「トイレの神様」から思うこと

2011年3月2日 水曜日

今、自身と亡き祖母との思い出を歌った「トイレの神様」(歌・植村花菜)がヒットしております。

この歌を聴いて涙する人が多いです。忘れられた人間の心と肉親との絆を感じる歌です。この歌が多くの人達に受け入れられる事に「まだまだ日本人は捨てたものではない」と思います。この歌を作ったのが若い植村花菜さんだから余計にそう思います。

今、私たち日本人が失くしかけているものがこの歌にはあるのです。祖母と孫の日常の生活の中での家族愛や情操教育がよみがえって来ます。

人は「おらが・おらが」の「が」を捨てて「おかげ・おかげ」の「げ」で暮らすと言う大切さを改めて確認する事が出来ます。

「おかげ・おかげ」の「げ」で暮らすの「げ」とは「下(げ)」のことであります。すなわち「下坐(げざ)」で暮らすと言うことです。「坐」と言う字は土の上で対等に人が居ると言う字の型であります。そして共に坐して行く生き方・相手を振るい落し蹴落として自分さえよければ良いと言うのでは共存共生の生き方の問われる時代になると言います。

そこに「下坐(しもざ)」に生きる生き方の重要性があるのです。下坐に生きるとは「何かしてもらう」と言うことではなく「何かをさせてもらう」と言う立場の変化であります。

その為には自分自身の心を常に下坐に置かないと、相手に対する思いやりの心(忠恕心)やボランティア・NPO・NGOと言った「坐する心」が生れても永続を果せぬことになります。

下坐に生きた人々の中での代表は一休禅師・マザーテレサ女師であります。こうした先哲先人の生き方の中にこそ、21世紀の指針があるのです。

日本の企業で「下坐に生きる」で大きな企業に成長したのが、ダスキン及び同系列のミスタードーナツと言う会社です。新入社員の研修がまず下坐からと突然に知らない会社や店舗に行っての「トイレ掃除」であり、まず人の一番嫌うことからの出発であり、サービス業での出発研修にトイレ掃除からの出発であります。

ダスキン創業者の鈴木元社長が長年の逆境時代に京都の宗教法人「一燈園」や奈良天理教から修学した精神を企業の理念に取り入れて実践して会社を発展させて来たと言います。2000億企業になった会社はその精神も広く社員や後継の経営者に受け継がれて来ております。

このトイレ掃除と言うのは正に「下坐」そのものの立場であり、人間生活の下坐であって必要欠くべかざる所であり人の心の反映(鏡)であります。

戦後60年以上の教育の反省が、今始まって来ている状況であり、多種多様な生き方の模索が始まり大学卒業後に修業の道(専門職)を学んでおります。

そして高齢化社会の時代です。団塊の世代の人たちは昭和40年代の学園闘争や高度経済成長を成し遂げてきた猛烈社員の世代であります。そしてバブルの最盛期の幹部たちであります。

自己中心的なエゴ社会を謳歌して来た世代の高齢社会への参入であります。つまりこの世代は「下坐で生きる」ことの逆で生きて来た世代であります。そのつけが今の時代の姿なのです。

こうした時代の中で、目的をしっかり持って謙虚な生き方、感謝の心で努力して行く人が、時代の変革期を迎えて、大きく時代に受け入れられるのです。
整理整頓や掃除は開運の第一の条件でもあります。

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