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子供の事件

2016年9月11日 日曜日

8月23日、埼玉県東松山市の河川敷で、16歳の少年の遺体が見つかった事件や昨年の2015年2月20日に、神奈川県川崎市川崎区港町の多摩川河川敷で13歳の中学1年生の少年が殺害された事件等、子供の事件が多く発生しています。犯人はすべて子供である。

中学生の少年法の適用外の凶悪事件の多発する中で年齢も低年齢化している要因に社会全体が衝撃を受けた事件が多く発生しています。

こうした事件のたびに社会の問題・学校の問題・家庭の問題等が言われます。そして理念や理想が示されています。

しかし現実においては地域に於ける交流・学校の子供会・PTA等は益々希薄な状況になって来ております。結局のところ子供の問題・事件というより私たち一人一人の大人の問題であり、生き方・使命・責任等の反映が子供の犯罪へと映し出されている気がし、大人側で襟を正す要因があります。

儒教の教えの中に・・・・

親を見れば自分の将来が見える。

子供を見れば自分の過去が見える。

兄弟を見れば自分の現在が見える。

夫(妻)を見れば自分の心が見える。

友を見れば自分の姿が見える。

の教示のごとく、子供の罪は大人側の責任に負うところが大きいと思います。

子供は大人を小さくしたものではなく成人する間に七度脱皮します。特に12歳~15歳までは第二反抗期という小児から大人への脱皮していく重要かつ不安定な精神状態の時期です。

そうした時期に友人がいない、親もいない、遊び友達は目下の子供やラインやゲーム遊びで独立感の状態、危険な状況を作り出している訳です。
このような血の通わないような非道徳的な事件が起こらないように願うばかりです。

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利便性の裏側で

2013年8月11日 日曜日

今、世界は大きな流れの過度期にあります。気学周期の中の下元期と言う大きな改革期の周期の流れの中にあります。

世界が新しい時代に入って来てもそれを運営して行くのは「人の心」であります。世の中が便利になり贅沢になり豊かになってもそれは決して人類に取って「有益」なることではないのです。今の便利さに対する一人一人の意識の改革を確立しなければ日本中「ゴミの経営」にまみれてしまうのです。

現在の社会事象の一部分ではありますが「携帯・スマホ・インターネット・ゲーム・ツイッター・フェイスブック・ライン等」による利便性の急激なる広がりで安全性の法の整備が追い付かない現状があります。

幼児時代の発育過程におけるテレビやビデオを長時間見ている子供は、言葉の発達が遅れると言う事が日本小児科学会から公表され、2歳以下の子供に長時間テレビやビデオを見せないように提言しております。利便性の裏には大きな落とし穴があります。

現在起こっている特異な事件(一例として長崎県での小学生による同級生殺害事件・広島県の死体遺棄事件16歳が中心)が問題化しておりますが新しい文明がもたらした予兆なのか、単なる特異事件なのか、その因果関係が知りたいものです。

今では服装や化粧品まで子供をターゲットにしての市場の拡大化があり、子供への悪影響が加速しています。

心や体の成長期にある時代に過激なビデオやインターネットによる交流等のことからバーチャルリアリティー(仮想現実)が心の問題にどう影響を与え、どう対処すべきかの論議なく急速に利便性のみで幼児の世代へと浸透した感があります。

自己確立と自覚の希薄な幼児期、こうした利便性なる機器に熱中し、バーチャルな世界と現実の境が混同し解離性障害あるいは離人症と言った普通に社会生活を送ることが苦しくなる病気へと発展することになりかねないのです。子を持つ親は真剣に考えて頂きたいです。

「人は自然と親しむと心やさしく壮快になれる」と言う言葉がありますが、逆に考えれば「人は仮想現実に親しめば刺激と快楽が得られる」と言う事です。その選択は私たち一人一人の生活感なり、生き方等により選別する個々の判断の重さが増しております。

世の中が豊かになり便利になり合理的なる社会になっても、一人一人の自覚のない使命感のない「生き方」は決して「有益」なることではないのです。

日本のトップ企業や経営者の中にまた日本を動かす政治家の中に大きな視野を持った人たちが、今すぐに求められてきております。世界中が過度期にあるごとく日本の国に於いても、また家庭に於いても、夫婦に於いても、大きな「意識改革」が求められて来ているのです。

日本人の体質の中に「人と同じことをしていれば何事も安心安全」と言う考え方があります。こうした考え方から脱して行かない限り、日本の中で真の民主主義は成立しないのです。自己の意識の確立が求められるのです。

運命学に於いて人からアドバイスを受けても自分と言う自己の確立、すなわち助言を活かすものが自分になければ一貫性のない場当たり的なことになり、いくらアドバイスを受けても結局受けない事と同じ事になるのです。

自分の中に「使命」なり「生き方の目的」なりがあって初めて人の助言やアドバイスが活かされて来るのであり、そうした生き方の「自己確立」をしっかり持つ事です。より良い結果を出すには自己中心的では生まれません。人の言を聞き自分の中に取り込んで活かす。そこに運命学の教示の意義の活かす道があることを知るべきであります。

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子供の被害が相次ぐ

2013年7月22日 月曜日

先月の6月度は七赤金星午月(6月5日から7月6日まで)でした。東京・練馬区で小学生の児童ら3人が切りつけられた事件から通り魔等による事件が頻繁に子供をターゲットにした事件が多発しています。

そして今、連日報道されている広島の少女(16歳)の死体遺棄事件で7名(内1名は21歳・6名は16歳)が逮捕された。この事件も起こったのは6月度です。

また千葉県を中心にコンビニやスーパーの食品売り場でパンやコロッケ等に縫い針が混入される事件も多く発生し未だに続いております。

社会事象として食品(食べ物)や女子児童や刃物事件は七赤金星の事象であります。

月盤の社会的事象の七赤金星が今年の年盤の五黄土星に同会していたのは、個々各々の凶悪事件と言うより社会的な根の深い原因が生じている訳であり、深刻な先行きに対する不安が生じて来ているのです。また「五黄の日」は事件が多く発生しやすい日であり、日の要因が「争う」事象があります。

事件の背景の要因には様々な原因がある訳であり、気学は方位学・家相学が基本判断の中心でありますが、事件の裏側には「家相の吉凶要因」が強いと思います。しかし「五黄の日」に事件が発生し易い状況の中で何がしかの社会構造の中で補わなければならない「社会的責務」があるように思うのです。

日本には安全神話と言う時代がありました。「水・空気・安全(防犯)」と言うことに対する神話です。この3つの要因すべてが崩壊してしまいました。

安全と言う事柄を支えていたものは、家庭であり、地域であり、国でありました。確かにそれらは時として干渉され易き事柄でありました。余計なお節介と言われても地域にはそうした存在のお年寄りや家族の長としての父親の役割がありました。しかし今では神話の世界のように遠い事柄になってしまったのです。

犯罪者はいつの時代でも居るものであり、要は犯罪者を作らないような対策を求めなくてはならない時代であり、幼児・児童・女子生徒等々を守る為には地域づくりが求められて来るのです。

自分の住んでいる地域に愛着を持ち、その土地・地域の歴史を学ぶ事により良き地域再興がなされるのです。些細な事柄からの出発です。「子供を国の宝」として地域で育てている世界有数の国と評価された時期もこの国にはあったのです。もう一度、昔のように幼児・児童・女子生徒等々を守る為の地域づくりをしたいものです。

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