運は金銭では買えない。

2009年2月13日 金曜日

この度のL&G(健康寝具販売会社の組織的詐欺事件)、および関西の女相場師詐欺事件で相次いで逮捕される事件が起こりました。

いつの時代にも偽装や詐欺商法・マルチ商法等が出て来ます。

運命学を利用して、物を原価の何十倍の価格で販売して、裁判沙汰を引き起こしている詐欺事件です。

運命学は人が人生を歩む上で、より豊かなる安心と立命への手段であり、方法論であり知恵を示す教示です。

運命という実体の不明確・不確実なる分野であるために、いろいろな説や指導法が生じます。

人は自分の運命を見てもらうと言うのが一般的な行動です。人は見かけの立派な人に見てもらったり、話上手な人に見てもらう事で安心してしまいます。そうして高価な品物を買わされて先祖の供養が果されたり、運が明日からでも良果して来る気になります。

運命学は自然界を手本として、自然界の輪廻観を説くものであります。

人の成功・幸福と物質的充実とは、必ずしも一致しません。また宗教の悟りと言う無限の世界と商売の道の有限の世界との真義は正反対であります。

宗教の基本的概念は「人間忘れ去られることこそ最上の成仏」と説かれており、商売の道は「忘れさせない」ことが原点であります。

これらの考え方は仏教や宗教を語る上で、また商売の基本を知る上で、心して行く基本思考であります。

人は相形にとらわれます。こうした「忘れさせない」と言う商道の手段が、運命と言う不明確さに相乗して。霊感商法・詐欺商法・マルチ商法等なる商道が生れて来たとも言えます。

運命学は自然の輪廻観を説く以上は商売であってはならない訳であり、その人の悩み苦しみ不安等の相談的な要因から、人生哲学の問題までも含めた要因である広い範囲ですが、運は決して金銭では買えないものであり、どれだけ自然界を手本として実践し意義ある人生にするかにあるのです。

欲心(目的を持つ)も大切でありますが、同じくらい無欲(委ねる心)も大切であります。

運命学を指導相談している人で、その人の欠点とか短所をことさら強く言う人がおりますが、そう言う人は運命学の基本すら知らない人であり、生きて行くため生活の向上に尽力する方法・良くなるための手段を指摘してくれる人が本義の指導相談人であります。

宗教家でも占いでも運命鑑定でもそうですが、人間の弱い部分・性格の欠点を突く人は本当にその人のためにと言うより、自分のために自分が生活とか人よりも欲深い場合が多いものです。

「立命安心」と言う言葉があります。立命とは命を磨くことであり、それが安心(幸福)なる道の努力であり、手抜きの人生を行えば手抜きの結果となります。

人生には無駄と言うことはなく、無駄と言う道中があり、至らぬ心があってこそ、人生は花咲くのであり、金銭や財産名誉によって、因縁浄化や開運は招来しないのであり、自らの手足体で実行しない限り決して手抜きでは出来ないのです。

実践した人には、次世代に生き様が継承されていく面があるのです。実践実行の道こそ運命学の基本姿勢であります。

近江商人の伝統信条に「三方よし」と言う考えがあります。

商人である為の基本として「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」と言う教えです。こうした商いをすることの大切さが日本の代表的「商人道」には存在していたのです。

今流に言えば「モラルなき企業に商売する資格なし」と言えるのです。

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