言葉の交流と対話

2020年12月1日 火曜日

人間関係の中で交流を深める為に、言葉の交流があり対話があります。

余り打ち解ける言葉や言動は尊敬を失います。気安い言葉や言動は馬鹿にされます。むやみやたらの熱意言動を使うといいように利用されてしまう事になります

しかし、言葉が内面の心を表す一面である以上、その使用する態度で人間関係も決まる要因であります。

特に教育の現場や職場の人間関係、私生活に於いても重要な意味合いが生じて来るのです。

ある著名人が新幹線の中で、自分と同年輩の老夫婦が東京駅から新大阪駅までの間、夫婦で交わした言葉は「おいお茶」「おい弁当」のふたつであったと述べています。「自分の世代は何か大きな人間関係の表し方をしてこなかったような気がすると。

「黙して語らず」・「目は口ほどに物を言う」・「阿吽の呼吸」・「以心伝心」等が文化の中で求められて来た時代もありました。しかし対話の持つ重要性は21世紀には益々重要性の求められることになります。

インターネット上でのメールで交際をし、恋愛し、結婚へと伸展して行く中で、生活していても言葉の交流対話は、どんどん減少している方向が生じている実態があります。

国民性の中で言葉の交流対話が乏しい民族であるがゆえに、更にゲーム・ソフト・インターネット・ラインの普及で言葉の退化の加速が早まって来ております。便利さは常に二面性を持っています。一方で機能的になれば、一方で人間本来の持つ役割の退化です。

世の中は複雑多岐化し来ている反面、人間関係の単純化・希薄さが生じて来ており複雑な気持ちにさせられます。その原点と言う言葉による交流対話をしっかり努力して行く算段であります。

インターネットで結婚した夫と妻が家庭内でお互いのコミユニケ-ションを、スマホを通して交信して直接目の前にいる夫あるいは妻に対して、対話するよりメール交信で行っている姿は何か寒気を受けた気がしました。

こうした機器の発達や情報の広がりが、人間の真の豊かさを表しているとは思えない気がします。人の欲望は際限なく続き今や限界点にある気がします。

文明が進展して行く事で「人間性の疎外」があってはならないはずです。

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