責任の取り方

2022年7月21日 木曜日

事故や事件を防ぐために、その職業に従事する人には、普段から厳しい指導や訓練があります。実際に事故が起こった時は練習や訓練とは違います。とっさの判断や行動が取れません。驚いたり、ひるんだりして一呼吸おくだけでも、場合によっては大変な事故になります。一瞬の出来事が命取りになります。

事故や事件が起こった時の責任は誰がどうのように取るのでしょうか。トカゲのしっぽ切りではないですが、ほとんど部下の責任となります。

被害者は死んでいます。それなのに責任者は給料の減額、左遷等で責任の取り方は終了します。これっておかしくないですか。被害者は、たまったものでないです。

東京電力福島第一原発事故(2011年3月11日)で避難した住民らが、国と東電に損害賠償を求めた4つの集団訴訟について、最高裁は、国の責任を「認めない」とする判決を言い渡した。東北地震の津波は防げなかったと国の責任はなしと高裁は判決をだした。

北海道の知床半島沖で起きた観光船の沈没事故(2022年4月23日)で、国から事業許可を取り消された運航会社の社長がコメントを発表し、国にも責任があるだろう。国土交通省が認可したのに責任がないのはおかしな話だ。

安倍元首相が銃撃で亡くなった(2022年7月8日)ひとつの原因に警護・警備の問題点がクローズアップされています。録画を見る限り、誰でもこれがSPの仕事か防衛かと思うほど頼りないものだと感じます。

これらの各々の責任の取り方は果たして誰がどのような責任を取っているのでしょうか。また加害者の処分は被害者が納得できる量刑でしょうか。

この国は重大な事故が起こってからしか行動しません。普段はいい加減なものです。しかし安倍元首相の銃撃後の、岸田首相の護衛はすごい事になっています。今更ですが何故、安倍元首相の時は出来なかったのでしょうか。

災害や事故は「忘れたころにやって来る」の教訓を再確認する事です。

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