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陰陽道思想から生まれた厄年

2010年3月10日 水曜日

厄年は陰陽道の思想にもとづく災いや障りのある年回りと言う説から生まれました。

気学では本命星の北方位廻座が「本厄」と言われております。その北方位廻座(今年は四緑木星の人)の前後の年廻りを前厄(南方位廻座・今年は三碧木星の人)・後厄(南西方位廻座・今年は五黄土星の人)と称しております。厄年には忌み慎しまなければならないとされております。

厄年が言われるようになりますのは古く平安時代の、貴族藤原資房(すけふさ)の日記「小右記」や「源氏物語」などに記されております。

厄年の年齢は男女共の7歳・12歳、女性の19歳・33歳・37歳、男性の25歳・42歳・61歳・77歳・85歳が一般的であります。

さらに女性の33歳と男性の42歳は特に「大厄」と言われ、その前年の「前厄」と翌年の「後厄」(ハネ厄)と共に強く意識されております。ただし時代や神社仏閣によって厄年の移動があります(数え年で見る所、満年齢で見る所)

気学から見る厄年は本命星が北方位(最衰運期)に入った年を厄年・厄月と言い年盤で9年に一度、月盤で9ヶ月に一度廻って来ます。

神社仏閣の数え年早見表に見られるところの厄年はその年の干支の十二支の年廻りが中心と言う事になります。

厄年は単に思想上に想定されたものと考えるよりも、実際に経験的に体得した人間の節目を前提にして生じて来たものと言えます。

特に昔の人生50年時代の男性42歳は隠居へと退いた年齢であり、女性の33歳は孫を見る年代でありました。それだけに人生80年時代の現在社会に一見合致しないように考え勝ちでありますが、体力気力を考えて見た時、この年廻りは一つの節目となっていることには変わりません。

厄年にあたる者が厄難を避けようとした行いを「厄祓い(厄落し)」と言います。その仕方は多種多様であり、個人的に行う場合や集団で行う場合がありました。

具体的には正月や節分に神社や寺院に参詣し祈祷を行ったり、紙に包んだ餅切れを体にこすりつけたり、金品を他人に拾わせたりして厄祓いをしました。

さらに厄年の者に代わって行う厄祓いを業とする者もあらわれ、その門付け(かどづけ)の者をも「厄祓い」と言いますが、山伏の修験道もいました。
大晦日や節分の夜などに「厄祓いをしましょう厄落し」と町々を呼び歩き、金品をもらっては祝言によって厄を祓い歩きました。その言葉は「めでたい事で祓おうなら鶴は千年・亀は万年」などと尽くしを並べ立てたあと「悪魔外道を拭い掴み、西の海にさらり」等と言って祓います。また山伏などは法螺貝(ほらがい)を吹き「般若心経」を門口で唱えました。

また厄は子にも及ぶと考えられ、両親のいずれかが大厄の時にできた子供は「厄子」と言い、箕(み)に入れて一旦、道に捨てられ「仮親」をとることがされています。また厄子と仮親の関係は一生継続されると言います。昔は十二支が一循するまでの12年間(元の干支に戻る期間)、子供の厄はほぼ1年毎にあり、それだけ小児の成長には難儀な時代であった訳です。13歳は虚空蔵さま参りとなり以後厄年の間の年数幅が広がります。

厄という要因は一つの「節目」という考え方であり、本厄の北方位に自分の本命星が廻座している年は「一陽来復」の「陰極まりて陽となす」といった年で、陰の機運から陽の機運に転ずる年であり、態勢の立て直しの年に当たります。

この厄の年においての節目が、精神的に顕現するか、あるいは病気のように身体に顕現するか、行動面に顕現するか等のいずれかの顕現が生じます。9年という流れの中での「節目」であるという時期が「厄年」という形容で示されています。

厄年であっても当人自身は何事も無いのに、その周囲の家族や対人の人が「厄を肩代わり」される例も多く見られます。一概に「厄年」といっても、その顕現事象には、個人差があります。また本命星が北方位に廻座し(厄年)暗剣殺を持つ場合はダブルの状況ですので、苦難苦慮がはっきり強く自覚されることになります。

厄祓いも非常に大事な事ですが、どの方位の神社に行くのか、いつの時期に行くのか、によって正しい厄祓いを行わないと逆に大きな事故・不慮になるかも知れません。そのところも理解した上で実行される事をお薦めいたします。

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