対する原因を解明し、対策を講じれば病気は治ると考えるのであります。勿論急に改善されたからと言って、今日・明日にも治るものではありませんが、しかしその原因を取り除かない限り、また対策を講じないかぎりその原因は末代まで続くと言うことであります。

現代社会においては半ば自然界を無視して発展して来ております。生活の便利さも大変重要ですが、やはり人間は自然界の一員であります。そうした自覚から少々の不便さは耐えるべき許容の範囲であります。便利な車社会になり、歩くと言う人間本来の備わった機能が減少して、運動不足となり、病気の遠因になったりしております。

気学では病気になる。あるいは病者になると言うことは自然界の発動する「尅気」を受けたからと解釈します。尅気を受け心に悪気が生まれ、体へとそして行動へと浸透進展して行くと考えます。

「人の吉凶は動より生ず」「病は不動点より発す」と言う教示があります。

「尅気」とは五黄殺・暗剣殺・歳破殺・月破殺・本命殺・本命的殺と言う六大凶殺から発する悪い気の事を指します。そして小児殺(数え年で12歳以下の子供に該当する。)と言う凶方位もあります。これら凶方位を知らず知らずの内に積み重ねて行ってしまいます。

また家相の上から見て逆相の家(四神相応の地の逆)・池のある家・新陳代謝の少ない家等は、常に病気の出易い状態を作り出しているのです。

方位によって現れる病気は急な病であり、慢性的な疾患による病気や長年に亘る病気は家相による影響と言えます。

そして気学では行動的な面の病気・例えば引きこもりや家庭内暴力等も方位や家相の影響の方災現象を教示しております。幼年期の頃は、大変に賢い利発であった子供が、成人になるに従い不良になる人に変貌して行きます。これらは家相や方位の影響から資質が悪い方位(尅気現象)に働いたからであります。

親がいくら子供に対して、いろいろと期待しても、ままならない原因は、親みずから天理に従うことのない点にあります。「心因医学」「心療内科」の諸先生は、親と子の関係においてすべて親の行動・精神が、子供の病の根元にあると述べております。この親の行動・精神は自然界の教示する法則によって左右されるのだと言う事をしっかり明記して欲しいものです。

明日からと言わず今日からでも自然界に則した生き方を選択して行くことです。21世紀に入りスローライフ・スローフード等の自然回帰の運動が発生し、あらためて健康と自然との係わり合いが見直しされて来ております。気学はその意味で環境学の先達役でもあり心すべき教示学であります。

五臓における関係は下記の通りとなります。

水星人は腎臓(申)で膀胱(子)と耳(辰)の関係となります。

木星人は肝臓(寅)で目(午)と胆(戌)の関係となります。

火星人は心臓(子)で小腸(辰)と舌(申)の関係となります。

土星人は脾臓 (丑) で胃(巳)と口(酉)の関係となります。

金星人は肺臓(酉)で大腸(巳)と鼻(丑)の関係となります。

例えば肝臓(寅)の衰えは目(午)の疲労となり胆(戌)の負担となるのです。

これすべて十二支の三合因果関係(子―辰―申・丑―巳―酉・寅―午―戌・卯―未―亥)です。

「気」と「血」が五臓六腑の器官の中を流れ結んでおります。

「五臓」とは、肝臓・心臓・脾臓・肺臓・腎臓を指す。

「六腑」とは、胆・小腸・胃・大腸・膀胱・三焦(さんしょう)を指す。

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気学で見る病気発症と季節の関係

2009年7月22日 水曜日

病気発症と季節には、一定の因果の関係があります。春から夏にかけての「花粉症」や冬季の乾燥期に流行するインフルエンザのように、はっきり季節と密着している季節病と言う病もあります。

春・夏・秋・冬および季節の変わり目(土用)の五つの要因で出て来る病気があります。

病気には必ず「原因ありて、結果生ずる」と言う事です。つまり「健康であることも、病気であることも、幸せであることも、不幸せであることも、生活のすべての結果である」と言うことです。

「健康も幸せも自然環境と生活状況の中で、体や心や神経を働かせ、呼吸し、水を飲み、食物を食べ、動き働かせながら創り上げた自分自身の状態であり、常に流動する健康や幸せは、この自覚を生活することで自分が創るものであり、心の反映でもある」ここに「原因ありて、結果生ずる」の理が生じて来ることになります。

自然界は人間に、「恩恵と試練」を与えます。自然界の恩恵とは、四季の情景であり、食物であり、生存するために与えてくれるものです。生存する試練として四季の変化をもたらし力強く生きる為の寒暖の変動に対し負けない体力を求めて来ます。そこに季節と病の因果が生じます。

春は「肝臓」疾患にまつわる病気に用心を示し、精神の不安・筋肉痛・眼病・肩凝り(右肩)・じんましん・つわり等です。木芽時の季節の中で注意する因果を示し、自然界(五行)も活性してくる季節となります。

夏は「心臓」疾患にまつわる病気に用心を示し、心臓衰弱・息切れ・言語のもつれ・脳出血等の血液循環障害・血行器病等です。暑中の季節の中で注意する因果を示し、自然界の旺盛なる季節となります。

土用(四季の変わり目18日間)は「脾臓」疾患にまつわる病気に用心を示し、糖尿病・食欲不振・胃下垂・出血性疾患・肩凝り(左肩)・低血圧・症候群等です。季節の変わり目で注意する因果を示し、自然界の充電内需の季節となります。

秋は「肺臓」疾患にまつわる病気に用心を示し、呼吸器一般・扁桃腺炎・蓄膿症・脱腸・皮膚病・喘息等です。冷寒気の生じて来る季節の中で注意する因果を示し、自然界の活性の減退を迎える季節となります。

冬は「腎臓」疾患にまつわる病気に用心を示し、冷え性・腎臓病一般・膀胱炎・夜尿症・難聴・腰痛・性的不能・子宮病全般・肩凝り(両肩)・神経痛・眼病(仮性近視)等です。冷寒気の厳しい季節の中で注意する因果を示し、自然界の忍耐の季節へと移行して行きます。

季節は人間の外見・内見において「望・聞・問」による変化をもたらして来ます。

「望」とは視覚による変化で五官・五支にあり、「聞」とは人の発する音声や呼吸音による変化で五声・五音・五精・五変にあり、「問」とは当人や周囲の人の情報による変化で、五志・五味・五香・五主・五気悪であります。

季節の変化の流れの中で、人の体・心・行動も、影響を受け、その季節の変化に対応出来ない体・心・行動の人に、病気の原因となる素因があり、病気の発火点へと成って行く訳であり日々刻々と変わる季節に負けない体力・気力・行動力が求められて来るのです。

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土用について

2009年7月15日 水曜日

土用は、陰陽五行節の五行(木・火・土・金・水)の内、「木」を春、「火」を夏、「金」を秋、「水」を冬と分けて、残った「土」を各々の季節の終わりに割り当てたもので、年4回(春・夏・秋・冬)の土用があります。

平成21年の土用の日

冬の土用    1月17日~2月3日までの期間。2月4日は立春

春の土用    4月17日~5月4日までの期間。5月5日は立夏

夏の土用    7月19日~8月6日までの期間。8月7日は立秋

秋の土用    10月20日~11月6日までの期間。11月7日は立冬

土用はそれぞれ季節の変わり目にあることから、土用の期間中は特に健康に留意する必要があります。夏の土用前後の丑の日に、極暑を乗り切る体力を保持する目的で「土用の丑」と称して「うなぎ」を蒲焼きにして食べる習慣があります。

今年の土用の丑の日は2回あります。7月19日(日曜日・土用の丑)と31日(金曜日・土用の二の丑)になります。

土用期間は季節の変わり目の「気」が変化する時期のことをいい、特に土を動かすことに強い凶作用をもつ期間とされてきました。

現在でも上棟式などはこの土用期間には行なわない建築会社がたくさんあり、事実この期間に増改築や庭の整備などを行なって強い凶作用を受けたという例はたくさん報告されています。

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金の成る木・成らぬ木

2009年7月8日 水曜日

金の成る木とは・・・
上と下と言う字は一の引き方で決まります。一とは己(おのれ)の生き方であり、一の数はすべての始まりです。駅のホームは同じでも上りと下りは大違いです。心一つの持ち様で善悪二道の分れ道です。

「作り様で笠ともなり、草履ともなる竹の皮」

「金は天下のまわりもの、それが欲しくば、働きて取れ」

人はこんな些細なことを言います。しかしどんな些細なことでも、時節が来れば大きく伸展して行くものです。些細な事にこそ大きく伸びる基本があります。

些細な心に配慮出来ぬものに、大きな計算はできません。ちょっとした配慮の無さや、気配りの無さが、人間関係を壊します。教えても解らぬところに、持って生まれた気質の強弱を見ることが出来ます。

「金」という字を分析すれば、人二八1一(ひとにはしんぼうがいち)と書いて「金」という字になります。人には辛抱が第一と言うのが、金と言う字なのです。

すなわち金の成る木とは、思慮深い木(気)・嘘のない木(気)・無駄なき木(気)・家内むつまじき木(気)・いさぎよい木(気)・油断なき木(気)・辛抱のよき木(気)・謙虚な木(気)等々です。

金の成らぬ木とは・・・
お金のことを、「お足し」と言うのは、すぐに懐から外に出て、歩き廻りたがるからであり、余程、辛抱しなければ内には居ない。

お金さんと辛抱さんが貯金、貯金していると利子という子供が出来て、子孫を産んで子孫繁栄となります。

合掌してご飯を頂けない人は下等なる人です。善い事をした時人に誉められなくとも自己の心の中に賞賛の声が聞こえて来ます。身に付くものは、お金だけでなく福徳もあるのです。

ものを欲する心は、こころの安らぎを失います。欲のあることが心を濁らせます。欲のある人が大成功するとは言い切れません。むしろ「無欲」が大きな仕事を、大成功に導く事が多いようです。

すなわち金の成らぬ木とは、賭け事する木(気)・朝寝坊する木(気)・夜遊びする木(気)・酒する木(気)・稼ぎなき木(気)・わが身考えなき木(気)・人気なき木(気)・信用なき木(気)・意地悪な木(気)・嘘つき木(気)・怠け木(気)等々です。

最後に辛抱と我慢の違いについて述べます。

我慢ということは、目的もなく結果も生じない行為に使用する言葉です。そうした面から申せば、辛抱という事は目的もありその結果があります。我慢はしなくて良いが、辛抱はしろと言うのは、辛抱するということはきっちりと結果が生じてくるからです

我慢を社員や家族に課するのではなく、こう言う目的や方針だから、しばらく辛抱して下さいと言う事です。我慢にはやせ我慢という感情的なる面から発する面が強く出てきます。こうした言葉のちょっとした違いから人に対しての導き方が生じて来ます。我慢強さより辛抱強い人を目指して下さい。

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気学で見るアメリカ合衆国の国相と事象

2009年7月2日 木曜日

米国相と事象については,12年毎の巳年に注目してください。

1929年(昭和4年・ 八白土星巳年)  世界恐慌が起きる。

1941年(昭和16年・五黄土星巳年) 太平洋戦争勃発・真珠湾攻撃される。
 
1953年(昭和28年・二黒土星巳年) スターリン死去・朝鮮戦争休戦となる。
   
1965年(昭和40年・八白土星巳年) ベトナム戦争において北爆を開始する。
     
1977年(昭和52年・五黄土星巳年) 日米貿易摩擦が起きる。ドル安・円高続き不況。
    
1989年(平成元年・二黒土星巳年)  レバノン内戦。翌年湾岸戦争へ。
   
2001年(平成13年・八白土星巳年) 同時多発テロ勃発。
    
2013年(平成25年・五黄土星巳年) 果たして何が起こるのでしょうか?

因果律がもたらした事件は気学周期の重要予測の基盤です。

家相と住居している人との運気との関連があるように、国相と国民との間にも運気の関連があります。

家相の場合は「水廻り」による吉凶・良否・善悪等が生じ、また家の欠けや張りが家族の状態を示すように、国相は首都を中心にして拡がる相(カタチ)により長所・短所が生じ運気事象に大きな影響を及ぼすことになります。

米国の場合は、首都ワシントンを中心にして大きく南西方位から酉方位に広がる国土であり、東方位・東南方位は海となる状態であり、特に「東南の方位[巳方位]」は河川と海の相となっております。

過去の巳年において大きな過度や分岐にあたる困窮・試練・恐慌等をこの巳年の年に味わってきた歴史的経緯が米国にはあり、国相の持つ相と歴史上に起きた事象に因果関係が生じて来ております。

日本国にとっての鬼門方位(東北方位)は米国であり、常勝国日本が初めて敗戦国となり、米国によって思想の改革がなされ変革を求められた。
第二次大戦中、常勝ヒットラーはソ連(現在のロシア)(東北方位・表鬼門)へ進攻し失敗。以後敗戦へところがりました。

中国にとって満州は東北方位(表鬼門)に当たり、長い歴史の中で争い事の発端となって来た。八路軍(中国政府)は満州で旗揚げして全土を制圧。物事の紛争や征圧や介入は東北方位(表鬼門)と南西方位(裏鬼門)との方位関係が多いのです。

大戦中のフランス(南西方位)とドイツ(東北方位)の関係・ベトナムにとってのアメリカ(東北方位)・チェコスロバキアにとってのソ連(現在ロシア)(東北方位)・エジプトにとってのイスラル(東北方位)等、国と国の関係の交流にはこうした方位によって生じる因果的要因があります。

陰の気に代表される丑寅の表鬼門方位も使い方一つで上手に活用出来るのは、こうした改革や変革をもたらす方位であり、その要因をプラスに引き出せば良果になります。

戦後日本がアメリカで半強制的に押し付けられた憲法も、今では平和憲法として、当時の経緯も忘れて当然視している姿は、結果として約半世紀以上、大きな戦争もなく争いもなかったと言うことは、明治以降10年に一度は争い戦争をして来た国としては大変良かったと言えます。

しかし歴史は流動的であることも心に明記して置く必要はあります。いつ現況が変わるかは方位的に見て米国の出方一つと言えます。

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