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気学で見る地相学と神社・仏閣

2009年11月25日 水曜日

気学の地相学は陽宅・陰宅より発し日本独自の大成を辿りますが、神社・仏閣の建立に対して「四神相応の地」を選んで建立しました。
「四神相応の地」とは・・・
http://www.hiroro.jp/content/kaso/land.htm

明治以降においての大学を建立するにあたり、神社・仏閣の地域に大学を造り、地相学で吉相にあたる所に大学を造りました。優秀な人材育成を作る一翼に用います。その思考背景に陰陽道があります。

東京大学は上野寛永寺・慶応大学は芝増上寺・早稲田大学は穴八幡神社・京都大学は吉田神社等々が造られています。地相学の四神の活力を生かす思考があるのです。

日光東照宮の三猿は庚申信仰による「見ざる」「言わざる」「聞かざる」でありますが、秩父神社の三猿は妙見信仰による「見て」「聞き」「話そう」とお力を授けて下さる「お元気三猿」であり、情報化社会に向けての必須条件が伺い知ることが彫刻されて本殿の西側を守護しております。

妙見信仰は北方位の北斗七星の北斗信仰であり「人間の元気な命を司り不老長寿を願う神様」との事です。

北方位は気学では一白であり、万物の生み出される一陽来復の方位であり、神道・仏教・気学(陰陽道)の帰一する要因の位置です。

日光東照宮の庚申信仰は自らを律する三猿で秩父神社の妙見信仰は自らを高揚する三猿で、共に江戸時代初めに創建されました。

現代社会にとっては自らを律する生き方よりも、自らを表現すること、コミユニケーションすることの生き方が今の時代には適している背景があり、「しっかり見て」、「しっかり聞いて」、「しっかり話す」ことがより重要となって来ております。歴史・文化・伝統を継承し、自然に感謝し、今ある事に報謝し、過ぎし先祖に報恩して行く生き方に気付かされます。

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東洋思想の基盤

2009年11月17日 火曜日

東洋思想の基盤であります陰陽道・三才観・五行説について解説致します。

陰陽道とは

原義は日陰(陰)と日向(陽)です。山があれば自然は日陰と日向が出来ます。そして太陽の移動により、その日陰と日向が少しずつ入れ替わります。1年の歳月の寒暖の差もそのような要因で生じて来ます。

陰陽は二元論でありますが、固定的な二元論ではなくある意味での変化を含んだ二元論です。そのような二元論をもって自然界の生成発展を説明したのが「陰陽道」です。この陰陽道と五行説が組み合わさって「陰陽五行説」として成立しています。

韓国の国旗は、陰陽を取り入れ中央の円は太極(宇宙)を表し、すべてのものの統一・一体性を表す。巴の形は陽(赤)と陰(青)を表し、積極と消極・善と悪・男と女・太陽と月・・といった二元論を表している。四隅のしるしは伏犠八卦で四つの相対立し、しかも調和の組み合わせ、すなわち、東西南北、父母兄妹などを表しています。

三才観とは

三才観の思想には天・地・人の位の三才。生・旺・墓の動の三才。中庸・過・不及の量の三才。と三種類があります。

三才の「三」は無限に広がる数を示し、才は「働き」の事であります。自然界の無限なる働きを示す見方(観)が三才観です。儒教(韓国は儒教の国です)の要因が強い教示となっています。

仏教は出家と言う形を、儒教思想に取り込んで日本独自の仏教となり成立しております。

五行説とは
自然界の森羅万象は、ことごとく五行により関連づけられております。大宇宙の自然界に五行のはたらきがあり、人間の体や思考や行動にも五行のはたらきがあり、人間は小宇宙と言われるところです。

古代中国の哲学思想の学問の体系であり「陰陽五行説」として日本に伝来して来ました。道教要因が強い教示となっています。

こうした東洋の思想は(陰陽道・三才観・五行説)は自然界と人間との関係をより親密にして、人間も自然界の一員であると言う自覚のもとに成立して来た思想であります。

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二宮尊徳翁

2009年10月26日 月曜日

気学周期の180年「上元期(復興時代)・中元期(充実時代)・下元期(下克上時代)が各60年」です。下元期(昭和59年が下元期の始め)に入り平成21年は26年目に当たります。

今から180年前の下元期時代は、今の時代と類似して重なる要因がいくつかあります。現在の赤字国債800兆円と同様に徳川幕府・各藩は赤字財政が重く発生している状態の中で、商人が強力な財閥として影響力を増大して行きます。つまり貧富の二極化です。そして明治維新までの上元期までの間、天保の改革や開国への兆しや安政の大獄や地震、そして黒船襲来へと激動の下元期が続いて行きます。

この下元期にあたる徳川時代後半の時に登場した人物が、二宮金次郎(尊徳)翁であります。

衆院議員を親・子・孫で務める故河野一郎氏・河野洋平元衆議院議長・河野太郎氏(今回の自民党総裁選で敗れるが派閥を批判した)らは、二宮金次郎の妻方の一族であります。そして我々の小学生時代に薪を背負った金次郎の銅像が校庭の隅で見守っていた事を思い出します。

約180年近く前の下元期にあたる徳川時代に一農民から破産寸前の藩を次から次へと再建し、勤務・分度・推譲の精神の教えを後世に残した人物であり、豊田佐吉氏(トヨタ自動車の基礎を築く)・松下幸之助氏(ナショナル松下電気創業者)・土光敏夫氏(経団連会長等々歴任)らの人達に多大な精神支柱を与えたのであります。

二宮尊徳  天明7年7月23日生まれ(旧暦)
      1787年9月4日生まれ(新暦)
      本命六白金星丁未年・月命八白土星戊申月生まれ

江戸後期の農政家・報徳主義の創唱者・通称金次郎(尊徳)・身長5尺526寸(約170cm)筋骨たくましい偉丈夫と伝えられる。

相模国足柄上郡栢山村(小田原市)の百姓利右衛門と妻よしの長男。14歳で父を失い(本命南方位廻座・離別)その2年後に母が死亡(本命坤方位(南西)廻座・育成努力)伯父の家に預けられたが、奮励努力して没落した生家を20歳で再興した(本命乾方位(北西)廻座・成就)。

文化9年(1812年・八白土星年・本命東方位廻座・発展)小田原藩家老服部十郎兵衛家の若党となり文政元年(1818年・二黒土星年・本命南廻座・名声名誉)服部家の財政建て直しを依頼され、倹約と借入金の運用によりそれを成功させた。

同5年(1823年・六白金星年・本命中宮位廻座・開花・結実)その功により小田原藩に登用され、藩主の分家旗本宇津氏の領地下野国桜町領(栃木県真岡市二宮町)の難村復興を命じられ天保8年(1837年・一白水星年・本命北方位廻座・苦労・厄年)にかけて報徳仕法のモデルと言われる桜町仕法を施して成功。

天保4年(五黄土星年)以降、旗本川副氏の領地常陸国青木村、細川氏の谷田部、茂木藩宇津氏の一族である大久保氏の鳥山藩、石川氏の下館藩、真岡・東郷両代官所支配の幕領、日光神領など現在の茨城・栃木県下の北関東各地の仕法を手掛けた。

のちに二宮門四大人と呼ばれる富田高慶・斉藤高行・福住正兄・岡田良一郎はいずれもこの間に教えを受けた門弟である。子の弥太郎尊行も尊徳を助け娘文子は高田高慶に嫁入りした。尊徳は晩年、御普請役格二十俵二人扶持の幕臣に取り立てられ日光領仕法中、下野今市で病没(安政3年10月20日・旧暦・1856年11月17日新暦・本命九紫火星亥年)。

これらの領主層から依頼され領主の趣法あるいは主法として行った難村復興事業を行政式仕法と言うが、そのほか地主・豪農が中心となり村民の自主的な組織である報徳結社によって報徳の教えを実践する結社式仕法が各地に普及した。

報徳仕法が成功した要因のひとつは事前に詳細な調査を行ってプランを立て、領主をはじめ地主・農民の分に応じて消費を規定した。「分度(ぶんど)」を画定し、余財を自己の将来や他人のために「推譲(すいじょう)」することとし、報徳金と称する領主と農民との中間に位置する資金を創設運用したこと。

もうひとつは窮乏する共同体の経済から上昇農民の自立を目指す「勤労」エネルギーを褒賞制度などによって引き出したことである。

明治以降、内村鑑三(代表的日本人著)などは経済行為の基礎としての道徳を説いた尊徳を肯定的に評価した。明治政府は国民教化の観点から尊徳を顕彰し明治37年以降、修身教科書に孝行・学問・勤勉・精励・節倹などで多くの徳を備えた人物として登場させた。今日でも勤倹節約の模範人物としてのイメージが強く残っている。

二宮尊徳翁遺訓
一、 働きを最上の喜びとし、勤労を尊び、物を大切にする。
一、 自分と同じく他人を敬愛し、互いに長所・美点を育て上げる。
一、 人々の意見を尊重し、多数の幸福を念願する。
一、 自然の恩、社会の恩、父母先祖の恩を感謝し、至誠を第一として働く。
一、 今日成すべき事を明日に延ばすな、明日には明日の使命がある。
一、 他人を生かせば自分も生きる。八十才になっても、希望を持つ者は青年である。
一、 繁栄の秘訣は人に幸福を与えるにあり。

激動する下元期時代に活躍し、そして180年後の現代も同じ下元期時代を迎えた状況の中、創意・工夫を以って、社会構築再興の時代の中にあるのです。まさに鳩山政権に期待するものです。

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気学で見るこの9年間の日本の政治 NO9

2009年10月15日 木曜日

平成20年(一白水星子年)9月24日、麻生 太郎氏(1940年9月20日生まれ・本命六白金星辰年・月命七赤金星酉月)が第92代内閣総理大臣に就任しました。

本命星の六白金星は北方位廻座の厄年にあたり、運気最悪の時の就任になりました。自民党内の圧倒的人気を得た麻生氏は福田氏に替わり解散・総選挙を行う筈でしたが、その時期を延ばし続けたのです。

そしてあの世界的な金融危機が起こりました。「政局より政策(景気回復)」を旗頭に解散総選挙を、またまた延ばし続けたのです。支持率が急落した背景には、麻生氏の発言や漢字の読み間違いが続き、繰り返し批判を受けたこともありますが、最大の要因は経済政策に一貫性がないと見られていることでした。

日本郵政西川社長問題・中山成彬(国土交通大臣)・中川昭一(財務大臣・金融担当大臣・10月3日急死)・鳩山邦夫(総務大臣)の相次ぐ辞任も続きました。

また都議選を含んで地方選挙に惨敗・民主党に6連敗(知事選)をしたのです。そして平成21年7月21日ついに解散したのです。総選挙は8月30日に決まりました。

総選挙にあたりこの人の話題も大きく取り上げられました。
東国原英夫氏(昭和32年9月16日生まれ・七赤金星酉年・一白水星酉月生まれ)は平成19年1月21日(気学では前年にあたります。三碧木星戌年・衰運期4年目の南廻座)に宮崎県知事に当選しました。

南方位廻座は名誉・名声があがる時(知事に当選)ですが、離反離別もある時です。(かとうかずこ氏と離婚した)平成19年は衰運期5年目の厄年でしたが宮崎のセールスマンとしては活躍しました。

そして平成21年(盛運期2年目)は国への転身をはかるが世論は反対し大きな逆風が吹き、自民党からの今回の衆議院選出馬予定も公認されなかったのです。すべては「人の吉凶は動より生ず」です。当選した時期の悪さがあります。本来は来年が最高の盛運期3年目ですが、知事に就任した時期が悪かったので逆運(本来は運気の良い時期なのに悪い事が起こる)の運命に遭わなければ良いのですが心配です。連日、マスコミに取り上げられた人気も最近では下降気味です。

また人気のある枡添要一氏(昭和23年11月29日生まれ・七赤金星子年・八白土星亥月生まれ)は平成13年初当選(八白土星巳年・盛運期3年目)・平成19年2回目の当選(二黒土星亥年・衰運期5年目の厄年)です。

平成21年8月30日の衆議院総選挙で自民党の勝利であったならば次期総理大臣の呼び声もあったのですが、平成19年の厚生労働大臣になった時が衰運期5年目の厄年であっためぐり合わせが、大きな夢の実現を逃したのです。(今回の選挙での自民党の大敗)

平成21年(九紫火星丑年)8月(八白土星申月)30日に総選挙が行われ民主党の大勝利になりました。今年の占いのキーワード(みちのしらべの占い予測)である「風」が民主党に大きな風が吹き歴史が動きました。そして「政権交代」が実現したのです。

4年前の選挙で自民党が大勝したように今回はその逆の民主党が大勝しました。小泉チルドレンと言われた人の当選は83名中で10名でした。また次ぎ次と大物代議士も破れ世代交代も起こっております。

選挙の神様と言われる小沢一郎の巧みな戦法は故田中角栄氏から学んだもので、今回は小泉チルドレンに変わって小沢ガールズが旋風を巻き起こしました。

1955年(九紫火星未年)の自民党結党以来、第一与党であったが2009年(九紫火星丑年)のこの選挙で実質的な野党になりました。九紫火星未年で始まり九紫火星丑年の歴史的な敗北です。

民主党・鳩山由紀夫氏(1947年2月11日生まれ・本命八白土星亥年・月命二黒土星寅月生まれ)は年盤で盛運期3年目の最高の運気です。また月盤においては盛運期4ヶ月目の開花・願望成就の月でもあります。

自民党・麻生 太郎氏(1940年9月20日生まれ・本命六白金星辰年・月命七赤金星酉月生まれ)は年盤で盛運期1年目ですが歳破を持つ運気です。

今回の選挙は吉田茂氏と鳩山一郎氏の孫同士の戦いでもあったのです。

麻生太郎氏の祖父である吉田茂氏(1878年9月22日生まれ・本命五黄土星)は1946年(九紫火星戌年)に第45代内閣総理大臣になった。第48代・49代・50代・51代も総理大臣を務めた。
同じように民主党・鳩山由紀夫氏の祖父である鳩山一郎氏(1883年1月1日生まれ・本命一白水星午年)は1954年(一白水星午年)に第52代内閣総理大臣になった。第53代・54代も総理大臣を務めた。

1954年の吉田茂内閣から鳩山一郎内閣に替わったように、2009年に孫の麻生内閣から孫の鳩山内閣に替わった。1946年(九紫火星戌年)の吉田茂氏が総理大臣になってから鳩山由紀夫総理大臣の誕生(2009年・九紫火星丑年)は63年後(9年×7周期)です。

「平成21年(九紫火星丑年)が自民党の節目の周期にあり政界も混迷度が加速する状況もあります。」とNO5で予測いたしました。

また「政界において70年変動説があります(気学では72年周期)。平成19年は明治維新から140年であります。明治維新から70年後に太平洋戦争が勃発し、そして終戦となり新しい息吹による社会造りが成され、そしてまた70年と言う節目の時期を迎える周期の流れの中に、今の日本と言う混迷時代が生じている事を知る事であります。」とNO8で予測いたしました。

そして新しい民主党政権がここに誕生し、新しい日本の夜明けです。
次回に続く。

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気学で見るこの9年間の日本の政治 NO5

2009年9月25日 金曜日

平成18年(三碧木星戌年)9月(七赤金星酉月)20日(九紫火星子日)午後に自民党第21代総裁選挙が行われました。立候補者は3名で安倍晋三議員・谷垣禎一議員・麻生太郎議員です。自民党国会議員403票、全国自民党員300票の合計703票による投票であります。

安倍晋三(昭和29年9月21日生まれ・本命一白午年・月命一白酉月)

谷垣禎一(昭和20年3月7日生まれ・本命一白酉年・月命七赤卯月)

麻生太郎(昭和15年9月20日生まれ・本命六白辰年・月命七赤酉月)

年盤の運気は本命一白(安倍氏)が盛運期年2年目で断然有利で、本命六白(麻生氏)は衰運期年3年目であり断然不利であります。そして何よりも安倍氏は一族の「惜福」(掴まず使用しなかった福分)が残っていたと言うことが断然有利に働いたのです。

自然界はバランスであることを自民党50年の派閥の流れで見ると運の流れが理解できます。

首相就任は官僚出身の吉田派は吉田・佐藤・田中・細川・竹下・小渕・羽田・橋本・池田・大平・鈴木・宮沢の12名であり、党人派中心の派閥からは鳩山・石橋・中曽根・岸・福田・森・小泉・安倍・三木の9名であります。

小泉首相が田中派を分裂に追い込み民主党の主たるメンバーは皆、田中派に属していた議員たちであり、今回早々と民主党代表になった小沢一郎代表(本命四緑木星午年・月命五黄土星巳月生まれ)・鳩山由紀夫幹事長ともに田中派出身です。安倍総裁は父晋太郎氏の惜福を引き継いだ要因で選出されましたが好機盛運年ですが暗剣殺を持ち政権に微妙に影響しそうです。

そして平成18年(三碧木星戌年)9月(七赤金星酉月)・26日(三緑木星午日)に安倍総裁は第90代首相になり安倍内閣が発足しました。

閣僚においては首相との三合の縁に当たるのが寅年生れの塩崎官房長官です。最上の縁を結んでおります。しかし辰年が4名おりこのポストの4名の閣僚が内閣の良否を左右し、つまり外務(麻生太郎氏)・防衛(久間章生氏)・金融(山本有二氏)・行政改革(佐田玄一郎氏)の所に大きな課題の生じる要因となります。

自由民主党である今の自民党は昭和30年(九紫火星未年)に当時の自由党と民主党が合併した党であります。安倍政権の流れの中でもう一度・二度政権再編成の機運に至る状況もあり、平成21年(九紫火星丑年)が自民党の節目の周期にあり政界も混迷度が加速する状況もあります。

新生安倍内閣に期待することは、どう言う国にするかのしっかりとした国家像を示してもらいたいと言う事です。

戦後、歴代の内閣は、敗戦による失われた国権の回復に主眼が置かれ、日本と言う国の姿というものが示されずに来ました。そして東西冷戦の終着以降の日本は、ただただバブル崩壊の不良債権の処理を抱えたままで漂流して来た状況がありました。

その間の10年間で宮沢内閣・細川連立内閣・羽田連立内閣・村山内閣(社会党・自民党連立)・橋本内閣・小渕内閣・森内閣と続きました。
そして小泉内閣が5年半において不良債権の処理は解決されましたが、この間約60年間日本の将来像や国の姿が国民の前に示されずに経過して来た歳月でありました。

小泉内閣の功と罪を揚げれば、功の部分は不良債権の処理を解決・政権の安定・派閥政治打破や状況を破っての世界貢献があります。罪の部分は市場原理経済の導入による格差の広がりから、社会対立や荒廃や道徳の崩壊・日中・日韓に見られる外交関係の停滞(しかし中韓以外の外交は評価が高い)そして何より議会制の規律を破って大勝利はしたものの衆院においての郵政民営化解散であります。

一つの案件で内閣が飛んだであろう難問を国民の高支持率で乗り切って来た背景がありました。ではこの5年半の小泉内閣への評価となれば戦後政治の積み上げた功と罪を崩壊させる事に成功したと言えます。そこには戦後政治の功の部分も失なわれてしまった訳です。

昭和の初期に軍部の台頭が生じて政治も軍事色に染まり、国民もその方向へと流されて行き国家が崩壊して行きます。新陳代謝が果せずに国そのものが閉塞間漂う暗い時代がありました。

72年後(気学周期)の今、政治そのものが劇場型となり、自民党はいつの間にか公明党の支援なくしては存在出来ない状況にあり、政権そのものが半端な閉塞間漂う目先きの利害のみに終始して来ております。マスコミもスポンサーの中に新興宗教の力が浸透して、善悪の基準の良否を失って来ております。昔は軍部、今は新興宗教となり国民が物言えぬようになって来ていることが、どれだけの人が認識しているかの状況があります。

歴史は何の為に学ぶのかと言うと、同じ過ちを繰り返さずに良い国を造って行く為に歴史を学ぶのです。

また小さな政府を目指すと言って「国民主導による政治を」と言っても官僚主導は改革されずに終わりました。東西冷戦の終焉した以後の15年間でやっと日本もソフトランディングして国民主導の政治が実現の状況になったと言うことであり、新しい内閣には国民の側に立った主体性のある国造りの将来像を示して頂きたいと思います。

それにはまず私たち一人一人が哲学を持ち理念と将来像を示せる政治家を選ぶことが必須です。今、私たちはある意味で絆や心や道徳の失われた原野に立っているのです。次回に続く。

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気学で見るこの9年間の日本の政治 NO3

2009年9月10日 木曜日

小泉政権が誕生し平成18年には満5年目に入りました。

小泉首相(昭和17年1月生まれの五黄土星の人)改革の盛運期4年間が終わり、平成18年から衰運期の5年間が始まります。

平成17年11月の耐震偽装問題・小泉チルドレンの議員の公職選挙法違反による議員辞職・ライブドアの証券取引法違反事件と首相の衰運期に突入し始める状況の中で、逆風が吹き出して来たと言う事です。

小泉首相の改革も平成18年の9月の自民党総裁選挙で上手に受け継がれなければ、5年以上に亘る国民の期待と忍耐強く辛抱して来た国民の信頼を失うことになります。

自由民主党は確かに派閥は壊されました。しかしそれ以上に日本と言う国が、小泉政権で壊されたことには余り表面に出ない状況でありますが、国と言う尊厳が失われた事を国民は理解できずにおります。

それは明治維新の日米貿易通商条約と同様に、戦後60年、今の憲法を含めて近年金融政策・郵政改革・医療制度・司法改革等すべて米国から日本に対しての「年次改革要望書」通りに政治が動いていると言います。

米国の市場開放要求を事案として宮沢内閣以後、履行されている状況で米国51番目の州と言っても過言でない動向で推移しています。

バブル崩壊による不良債権は約250兆円から300兆円ありましたが、政府からの助成金が約100兆円そしてゼロ金利政策により10年間で累積154兆円です(本来は国民が利息として受け取れる金利)。合計254兆円、すなわち不良債権が相殺されたのです。

そして銀行は国民に還元しない利息の金で国債を買い続けてその保有は約100兆円です。小泉内閣は改革と言う名の元で国民に負担を強いてまたゼロ金利で耐える事を行い、銀行の預金を株式投資に移す政策を断行しております。

健全なる「実体経済」即ち企業を育てて株価が上昇し、配当によって利益を得ると言う本業の姿から、投資と言うより「投機屋(ギャンブラー)」と言う人たちを市場開放・規制緩和と称し実体のない虚構の企業を誕生させた要因が小泉政権の政策の裏側に存在していたのであります。

勤勉で働く事に美徳を持ち、真面目であった国民性が失われ、米国から示される年次改革要望書を時代のさきがけの様に振る舞い、政策に示される案がすべて米国からの提示による案であったと言う政治の無策が、政治の根幹にあったと言うことは「改革」と言う名の元に日本の国民に、自案のように粉飾している政府全体の責任は重い要因です。

企業においてもカネボウ・コクド西武鉄道・ライブドア等の粉飾決算、政治家の米国提案を丸飲みし、いかにも国民の為と改革を行っている小泉政権があり、企業・政界・国民等の粉飾まみれになっている今の日本の姿があります。

その何よりの根幹は国民の「拝金主義」による思考が根底にあることです。

戦後の日本社会および国民は「自立する」と言う要因を放棄して来ました。自立と言う自分自身で考え行動し責任をしっかり持つことを行わずに60年過ごして来たということです。

国会での耐震偽装問題の証人喚問においても責任転換の答弁ばかりで、しっかり責任を自覚していない状況です。企業は粉飾し、業者は偽装し、政治家は米国案に追随している現状が露呈している訳です。これら60年間の中で、自立と言う生存に係わる根幹を政治は国家安全を米国に依存し、企業は護送船団で官僚主導の元で成長して来たと言うことであります。

そして国民は物の豊かさに満足し、拝金主義を第一として考えるようになり、小泉首相は政治を劇場として演出する状況を「改革」をテーマに作り出した現状があります。昨年暮から年頭に発生している事柄は小泉内閣の5年間近くの政策の影の部分が、首相の運気衰運と同時に発生しています。

気学における下元期の状況が作り出す周期の下克上・実力主義・弱肉強食・感性が主体となる時代等々が続く情勢があります。自立が下元期の課せられた状況であり、自立には自己責任・自己管理・自己防衛が求められます。

耐震偽装問題も、住民の多くがこうした下元期要因を考えず、ただ利便性のみを追求した結果購入し被害を受けた訳です。日本が地震大国であることは誰もが自覚しています。そこに「なぜ」と言う自立するための疑問を選択の項目に入れないのかと言うことです。

関東大震災から85年・阪神・淡路大震災から14年、近くは中越地震があり、常に地震国であると言う考えがあれば、この価格で、この広さで、この利便性でと言う物件に対する購入の魅力の中に、なぜ安いのか・安全に対する思考が働く筈です。

それと不安定・混乱要因の状況の中で、また終身雇用の崩壊した状況で、ローンと言う借金を30数年に亘り返済する事を行う事に対しての時代の認識の甘さがあります。付けの反動が来る事は目に見えて判明します。

理念なき民族はただただ迷い生きているだけの民族です。日本民族は違います。

千数百年と言う歴史・文化・伝統ある尊厳ある国家であります。自然界と共存共栄して継承されてきた国家であります。戦後60数年、今の憲法があったから戦争が発生しなかったのではなく、もともと日本は「和」の国でありました。つまり民族の中に弱肉強食を回避する手段として和を求める民族でありました。

国・社会・地域・一族・家の崩壊がありました。今、発生している状況は日本が再生し「自立」しなければならない陣痛の過渡期なのだと信じる一念であります。次回に続く。

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気学で見る日本の歴史と周期 NO5

2009年5月24日 日曜日

「気学で見る日本の歴史と周期」も今回が最終回です。

平成19年には明治維新から数えて140年経過しました。・西南の役(明治10年・六白金星丑年)から130年の歳月が経過しております。明治維新から約70年後(気学では36周期陰陽年の72年周期)に太平洋戦争があり、そして現在の激動は太平洋戦争から約70年に至る状況の節目の激動期にあたっています。

日本の人口の推移も明治維新時は約3000万~3500万人(推定)であり70年後の昭和10年頃は約7000万人そして70年後の今は約1億3000万人のピークを迎えるに至ります。

そして平成17年頃を頂点として人口減が始まり高齢化社会の時代へと突入しております。

気学においての周期説は私どもの独自研究による教示であり、歴史の表裏を通して周期の存在することは自然界の法則の実証でもあるからです。

今、若者が自信を無くし、年寄りは孤独な中で厳しい時代が迫っています。振り返れば、昭和30年代のまだ家族の絆が結ばれていた頃の再現として「レトロな時代」として全国各地に開設されたり、映画化されたりして人間に取って何が重要なのかの問い掛けが成され、ただ懐かしいと言うだけでなく、捨て去ってしまった人間の情や機微や温もり等々再考を促す状況が生じて来ています。

文明が発達し利便性も究極の状況にあります。しかし人と人との絆は断ち切られ、情の希薄になり「教育」の再考も議論されています。

「金ともの」の有無でしか人の豊かさのあることを説いても、一端、楽をする事や手抜きする事や便利さを覚えてしまった生活から、人間本来の五感や五体を活かす行動に戻す事は難しい事であります。

しかし「レトロなる時代」を回顧して懐かしく思う事をひとつのきっかけにして、徐々に生活の中に再考して行く事の大切さを思います。

人の生涯年数は限られています。その生涯の背景には時代と言う存在があります。時代の良否で人の生涯が決定付けられる要因もあります。

現在は太平洋戦争で散って行った300万人の英霊の残して頂いた「惜福」により、日本が世界有数の豊な国家となりました。しかしその惜福に対し謙虚なる「報恩感謝」を示さず、当然あるいは自己中心的な傲慢さで行動するならば、やがて国そのものの衰退は逃れられないのではないかと思います。

そうした意味も周期で伺う事が出来ます。周期からの判断で平成25年(五黄土星巳年)に至る間、この大不況と混迷する社会状況は続きます。終わり。

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気学で見る日本の歴史と周期 NO4

2009年5月18日 月曜日

「気学で見る日本の歴史と周期」も今回で4回目です。

徳川家二百数十年の徳川15代に亘る将軍の命運は徳川第一代将軍から徳川第十五代将軍までです。

徳川第一代将軍  家康 1543年02月10日生まれ(本命七赤金星卯年・月命八白土星寅月)

徳川第二代将軍  秀忠 1579年05月12日生まれ(本命七赤金星卯年・月命五黄土星巳月)

徳川第三代将軍  家光 1604年08月12日生まれ(本命九紫火星辰年・月命八白土星申月)

徳川第四代将軍  家綱 1641年09月07日生まれ(本命八白土星巳年・月命五黄土星申月)

徳川第五代将軍  綱吉 1646年02月23日生まれ(本命三碧木星戌年・月命五黄土星寅月)

徳川第六代将軍  家宣 1662年06月11日生まれ(本命五黄土星寅年・月命七赤金星午月)

徳川第七代将軍  家継 1709年08月08日生まれ(本命三碧木星丑年・月命八白土星申月)

徳川第八代将軍  吉宗 1684年11月27日生まれ(本命一白水星子年・月命八白土星亥月)

徳川第九代将軍  家重 1712年01月28日生まれ(本命一白水星卯年・月命六白金星丑月)

徳川第十代将軍  家治 1737年06月20日生まれ(本命二黒土星巳年・月命七赤金星午月)

徳川第十一代将軍 家斉 1773年11月18日生まれ(本命二黒土星巳年・月命二黒土星亥月)

徳川第十二代将軍 家慶 1793年06月22日生まれ(本命九紫火星丑年・月命一白水星午月)

徳川第十三代将軍 家定 1824年05月06日生まれ(本命五黄土星申年・月命八白土星巳月)

徳川第十四代将軍 家茂 1846年07月17日生まれ(本命一白水星午年・月命三碧木星未月)

徳川第十五代将軍 慶喜 1837年10月28日生まれ(本命一白水星酉年・月命九紫火星戌月)

徳川家二百数十年の基盤を宗教行政から築き上げたところの天海僧上は上野寛永寺を江戸城の鬼門方位の守護として建立しました。

北方位(北斗信仰・神格方位)には日光東照宮に家康を大権言とし、江戸城を中心にして五色不動尊を鎮守し、そして表鬼門(東北方位)の水戸には家康の十一男頼房を裏鬼門(南西方位)の紀伊には家康の十男頼宣を配しました。

水戸徳川を副将軍としたのは表鬼門の守護に専念させるためであり、水戸徳川家より本家の後継者は出さぬためでもありました。

東北方位(表鬼門)には変化改革の事象があり、徳川本家が安泰と平穏を保つ意味からも、水戸徳川からの後継継承は行なわないとの天海僧上の考えでありました。天海僧上は天台宗の僧でありますが、「天源術」(十二支基礎学)を中心として、徳川家の基盤を構築したのであります。

「鬼門の水戸徳川家から本家継承はならぬ」という天海僧上の遺言も十五代将軍慶喜によって打ち破られて行きます。慶喜は水戸徳川家から一橋家へ養子に出された後に、十五代将軍になっております。家康から十四代までの将軍に、水戸徳川家は副将軍として係わって来ておりました。水戸光圀は「水戸黄門」で有名であります。

天海僧上の考えも二百年以上時代が経過すれば希薄になるのは当然でもあり、激変して来る幕末の時代の流れには対応出来ぬくらいの「うねり」の状況下でありました。徳川二百数十年の江戸が大なり小なり守護されてきた背景にはこうした「気学」の教義の反映があり、明治維新後百四十数年経過した現在に、おいても、その示された考え方を伺い知ることの出来る教示です。

人が歴史を作り出して行きますが、歴史も人物を作り出して行きます。そうした考え方で歴史を気学という法則に当てはめて行くと、先人先哲の残してきた歴史が、奥行きの深いものであることに気が付くのであります。次号に続く。

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気学で見る日本の歴史と周期 NO3

2009年5月14日 木曜日

引き続き「気学で見る日本の歴史と周期」についての3回目です。

気学と歴史上の人物について最も皆さんが知っている人物の登場です。

室町期から戦国時代そして織田信長の登場となります。豊臣秀吉の全国平定徳川家康へと継承されて行きます。そして徳川家康は東照大権現様と神格されて行きます。

織田信長 1534年生まれ(七赤金星午年生まれ)

豊臣秀吉 1537年生まれ(四録木星酉年生まれ)

徳川家康 1543年生まれ(七赤金星卯年生まれ)

家康死後東照大権現として神格化されます。17世紀に至り徳川幕府は一切の旧権力を完全な統制下に置き、思想支配論理として「儒教」を進めます。

日本の歴史上に於いて天皇の権威の最も衰えた時代であります。日光東照宮への参詣の街道は江戸から日光へは、日光街道の他に将軍の参詣道として岩槻経由の日光御成街道があります。

日光東照宮の開祖は「天海僧上(1536年生まれ(五黄土星申年)」です。家康・秀忠・家光・と三代に仕えた人です。

徳川家康死去 1616年6月1日(六白金星辰年・二黒土星巳月)

家康の死亡原因は自病等ではなく他因要因であることが、運気上見えます。前年の大阪夏の陣の出陣が方位学上凶方位であったことが、戦いでは勝っても、凶方位で敗れた事になります。方位現象の発現であります。

大阪夏の陣 1615年5月24日~6月29日(七赤金星卯年・五黄土星巳月)

西方位(大阪城)は年盤の暗剣殺・歳破方位に出陣しています。五黄の要因は戦争・争い・破壊要因です。家康は隠居して駿府(現静岡)に大御所として在居しており、大阪城は西方位にあたります。これらの凶要因が翌年まで尾を引いて行くことになりました。

次号に続く。

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気学で見る日本の歴史と周期 NO2

2009年5月8日 金曜日

前回に続き「気学で見る日本の歴史と周期」の2回目となります。

気学と言う教示学は周期学の分野があり深く歴史的な根拠や実証をもったものであります。十干・十二支・九星の一循環の180を一単位として、陰陽の繰り返しの要因が発生します。最大の歴史の単位は720であります。

日本の歴史に当てはめて見ますと・・・

4世紀頃、国家の形体を成す創生の頃で、720年後の12世紀には武士が台頭して来ます。そして720年後の19世紀には武士が滅びて西洋文明を基盤とした社会が導入されて来ます。

2007年(丁亥二黒年)の720年前は1287年(弘安10年・丁亥二黒年)に当たります。弘安4年(辛巳八白年)には元の襲来による「弘安の役」が発生しております。この弘安4年(辛巳八白年)と平成13年(辛巳八白年)が重なります。

下元期始め(60周期)は昭和59年(甲子七赤年)に当たります。そして昭和61年から平成3年バブル隆盛期でした。平成3年、米ソ冷戦状態が終わり米国の一極世界制覇化が進みます。日本はバブル崩壊の流れの中で経済不況の真只中にあります。

720年前、元の再襲来が起きます。蒙古軍(元)は世界制覇を成し遂げている時代で、今の米国が世界制覇を成し遂げる姿と重なります。

蒙古軍は日本に侵攻することで、米国軍はイラク進攻で敗退を余儀なくされる姿は、時空を越えて事象の重なる周期の要因であります。

1274年(甲戌六白年)に文永の役で720年後の1994年(甲戌六白年)は平成6年です。

1281年(辛巳八白年)に弘安の役で720年後の2001年(辛巳八白年)は平成13年で21世紀が始まり小泉内閣の誕生です。

小泉内閣の誕生と弘安の役の襲来が720年と言う歳月を超えて、日本の節目になって行くことは、こうした歴史の周期の流れの中に要因が潜んでいるのです。類似した苦難の時代でした。

弘安の役後の、日本の姿はいかなる状態を露呈していったか720年前を検証することにより、今後の歴史の方向性と言った要因が予測出来るのではないのかと言うことであります。

文永の役から弘安の役までの7年間は元軍の襲来の危機で日本国中において不安定な受難期の時代で幕府の衰退状況となって行きます。そして市の発達・座の結成が興り、やがて貨幣経済の発達へとなって行くのです。

1285年(乙酉四緑年)に「霜月騒動」が発生します。720年後の2005年(乙酉四緑年)に郵政改革にまつわる衆院解散選挙で反対派が自民党を追い出される騒動が発生します。

霜月騒動とは執権北条貞時の外祖父安達泰盛と内官領平頼綱の確執がついに武力衝突をひきおこし、安達一族は滅亡し騒動は全国に波及して容易に鎮まらなかったのです。

事象の内容は異なるとはいえ過去の歴史の中の事象と現代の起こる事象に類似性のある状態があり、歴史の流れの周期は自然と時代事象と登場人物まで創出しているような気になります。次号に続く。

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