義務と権利

2018年5月11日 金曜日

連日、報道される陰湿な残忍な事件が多数起こっています。友人・地域・男女間・親子間・会社の同僚上司等の間で起こっています。

日本の社会も安定していた「水と安全」に対する信頼も信用も消失して久しいです。もうこの国には、何も信頼することの出来ない事件事象の恐ろしい現象が起きて不安感を覚えます。

組織や政治や機構から生じる怠慢なる事件や疲労状態からの事件の後から、社会を作り上げている家族・家庭・地域・対人・個人等の崩壊現象が上から下まで「規律」のない「自由」を吐き違えている社会となってしまった諸現象が次から次へと現出しております。

「ものが豊かになれば」つまり「衣食住足りて礼節を知る」と言う教訓が「衣食住」と言うものが足りて人は礼節を知るどころか「快楽」を知り、それにより無秩序無統制と言う「勝手気まま」が許される時代となってしまった感があります。正に反省自省以外何もありません。

有識者は語らずに静観し、勇気ある有識者は人権の旗印の信者たちに袋たたきに会い、また報道する立場の人たちも自国の国の弱点や歴史の偏重を声高に言うどこの国の報道者なのか疑いたくなる人が座しております。

衣食住足りて礼節を知ると言うのが道筋です。衣食住足りて快楽を知ったのが今の日本の国民であり、それにより恥の文化を失い尊厳と潔さを失ってしまった現状があります。

昭和40年頃、流行った言葉が「家付きカー付きババァ抜き」です。年寄りを大切にしない国民はいつか崩壊する国になります。
今、年寄りを大切にしなかった年代の人が年老いて行きます。義務を果たさなかった人たちが、今度は当然のように権利を求めて来る社会です。

年寄りを大切にして来なかった人たちの報いであります。「苦して楽あり」が順序であり、楽して来た人の行く先は苦の待つ状況の輪廻応報であります。

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