石原慎太郎氏死去

2022年2月6日 日曜日

2月1日に石原慎太郎氏(1932年9月30日 生まれ・本命五黄土星申年・月命四緑木星酉月生まれ)が死去されました。

石原慎太郎氏は、一橋大学在学中に発表した「太陽の季節」で芥川賞を受賞し、華々しく文壇にデビユーしました。

「太陽の季節」が映画化された時には、弟の石原裕次郎(映画俳優・歌手)をデビユーさせた。参議院議員、環境庁長官、運輸大臣、東京都知事、衆議院議員、日本維新の会代表、共同代表、次世代の党最高顧問を歴任と華々しい人生でした。-

1968年・五黄土星申年(盛運期4年目。中宮位回座)に参議院議員に初当選。

1972年・一白水星子年(衰運期4年目の南回座で名誉・名声の上がる年)

に衆議院議員に転じました。福田赳夫内閣で環境庁長官を務め、竹下内閣では運輸大臣を務める。

1995年・五黄土星亥年・(盛運期4年目・中宮位回座)に議員を辞職しました。

1999年・一白水星卯年(衰運期4年目の南回座で名誉・名声の上がる年)に東京都知事選に出馬。

166万票を集めて当選し、4期13年あまりの都知事在任中は、東京都の財政健全化や排ガス規制などの環境対策に力を入れたほか東京マラソンを国際的なイベントに育てました。

 2012年・六白金星辰年(盛運期3年目の9年に一度の最高の年)に都知事を辞職

2022年2月1日死去(六白金星丑年)

気学教示で顧みて思うのは、1968年の政治家として初当選した年が石原氏の本命星が中宮位回座であったことが、波乱万丈の人生を歩むことになる。

本命星が中宮位回座の時は新規な事柄を初めてはいけない時なのです。

議員辞職も本命星が中宮位回座でした。国政は中宮位で始まり中宮位で終わりました。人生も事象も歴史も繰り返すのです。悪い時の行動が、夢だった総理大臣にはなれませんでした。

一国一城の主になりたかった石原氏は総理大臣をあきらめ、都知事になります。自分の思うように(大統領?総理大臣?)振舞うことや望んでいた自分の姿を実現できたのではないでしょうか。

9年に一度の最高の運気の時に都知事を辞職し、同じく最高の運気の年(2022年2月1日ですから六白金星に入ります。あと3日後(2月4日から)なら五黄土星年)に亡くなりました。

本命星の五黄土星は豪傑や社長や代表が多いです。中宮位回座の行動は大変な事柄が多く発生しますが、本人自身の性格や気質で乗り越えました。まさに気学教示通りの人生でした。個人的も大好きな政治家で小説家でした。残念です。寂しいです。

石原慎太郎と言う人は「自分の人生の道を自分で作り、その道を自分が主役でその道を歩き続けた人だった。」まさに石原氏の生き様だった。

日本という国を変えたい。批判される言葉も多かったが自分の信念を貫き抜いた人だった。時代の移り変わりを感じます。

ご冥福をお祈り申し上げます。

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