若者の傾向

2014年5月21日 水曜日

最近の傾向として大学受験や就職活動に親が一緒に同行する姿が増えていると言います。また最近の報道で担任の高校教師が自分の子供の高校の入学式に参加し、勤務の学校の入学式を欠席していた。少し前までは考えられなかった事です。さらに息子・娘の結婚の為に婚活サークルに親が入っていると言います。

親も親なら子も子です。親離れ子離れが出来ずにいます。昔は「かわいい子には旅をさせろ」と言ったものです。これでは自立心も生まれて来ません。

若者が社会に出ても仕事が長続きせず(新卒は3年で6割がやめる)、親のすねをかじって生活する状況が増えています。豊かさの反動からか、恵まれた状態に意欲を喪失しているのか解りません。何とか食べていける、何とか成る、あるいは人が何とかしてくれると言う消極的な人、指示されないと何も出来ず、自分で考え行動する事の出来ない「指示待ち人間」が増えていると言います。これでは結婚も出来ないです。

戦後の教育も曲がり角に来ている状態です。戦後の教育が型通りの人たち、一方向へ進んでいく無個性の人たちを生み、他人と同じこと、他人と同調して、比較する競争社会を作り出し、世の中の為になる人を教育する人づくりよりも競争に打ち勝つ人づくり、少しでも他人よりも良い生活、良い立場に立つことが、仕合せ(幸せ)の第一歩であると言う物質全盛の社会へと発展して来た教育背景があります。得る事の喜びのみの教育であり、与えることの喜び、尽くす事の喜びと言うことの教育に欠けていたと言うことが言えます。

今、大学の入学を考え直す傾向が起きて来ています。推薦や面接だけの大学も出て来ています。大学入試まで一生懸命に努力し、入学したら4年間は遊び、ところてん方式で卒業する事から、入学をやさしくし、4年間勉強しないならなかなか卒業が出来ない難しさにすると言うアメリカ方式です。

得る事、習得する事以上に大切なことは、いかに果たしたか、与え尽くしたかが人生には重要な生き方なのではないかと思います。与えると言うことは物を与えるということではなく、人の心の中に何がしかの感動を与えることの出来る生き方であります。

今の若者は理想や希望を叶えることのみ優先させて生きる自分中心、あるいは利己主義的な考え方であり、社会に対して自分が果たして行く役割といった生き方は、ほとんど考えていない様です。権利と義務と言った点から述べれば、権利のみの主張であり、義務感を果たすという考え方は、少なくなって来ているようです。戦後の教育の中に国に対してのアレルギー感からか、国のためとか、公共のためと言った考え方が希薄であることは事実であります。

「今までの時代と、今、直面している時代」は違います。工業国社会の構造的変革から発して来ている状況であり、新しい時代構造への変革期です。大量生産して大量輸出し大量消費して来た規格重視の産業、それらが人づくりの教育にも影響し、物と同じ規格人間が大量に教育され、会社人間と組織の中で歯車となり形成されてきたのです。そこには個性とか、独自性とかの意欲を持った人たちの出番は少数派の時代でした。その影響は計り知れないくらい、人間から夢や希望等も規格化して来てしまったのです。その線上に、今の若者の無力要因があります。

子供にとって一番大切な幼児期に、親と親密な交流を持てなかったり、人と同じでないと安心出来ない状況となったり、競争心をあおる生き方となり、人間の規格化を大いに促進して来た時代でありました。

金融消費経済が国民にとって本当に良い選択なのかどうか、戦後、個人は国に依存し、国は米国に安全保障を依存し、温室状態の中で至って来た社会が英国や米国の個人主義、民主主義の確立された国と同等の成果を望めるのか、はなはだ難しいと考えざるを得ません。

日本民族という「尊厳」を忘れ先祖に対する真の「報恩」を忘れ、相手に対する「感謝」を忘れ、人間の「情」「恥じ」を忘れた国に果たして真の繁栄が訪れる日が来るのでしょうか。

日本には「恥の文化」と言う精神文化があり、しつけや道徳の土台を形成しておりました。今では恥を恥と思わない風潮が大きな犯罪への予兆となっている気がします。

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